今日は、愛機α33を持って、愛車で出かけた。
伊田峠を通り、岡山市御津地区に入ると、国道53号線を、旭川沿いに北上した。
そして、岡山市建部町の旭川橋梁付近に車を止めた。
今日は、津山線に、引退迫るキハ58系を使用した臨時列車が運転されたのである。
それを撮影するために、旭川橋梁付近へ行ったのである。
現地着は、9時40分頃だった。キハ58系が通過するまでには1時間以上あったが、カメラを持った多数のファンが集まっていた。
わたしも、東側の川原に三脚を建て、カメラをセットした。
そして、9時50分を過ぎた頃、949D列車を撮影した。列車は、キハ40形気動車の2両編成である。
それから数分後、946D列車を撮影した。その列車は、キハ40の単行運転だった。
その次の列車までは、20分以上時間があった。
その間も、カメラを持ったファンの数は増えていった。
10時20分を過ぎたとき、3934D快速「ことぶき」を撮影した。
列車は、キハ47の2両編成だったが、片方の車両が、復刻首都圏色だった。
さらに、その数分後、3935D快速「ことぶき」を撮影した。
列車は、キハ47の2両編成で、窓周りに帯が入った快速色に統一されていた。
それからは、次の列車まで時間があった。
その間に、キハ58系は、金川駅を発車したはずである。
下り951D列車と、上りのキハ58系のどちらが先に、鉄橋を渡るのか、そのときは、まだ、わたしはわからなかった。
10時50分頃、下り951D列車が、鉄橋を渡っていった。列車は、キハ47の2両編成だった。
それからしばらくして、本日の一番の目的である、キハ58系の列車がやってきた。
わたしも、その姿をカメラにおさめた。
かつては、その姿の列車は、各地の非電化幹線やローカル線で当たり前のように見られたが、時代の流れとともに、次々と姿を消して、いつの間にか、絶滅寸前の車両になってしまった。
岡山地区のその車両も、まもなく引退である。
キハ58系を、至る所で見たことがある者としては、寂しさが増してくる。
今日は、そのキハ58系の走る姿を、カメラにおさめることができて良かったと思う。
キハ58系の列車が去っていくと、みんな一斉に撤収にかかっていた。
わたしも、カメラをバッグに収めて、その場をあとにした。
長年、ローカル線などで、急行から普通列車まで大活躍したキハ58系には、心から労いの意を申し上げたいと思う。