喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

平成25年 平礒のお盆行事(もう霊)

2013-08-21 | ブログ
平成25年 平礒のお盆行事(もう霊)


 お盆からはやくも1週間が過ぎた。
お盆は、盆の行事やよそから帰ってきた人たちとの再会のため、
あっという間に過ぎていく。

 そんな佐田岬半島の小さな郷、平礒のお盆行事、孟霊(もうりょう)
この字については、はっきりとはしていないが、私の父がこの字ではないかといっているので、
記すことにする。

 8月14日、午後3:30。
フクロイセの浜に各家々から集まる。
なぜか男性のみということになっている。
各家で1人でいいのだが、私のように父そして息子、あわせて3人が参加ということも認められている。

 この日は、喜久家ボランティアのポタも参加。
そして何と喜久家(きくや)の持ち主、河野喜久雄さんとの出会いがあった。
 喜久家が今あるのは、喜久雄さんが自分の家を無償で貸してくれているからなのだ。
その名をとって、喜久家(きくや)と名付けた。



 浜におりるとまず笹舟を作り、海へ流す。
まるでおしょろい船。
精霊流しのようなもの。

 次に、鉦(かね)と太鼓にあわせて、口上をとなえながら時計回りで輪になって回る。





 それが終わると持っていた笹を責任者に渡し、海へ流す。



 最後は、天神崎の方へ向かい、まなご石を自分の歳の数だけ拾い、
神様に捧げる。

 



 私も1つずつ数えながら。
昔はすぐに拾い終え、手にのせられた石も
今では、数えるのもたいへん。
そして、手にのせるのもこぼれ落ちそう。





 最後は、お酒とお菓子をいただき終わりとなる。

 町見郷土館の高嶋さんが取材に来られていて、少し話をしたなかで心に残った言葉がある。
「高嶋さん、この孟霊の由来や意味などよくわからないことが多いんですよ。」
「浅野さん、そんなことよりも今こうして永きにわたり残されている。
地域の人たちが残している。そのことが何よりも大切なことなんです。」

 故郷の先人たちや今暮らしている人たちの心にふれた気がした。
小さな郷のキラッとした輝き。
未来へ残していきたい一つだ。

               岬人(はなんちゅう)