喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

「さとうきび畑」 沖縄をおもう

2011-06-24 | ブログ
 6月23日は、「沖縄慰霊の日」
沖縄戦が終結した日。

 この日は、あんがい知られていないようです。
 私の祖父も太平洋戦争で亡くなりましたが、
沖縄では、ふるさとそのものが戦場となったのです。

 太平洋戦争最大の激戦地となった沖縄では、
沖縄県民の犠牲者は、沖縄県出身の兵士もふくめると、
当時の沖縄県の人口の約4分の1に当たる、
12万人以上と推定されています。

 ふるさとが戦場となり、
隣近所の多くの人が亡くなったという現実は
想像を絶するものです。

 歌手森山良子さんの「さとうきび畑」は、
まさに沖縄戦を歌ったもので、
のどかなさとうきび畑とは対照的に
悲しい歌詞となっています。

1.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   今日もみわたすかぎりに
   緑の波がうねる
   夏の陽ざしの中で

2.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   むかし海の向こうから
   いくさがやってきた
   夏の陽ざしの中で

3.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   あの日鉄の雨にうたれ
   父は死んでいった
   夏の陽ざしの中で

4.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   そして私の生まれた日に
   いくさの終わりがきた
   夏の陽ざしの中で

5.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   風の音にとぎれて消える
   母の子守の唄
   夏の陽ざしの中で

6.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   知らないはずの父の手に
   だかれた夢を見た
   夏の陽ざしの中で

7.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   父の声をさがしながら
   たどる畑の道
   夏の陽ざしの中で

8.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   お父さんて呼んでみたい
   お父さんどこにいるの
   このまま緑の波に
   おぼれてしまいそう
   夏の陽ざしの中で

9.ざわわ ざわわ ざわわ
  けれどさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   今日もみわたすかぎりに
   緑の波がうねる
   夏の陽ざしの中で

10.ざわわ ざわわ ざわわ
  忘れられない悲しみが
  ざわわ ざわわ ざわわ
  波のように押し寄せる
   風よ悲しみの歌を
   海に返してほしい
   夏の陽ざしの中で

11.ざわわ ざわわ ざわわ
  風に涙は かわいても
  ざわわ ざわわ ざわわ
  この悲しみは 消えない

「風に涙はかわいても、この悲しみは消えない。」
胸にせまる最後の言葉です。

             岬人(はなんちゅう)

沖縄慰霊の日

2011-06-24 | ブログ
 昨日、6月23日は沖縄慰霊の日でした。
今から56年前、太平洋戦争が終わる1945(昭和20)年3月。
アメリカ軍は、いよいよ沖縄に上陸し、3ヶ月間にわたり、壮絶な戦いがくり広げられました。
 その模様については、先日のブログにも何度か書いてあるとおりです。

 ただし、今もアメリカ軍基地などが多数残されており、
沖縄の人々に大きな苦痛と負担をかけています。

 15年前、新婚旅行先として沖縄を選びました。
 公私混同であったのですが、
ぜひ沖縄をもっと知りたいと思ったからです。

 宿泊先のホテルの警備員さんに当時の沖縄戦について聞かせてもらったことが、
今でも心に強く残っています。

「もっともっと沖縄について知りたい」
そう思った今年の慰霊の日でした。