喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

城川町でのお施餓鬼

2012-08-04 | ブログ


 義父の施餓鬼法要が城川町善願寺で行われた。
朝10時から行われるということで20分ほど前に着いた。
すでに初盆を迎えられる方々が大勢集まっていた。

 お精霊(おしょらい)棚が組まれていて、準備万端。
 お精霊さま(おしょらいさま)と呼ばれる各家の祖霊が、一年に一度、家の仏壇に還ってくるものとして、盆の期間中、盆供として毎日供物を供える。
お精霊(おしょらい)棚とは、それらお供物をのせる棚のことを言う。
ちなみに私のふるさと平礒では、「おしょろいさま」と呼んでいる。

 般若心経から始まり、ご詠歌も唱えられた。
それにあわせて参列者が順番に焼香。
 最後に和尚様のありがたいお説教があった。

 内容は、施餓鬼についてが中心。


 
「私たちが亡くなりますと、仏教では因果応報(インガオウホウ)と言われるように、
生前行った功徳の結果において、次の世の六道世界にふり分けられます。

 六道世界とは、
地獄(ジゴク) 
餓鬼(ガキ) 
畜生(チクショウ) 
修羅(シュラ) 
人間(ニンゲン) 
天  (テン)    
の6つの世界のことです。

 その中で餓鬼の世界とは、生前、欲張りで嫉妬深い人が陥る世界で、
餓鬼の世界には様々な欲求不満の人間がおり、決して満たされることのないおのれの欲望の炎によって、
自身の身を焼く地獄の世界のことです。

 お盆は、盂蘭盆(ウラボン)、正式にはウラバーナと言い、逆さずりにされた、最も苦しい状態のことを言います。

 お釈迦様の弟子に目連尊者(モクレン ソンジャ)という人がいました。
目連尊者はお釈迦さまの弟子の中で神通第一といわれるほど、たいへん神通力のすぐれた方でした。
 ある日、目連尊者は亡くなった母親がどうしているかと、神通力を使ってみると、
どうしたことでしょう、母親は餓鬼道の世界に落ち、体は痩せこけ、お腹だけふくらませて、
口に入れようとする食べ物すべてが燃え上がり、飢えでもがき苦しんでいるではありませんか。

 目連尊者の母親は、生前、他人の不幸をかえりみず、人をだまし、おのれの欲求のみに生きました。
その結果が餓鬼道だったのです。
 驚いた目連尊者は、お釈迦様に相談しました。
お釈迦様は「雨季ももうすぐ明けるので(現在の8月15日)、修行から出て来たお坊さんたちを供養することによって、
母親は餓鬼道の苦しみから救われるだろう。」と言われました。

 さっそく、目連尊者は何百人というお坊さんを供養しました。
そして、神通力で母親の様子を見てみると、母親は餓鬼道より救われ、ニコニコと微笑んでおられました。
 これがお盆のはじまりです。

 私たちの先祖もまた、もしかすると餓鬼道に落ちて苦しんでいるかもしれません。
 私たちは凡人ですから、つい欲深い行いを知らず知らずの間のうちに行って、
その結果によって餓鬼道の世界に落ちて苦しむかもしれません。

 そうした多くの人々を救うためには、今生きている私たちが、餓鬼道の世界で苦しんでいる人々のために、
代わって善い行いを積んで、仏様の慈愛でもって、餓鬼道の世界で苦しむ人々を極楽世界へと導いてもらうということを、
施餓鬼と言います。

 施餓鬼は字のごとく、餓鬼に施すということですから、まず水や食べ物を供え、お経を唱えることは当然ですが、
施餓鬼の最も大切なことは、普段から私たち人間も含めたこの世に生きる全てのものに食べ物を分け与えるという心がけ、
そしてアリや微生物にまで気を配る優しさが必要ではないでしょうか。

 そうした普段からの、食べ物を大切にし、また他に施し、共に分け与えていくという日常の心がけが、
施餓鬼供養の本当の意味だと思われます。」



 お施餓鬼供養が終わり、お寺から見おろす棚田が実にきれいだった。