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愛媛県庁本館の県民プラザに張られていたポスターです。
松山は、美しいまちです。
花をちりばめたように輝く灯り。
その中心に小高い山があります。
そこに松山城が建っています。
「春や昔 十五万石の 城下かな」
という句を詠んだのは、松山市出身の正岡子規(1867~1902)。
この句は、明治28年(1895)春、
日清戦争の従軍記者として出征するため、
東京から一時帰省した時に詠んだ句です。
ひさしぶりに帰郷した際、
松山市の中心におわんを伏せたようにたたずむ、
勝山(標高132m)山頂の松山城に上り、
城下を見渡して、昔に思いをはせて、懐かしみ詠んだ句です。
松山藩は、伊予松平藩十五万石の徳川親藩です。
子規の父常尚(つねひさ)も松山藩に仕えていましたし、
子規自身も藩の給費生となり,東京の常盤会寄宿舎に入っています。
松山市内には、数多くの句碑が建っていますが、
子規のこの句の句碑は2ヶ所あります。
1つは、JR松山駅前に大きな石碑が、
2つ目は、道後公園(道後温泉近く)子規記念博物館敷地の小さい石碑です。
碑の文字は「寒山落木」の子規自筆の文字を拡大して刻まれました。
こちらの方が趣があります。
子規が松山城を詠んだ句には・・・。
「春や昔 十五万石の 城下町かな」
「松山や 秋より高き 天守閣」
「旅人の 城へ上がるや 春の風」
「山城に 残る夕日や 稲の花」
などがあります。
ふるさとをなつかしむ気持ちが、
ひしひしと伝わってきます。
あなたのふるさとの風景ってどんなものですか?
岬人(はなんちゅう)