4月2日から3日まで、母親と和歌山県の那智勝浦方面へ1泊旅行へ出かけた。
2日9時半前後、岡山駅へ着くと、改札を通り、上り新幹線ホームへ向かった。
新大阪までは、新幹線の『ひかり448号(レールスター)』に乗車した。乗車したのは、上り先頭の8号車で、普通車指定席である。
新大阪に着くと、駅弁などを購入後、新大阪駅の11番ホームへ向かった。
そこからは、『スーパーくろしお13号』新宮行きに乗車した。わたしたちが乗車したのは、最後尾の6号車で、それも普通車指定席である。車番は、クハ381-501だった。
その日は、最後尾の車両には、女性の車掌が乗務していて、車内放送も担当していた。
『スーパーくろしお』は、新大阪駅を発車すると、淀川を渡り、東海道本線とは別れて、貨物線を走っていった。新梅田シティのビルが右手に見えたとき、列車は、貨物駅の中を通り抜けていた。
列車は、貨物線を走ると、大阪環状線に入った。環状線内では、あまりスピードが出ず、信号で停車したことが何度かあった。
列車は、天王寺に停車すると、阪和線に入った。その頃、わたしたちは、駅弁を食べだした。
阪和線では、徐々にスピードを上げたが、先行する列車が遅れた影響で、わたしたちの乗った列車にも遅れが出た。
天王寺を出た『スーパーくろしお13号』は、和歌山までは、ノンストップで走る。
堺市付近までは、市街地の中を走るが、徐々に、高層のビルなどはまばらになり、田畑が眼に入ってきた。
大阪府と和歌山県の県境付近では、かなり山の中を走った。沿線の桜や若葉がきれいな箇所もあった。
和歌山県に入った列車は、勾配を下り、車窓に、徐々に家屋が増えてきた。紀ノ川の鉄橋を渡り、数分後、和歌山駅に停車した。10分余り遅れての到着である。
和歌山では、かなりの乗降があった。
和歌山を出ると、海南に停車した。
海南を出ると、車窓に海が見えてきた。
そして、海沿いから離れると、やや内陸部を走り、しばらくすると、車窓から、広大なみかん畑が眼に入った。そう、みかんで有名な有田である。
それから、さらにしばらく走ると、御坊駅に停車した。
御坊を出た列車は、紀伊田辺に停車した。南紀地方では、比較的大きな市の駅のせいか、かなりの乗降があった。
紀伊田辺の次は、白浜に停車した。山に囲まれた小さな駅であるが、有名な行楽地の玄関口の駅で、下車した客が多かった。白浜までは、放送をした女性車掌のほか、男性の車掌が1人乗務していたが、男性車掌は、下車して、女性車掌1人乗務となった。
白浜を出た列車は、周参見、串本、古座に停車し、定刻より、3分ほど遅れて、紀伊勝浦に停車した。それまでの間に、かなり遅れを取り戻していたようだ。
紀伊勝浦までの車窓風景は、山の中から、海沿いまで、バラエティに富んでいた。また、桜や若葉などがきれいな箇所がいくつもあった。
紀伊勝浦で下車すると、駅のコインロッカーに大きな荷物を預けた。
そして、駅前へ出た。駅前のロータリーには、秋刀魚の歌詩碑がある。
駅前から、少し歩くと、勝浦の漁港に着いた。そこは、多数の漁船が停泊していた。
しばらくして、駅に戻ると、15時34分発の普通列車2333M新宮行きに乗車した。105系2両編成のワンマン列車で、わたしたちが乗車したのは、先頭のクモハ105-28だった。
列車は、紀伊天満、那智の順に各駅に停車した。
那智駅に列車が止まると、下車をした。無人駅なので、周遊キップのゾーン券を運転士に見せて、下車した。
駅を出ると、徒歩ですぐの場所にある補陀洛山寺に行き、参拝をした。補陀洛山寺は、天台宗の寺院で、インドから、熊野に漂着した裸形上人が開山した寺である。
隣には、熊野三所大神社があり、それは、御祭神は、安津美御子大神、夫須美大神、速玉大神である。補陀洛山寺と神佛習合の形態が残る神社である。
熊野三所大神社をあとにすると、那智駅に戻ったが、列車まで時間がある。新宮方面行きホームの紀伊勝浦寄りのところ換気筒のついたトイレの建物があったので、取材しようと思ったが、閉鎖されていて、中に入れなかった。その駅には、トイレがないのかと思ったが、新宮寄りの箇所に男女共用の和室の個室が1室だけ設置されていた。水洗式である。特に取材はしなかった。
那智駅では、17時26分発の2342Mに乗車した。それも、105系2両編成のワンマン列車である。わたしたちが乗車したのは、先頭のクハ104-5。
列車が紀伊勝浦駅に着くと、下車をして、コインロッカーに預けた荷物も持って、駅の裏にある民宿に入った。もちろん、予約をした。3階建ての建物で、外面の塗装をしたばかりなのか、作業用の足場があった。
宿に着くと、入浴し、夕食を頂いた。少量だが、マグロの刺身があった。
また、地酒の太平洋も口にした。
翌日は、朝食の前に、勝浦漁港の魚市場へ見学に行った。大小多数のマグロが並べられている。
それらを見た後、市場の食堂で、マグロ丼を食べた。
そのあと、宿に戻り、宿の朝食も頂いた。
宿をチェックアウトすると、駅のコインロッカーに大きな荷物を預けて、駅前から熊野交通のバスに乗った。那智方面に向かうバスである。
バスの車窓からも、新緑や桜が楽しめた。
しばらく走ると、車窓右手にあの那智滝が目に入った。
バスが終点の神社お寺前駐車場に到着すると、下車して、石段を登った。石段の途中に、いくつか、土産店があった。
しばらく登ると、熊野那智大社の入口に到着した。朱塗りの鳥居や建物が目に入った。
熊野那智大社は、熊野三山の1つで、境内のクスの木は、樹齢800を越えるという。
境内の宝物殿には、神佛習合の頃の境内の様子や仏像の図画などを描いた掛け軸や、大昔の手鏡、瓶、刀剣などを展示していた。
熊野那智大社の参拝を終えると、今度は、この旅行のメインである青岸渡寺の境内へ入った。
そう、そこは、西国33箇所の第1番札所で知られている寺院である。
今回、那智方面へ旅行することにした一番の目的は、西国巡りの第一歩を踏み出すことである。
心身を清めた後、朱印入りの納経帳を購入した。
そのあと、三重塔の前を歩き、滝へ向かって歩いた。
その周辺にも、桜がきれいに咲いている箇所があった。
那智滝入口には、「飛瀧神社」と書かれた鳥居があり、木々に囲まれたその参道を奥に進むと、滝の姿が現れてきた。そう高さ133mの名瀑「那智の滝」である。
参拝料300円を払い、さらに奥にある、滝が近くで見れる場所へ行った。
飛瀧神社をあとにすると、滝前バス停に向かったが、乗る予定のバスへは時間があるので、バス停付近の土産店で買い物をしたり、休憩所で休憩をしたりした。
バスに乗車すると、終点の紀伊勝浦駅前まで乗り、駅前の土産店で買い物をした後、食堂で、マグロうどんを昼食に食べた。うどんの上に加熱したマグロが具として載っているだけであるが。
コインロッカーの荷物も持つと、駅の改札を通り、1番線に停車中の『南紀6号』に乗車した。キハ85系3両編成の列車で、わたしたちが乗車したのは、上り先頭の自由席の車両である。車番は、キハ85-1108だった。バリアフリー対応車両で、トイレや入口付近の座席2席が車椅子対応になっている。
わたしたちは、進行方向右側の一般席に腰を下ろした。座席部分が通路よりも1段高くなっていて、窓も大きいので、外の景色を楽しみやすい車両である。
車窓には、海が広がっている箇所があった。
『南紀6号』が新宮駅に到着すると、下車をして、改札の外に出た。そして、コインロッカーに大きな荷物を預けると速玉大社を目指して、商店街の中を歩いた。
商店街を歩くと、新宮城跡の付近を通り、しばらく歩くと、朱塗りの鳥居が眼に入った。
そう、熊野速玉大社である。熊野三山の1つで、境内には、樹齢1000年といわれているナギの巨木がある。
また、境内には、室町や南北朝時代の手鏡や箱、神輿、徳川家の刀剣、新宮市内で発掘された縄文土器などを展示した神宝館がある。
そのほか、境内には、新宮出身の作家、佐藤春夫氏の旧宅を移築した「佐藤春夫記念館」もある。
それらに入館した後、歩いた道を駅へ向かって戻った。
新宮駅で、コインロッカーの荷物を取り、駅弁を購入後、1番ホームに停車中の『スーパーくろしお32号』に乗車した。乗車したのは、禁煙自由席の2号車である。車番は、モハ380-33だった。
新宮を出た列車は、紀伊勝浦に停車し、発車してしばらくすると、わたしたちの乗った車両へ車掌が車内改札に来た。特急券には、改札印が押された。その車掌は、みやこ列車区所属のようである。
列車は、古座、串本に停車し、しばらくすると、再び、新たな乗客だけを対象に、車内改札を行なった。
串本を出た列車は、周参見、白浜に停車した。白浜では、多数の乗車があり、自由席には、座りきれない人が何人も出てきた。
白浜の次は、紀伊田辺に停車し、御坊、海南、和歌山、鳳、天王寺の順に停車した。駅間の長い箇所では、自由席の新たな乗客に対して、こまめに車内改札を繰り返していた。
新大阪に着くと、『スーパーくろしお』を降りて、新幹線の改札を通り、21番ホームへ向かった。
そして、16両編成2号車の乗車目標場所に着くと、誰も人がいなかった。その後、徐々に人は増え、向かいに新大阪止まりの列車が着くと、かなり多数になった。
20時9分頃、広島行き『のぞみ67号』が入線してきた。自由席の2号車を見ると、かなり乗客がいたが、下車客が多く、座れそうだったので、下車客がいなくなると、すぐに乗車し、無事、席をゲットした。その結果、予定より、早い新幹線で帰れることになった。
『のぞみ67号』は、途中、新神戸、姫路に停車し、岡山には、21時01分に停車した。
岡山に着くと、下車をし、改札を通り、駅前からバスに乗り、帰路に着いた。
そして、夜の10時台に帰宅後、無事、西国札所を目的とした那智旅行を無事終えることができた。