禅苑の名刹、大雲山龍安寺。
その創建は宝徳二年(1450年)、 足利将軍の管領職にあった細川勝元が、 徳大寺公の山荘を譲り受け、 妙心寺第五世の義天玄承(詔)禅師を 開山に迎え創建しました。
秀吉も幾度か龍安寺を訪れ、 自らの手による制札が、今も残されています。
また、勝元夫妻・政元らの品が、 開山義天和尚の墓とともに現存しています。
ミニ石庭
「目の不自由な方の為のミニ石庭 一般の方は手をふれないで下さい。」
と書かれています。
方丈 重要文化財
寛政九年(1797年)に 方丈、開山堂、仏殿を火災によって焼失。
現在の方丈は塔頭・西源院の 方丈を移築したものです。
方丈襖絵(画像2枚追加しました。)
龍安寺にかつて所蔵されていたふすま絵9面が123年ぶりに帰還したことを記念し、平成31年1月10日から6月10日まで方丈にて特別公開されていました。
今回帰還した芭蕉図9面に加え
平成22年に帰還した群仙図4面、琴棋書画図2面も合わせて展示。
応仁の乱で焼失してしまいますが
勝元の実子・政元によって再興されました。
明応八年(1499年)には方丈が建立され
石庭もこの時に築造されたと伝えられています。
石庭
どの位置から眺めても必ずどこかの1つの石が見えないように配置され
石庭の作庭意図には「‟禅の精神”や‟ 「心」の字の配石”など諸説あり
誰がいつ頃作り上げたのかは定かではなく、今だ謎のままのようです。
石庭は縦約10メートル・横約25メートルの約75坪ですが
油土塀の高さを変えて広く見えるようにトリックが施されています。
仏殿に通じています・・・
その創建は宝徳二年(1450年)、 足利将軍の管領職にあった細川勝元が、 徳大寺公の山荘を譲り受け、 妙心寺第五世の義天玄承(詔)禅師を 開山に迎え創建しました。
秀吉も幾度か龍安寺を訪れ、 自らの手による制札が、今も残されています。
また、勝元夫妻・政元らの品が、 開山義天和尚の墓とともに現存しています。
ミニ石庭
「目の不自由な方の為のミニ石庭 一般の方は手をふれないで下さい。」
と書かれています。
方丈 重要文化財
寛政九年(1797年)に 方丈、開山堂、仏殿を火災によって焼失。
現在の方丈は塔頭・西源院の 方丈を移築したものです。
方丈襖絵(画像2枚追加しました。)
龍安寺にかつて所蔵されていたふすま絵9面が123年ぶりに帰還したことを記念し、平成31年1月10日から6月10日まで方丈にて特別公開されていました。
今回帰還した芭蕉図9面に加え
平成22年に帰還した群仙図4面、琴棋書画図2面も合わせて展示。
応仁の乱で焼失してしまいますが
勝元の実子・政元によって再興されました。
明応八年(1499年)には方丈が建立され
石庭もこの時に築造されたと伝えられています。
石庭
どの位置から眺めても必ずどこかの1つの石が見えないように配置され
石庭の作庭意図には「‟禅の精神”や‟ 「心」の字の配石”など諸説あり
誰がいつ頃作り上げたのかは定かではなく、今だ謎のままのようです。
石庭は縦約10メートル・横約25メートルの約75坪ですが
油土塀の高さを変えて広く見えるようにトリックが施されています。
仏殿に通じています・・・
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