浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

福山へ外出(続き)

2014年03月04日 21時53分24秒 | Weblog
今さら先月のことを記事化してすみません。

先月22日の朝は、マイカーで熊山駅へ向かった。
熊山駅の駐車場に車を止めると、駅舎へ向かって歩き、岡山尾道お出かけパスで改札を通った。
熊山からは、1303M列車に乗車した。わたしが乗車した車両は、クモハ115-1711だった。
次の駅で列車を降りると、万富発三原行きの711M(岡山からは431M)に乗り換えた。列車は、115系の4両編成で、わたしが乗車したのは、先頭のクハ115-2021だった。
列車は、万富を発車後、各駅に停車した。
その列車、平日は、岡山までは混雑するが、その日は、土曜日のためか、それほどの混雑にはならなかった。
列車が福山駅に止まると、下車して、福塩線に乗り換えた。
乗車した列車は、237Mで、それは、105系の2両編成だった。ワンマン運転である。わたしは、先頭のクハ104-3に乗車した。
列車は、福山を出発すると、備後本庄、横尾の順に停車した。
横尾駅に停車すると、下車した。
横尾駅は、福山市郊外にある小さな無人駅であるが、その日は、わたし以外には、高校生の下車客が多かった。
横尾駅で下車すると、トイレの取材をした。
そのあと、福塩線と並走する道路を歩き、信号機のある踏切へ向かった。道路には歩道はなく、路側帯も狭く、歩きにくかった。



踏切に接する信号のある三叉路の手前に、蒸気機関車マークの踏切ありの標識があった。
左折すると、踏切である。
その踏切は、信号のある三叉路と接している関係で、信号機と連動していて、信号が青のときは、一時停止不要で通行できる。



そこでは、踏切を渡るバスなどを撮影した。

そのあと、横尾駅まで引き返した。
そして、横尾駅から、239M列車に乗車した。その列車も、105系の2両編成で、ワンマン運転だった。わたしが乗車した車両は、先頭のクハ104-1である。
列車が次の停車駅の神辺に停車すると、下車した。
そして、そのあと、トイレ取材をしようと思ったが、利用者が多かったため、やむを得ず取材は中止した。
そして、242M列車で、福山へ向かった。列車は、105系の2両編成で、わたしが乗車した車両は、先頭のクモハ105-29だった。
途中、横尾、備後本庄に停車し、終点の福山駅には、11時7分に到着した。
そのあとは、飲食店で昼食をとった。
そして、昼食後、書店で雑誌を買った。
そのあと、駅前で、バスの撮影を楽しんだ。
その日、駅前には、鞆鉄道のボンネットバスも止まっていた。













































バスの撮影を楽しんだ後、福山駅前を14時15分に出発する引野口行きの中国バスに乗車した。
バスは、福山の中心街を抜けると、手城地区を走った。その間の停留所で、ほとんどの乗客が降りていき、乗客はわたし一人になった。
わたしは、終点、引野口の手前の沖浦公園前で下車した。
そして、某鉄道模型店へ向かって歩いた。
鉄道模型店に着くと、営業開始時間を待った。
そして、「営業中」の札が出ると、店に入り、買い物をして、店をあとにした。
そのあと、某喫茶店でコーヒーを飲みながら休憩をして、引野口バス停まで歩いた。
引野口からは、15時48分発の福山駅行きの中国バスに乗った。
バスが終点の福山駅前に着くと、下車して、福山駅の改札を通った。
そして、岡山行きの458M列車に乗車した。列車は、213系の6両編成で、わたしは、サハ213-5に乗車した。その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
車内は、閑散としていた。
列車は、終点の岡山まで、各駅に停車した。
終点の岡山駅に着くと、吉永行きの722M列車に乗り換えた。列車は、115系の3両編成で、車内は、昔から変わらないセミクロスシートだった。
列車は、岡山を出発すると、各駅に停車した。
そして、熊山駅に停車すると、下車して、マイカーで帰宅した。
こうして、福塩線のトイレ取材と福山のバス撮影、模型店での買い物目的の外出を終えることができた。
また、機会があったら、いきたいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする