喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

伊方町 「田村菓子舗」 三代目と息子

2011-06-10 | ブログ
 先日、息子の誕生日に書いたブログにたくさんの反響とメッセージがありました。
 まだ1歳になったばかりの息子が手術をし、
命の大切さと回りの人たちへの感謝を書いた内容でした。
 
 そして今日もまた田村菓子補の三代目から、
本当にすてきなメッセージをいただいたのでぜひ紹介したいと思います。

『人の気持ちがわかる!!! (三代目)
2011-06-10 01:15:14
 
 私は2歳で斜視になり、小学校3年生まで失明の危険をはらみながらすごしてきました。
左、右、左と三回の手術。
鼻はアレルギー性鼻炎、肌はアトピー。
病院通いの毎日。
 祖父母が倒れ両親はお金を稼ぐので忙しい日々。
私達兄弟は夏休みも保育園。
でも、現象的にはマイナスかもしれない、でもそんな困難を家族で兄弟で乗り越えてきた。

 気づけば仲間の中心にあってリーダーシップをとるような立場になっていた。
小学生の時は姉が児童会長、私は落ちこぼれ、いつも児童会で問題児。
後輩をつれて、二名津の船を飛び回り、屋根を飛び回り、夏は人家に向けてロケット花火を投げ込んだ。
 
 でも、自分の中に芽生えた誰よりも二名津が好きという気持ち、自分の故郷を守りたい、人を大切にしたい。
私のリーダーシップはいつもボトムアップ。
輪の中に入れない人たちに寄り添いながら共に歩んできた。

 この年になり無呼吸症候群であることがわかった。
プラスの面をみれば、私はとても幸せ。
愛する家族はみんな健康、お金はなくても仲間がいて、自分の好きなことができる。
超幸せな人生。
 時には誰かに寄り添い、時には共に涙し、時には叱咤激励する。
そんな熱い人生でありたいと願う。

 高校卒業のとき、私は地域のためにという思いで大学に進学、
仕事がないから愛する地元で働けない友人達の話を聞きながら、
自分が家業を発展させ地域の雇用の受け皿になるんだと頑なに己を信じわが道を突き進んだ。
 その時の私のスローガンは、
「人は何ともいはば言え、我なすること我のみぞ知る」
大好きな坂本龍馬の若かりし時の短歌。
自分ががんばれば世の中かが変わる、世界が変わるとそう思っていた。

 でも、この年になり初めてわかる。たくさんの人の支えの中で生かされていると。
最近は考え方が変わり、
「縁ありて花開き、恩ありて実を結ぶ」である。
家族の人の優しさの中で生かされていると感じる。

 そして、一番大切なのは「人」。
 戦国時代の武将、武田信玄は他の大名達が堅固な山城を開く中、ただ一人、平城を作っている。
それは彼の考え方が「人は石垣、人は城」という考え方があったからだ。
どんなに財を使い、堅固な城を築こうとも人の結束にはかなわない。
 同じ理念、ビジョンを共有したときに歴史が変わり、人が変わる。

 適材適所という言葉があるがそれももう昔の話。
私が思うのは、適材適所+αで適時と思う。
人間の力は知れている。
時がかなわなければうまく回らないだろう。

 くどくなってごめんなさい。
長所と短所は裏返し。
それをどうとらえるか。

 むー君の人生にとってそんな経験は必ずプラスになると思う。
 世の中無駄なものは何一つない。
犯罪ですらこの世の中をよくする為におこっている。

 むー君と酒を飲む日が来ることを思い、
先輩や後輩に恥じない生き方を言葉でなく行動で示そうと思う。』

 息子と三代目の歳の差は、約20歳。
そんな兄ちゃんからこんなに思ってもらえているのです。
うれしいです。本当、うれしいです。

 起こったできごとは、もう変えることはできませんが、
自分の気持ちは、いくらでも変えることができます。
 気持ち一つで、マイナスと思えるできごとに対してでも
勇気と元気がわいてくることもあります。
 そんな気持ちをこの田舎で育んでいきたいと思います。

 息子が酒を飲めるまで、あと6年です。