喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

平礒で迎える誕生日

2011-06-04 | ブログ
 昨日6月3日は、息子の14歳の誕生日。
ふるさと平礒で迎える初めての誕生日。
 娘のさやかが
「じいちゃんとばあちゃんも呼んでくる」
と言って、にぎやかな誕生会となりました。

 田村菓子舗の三代目よっくんが作ってくれたケーキ。
名前入りの真心こもったメッセージが、ジーンときました。


 続いて、娘ひかるの進行で、ハッピーバースデーの歌へと。


 そして武蔵がろうそくを吹き消します。


 ケーキをめったに食べないじいちゃんも、この日は孫の誕生日を祝って久しぶりに食べました。


 我が家では、誕生日を「感謝の日」としています。
 誕生日を迎えた人が、回りの人に感謝する日です。

 息子は、生まれて数ヶ月経った定期検診で、心室中隔欠損症と診断されました。
心臓をへだてている壁に小さな穴が開いていて、血液が逆流するという病気です。
1000人に3人ほどの割合で見られ、そのうち半数の人は成長するるにつれふさがります。
 息子の場合は、それがふさがる可能性がないため心臓手術をすることになりました。
1歳を迎えてすぐのころでした。

 夏休み、妻は松山の日赤に泊まりこみ、
私は仕事が終わって松山まで通うという日々が続きました。

 手術の日、私たち夫婦、妻の両親、私の両親、妹が見守る中、
白い手術服を着た息子は、診察台に乗せられ、手術室に入っていきました。
妻の母は
「まだあんなに小さいのに、むげなや」
と言って涙を流していました。
私の両親は、手を合わせて祈っていました。
 私も初めて自分の命と引き換えになるようなことがあれば、そうしたいと思いました。
きっとみんなそう思っていたでしょう。

 それから何時間経ったでしょうか。
手術室から医師が出てこられ、
「無事終わりました。どうぞ会ってください。」

 居ても立ってもおられず妻と一緒に手術室に急ぎました。
手術台には、麻酔のためか目がとろーんとした息子が、上半身裸でちょこんと座っていました。
お腹からは何本かの管が通され、痛々しい姿でした。
それでも私たち7人は、無事終わったことを喜び、涙したことを覚えています。

 そんな息子がはや14歳。
月日が経つのは早いものですが、そんなことがあったことを忘れません。

 1年に1度の誕生日。
今こうして自分があるのは、回りの人のおかげ。
そんなふうに感謝する日が、誕生日であっていいと思います。

 終わった後、息子と2人でそんな話をし、深い眠りにつきました。
 
                   岬人(はなんちゅう)

喜久家プロジェクト ~ドイツのジェナイとの再会~

2011-06-04 | 喜久家の情報


 3年ぶりの再会です。

 積もる話が、山ほどありました。

 新居に寄ってもらったので、家の話をしました。
 ドイツでは、石造り(れんが造り)の家が多く、
築100年を超えるような家は、法律により保存されるしくみができているようです。
壁などが厚く、自然にとけこむ作りとなっているので、光熱費も少なくて済むとか。

 それに比べ日本では、一部で古民家再生という取組はあるものの、
ほとんどは古くなったら建てかえるという消費型になっています。

 私のふるさと平礒では、まだまだリサイクル型社会が残っており、
家はリフォームして長く住まうことが多いです。

 日本の木造の家は、
香りが良くとてもすばらしいとほめてもらいました。

 このような話が、止まることなく盛りあがり、夜はふけていきました。

 本当になつかしい。

 そして今度は私がドイツに行くことを約束してお別れをしました。
夢は広がります。

           岬人