kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

けやきの森市民大学 歴史講座 ①  「埴輪 づくりと大王墓」

2010年10月25日 | 高槻しろあと歴史館と市民大学

高槻市立生涯学習センター2Fで、高槻市教育委員会文化財課(学芸員)今西 康宏さんの
最新考古学 「埴輪づくりと大王墓~今城塚古墳の調査から~」を、受講してきました。

古代の高槻は全国屈指のハニワ生産地で、最古の歴史書 『日本書紀』 にも記載されています。
そして高槻のイメージを向上させる取り組みとして、8月20日を「ハニワの日」に制定されました。

現在の、史跡公園として親しまれている新池ハニワ工場公園の発掘調査により、5、6世紀の
ハニワ窯18基、工房3棟、工人集落などが発見され、ヤマト王権が直営する国内最大の
ハニワ生産工場でした。この工場でつくられたハニワは、茨木市の太田茶臼山や、高槻市の
昼神車塚、継体大王墓とされる今城塚と、全国的にも有名な古墳に供給されました。

来年春に完成する今城塚古代歴史館では、日本最大の家をはじめとして、巫女、武人、大刀
盾、馬、牛などのハニワ等が公開され、わかりやすく紹介されるそうですので楽しみですね~(^^♪


桜井市山田で見つかった小立古墳の 木の埴輪 「石見形木製立物」 です。
木の埴輪があるのですね~ 木の埴輪の事は初めて知りました。

★☆★☆★ ところで、埴輪の起源は ★☆★☆★
『日本書紀』の記述から、第十一代 垂仁天皇(すいにんてんのう)は、皇后日葉酢媛命(ひばすひめ)の
葬送に際して殉死の風習をやめ、人馬など様々な形の土物を墓に立てた、その土物を「埴輪」という。

★☆★☆★ では埴輪を立てるようになったのは? 伝承によると・・・ ★☆★☆★
垂仁天皇の叔父の倭彦命(やまとひこのみこと)が亡くなり、身狭(むさ)の桃花鳥坂(つきさか)に
葬った。そのときは従来の習慣に従って、近習の者たちを生きたまま墓の周りに埋めたのですが
数日経っても地中から彼らの泣き声が聞こえ、死んで腐っていくと犬や鳥が集まってその肉を食べた。

こうした様子を見て、垂仁天皇は心を痛められてその以後殉死の風習を禁止した。
日葉酢媛が亡くなったとき、天皇は殉死に代わる方法を群臣に相談すると、野見宿禰(のみのすくね)
が奏上した策が、埴土(はにつち)で人や馬やいろいろな物を形造って陵墓にすることでした。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : ヘレニウム           花言葉 : 寛容
北アメリカ原産です。ダンゴギクという和名を持っていますが、筒状花のある中心部が
半球状に盛り上がるためです。丈夫で育てやすく、切り花に向いています。
コメント
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