今さら4月のことを記事化してすみません。
4月4日の朝は、わたしと両親は、京都市街地の某旅館で迎えた。
朝食後、身支度を整えて、チェックアウトした。
そして、京都駅へ向かって歩いた。
京都駅からは、地下鉄烏丸線に乗車した。
烏丸御池駅で下車すると、頂法寺・六角堂を目指して歩いた、
頂法寺は、京都市街地にある西国33箇所第18番札所の寺院である。
その寺院の開基は、聖徳太子だという。

寺院は市街地の中にあり、境内はそれほど広くはなかった。





本堂は、六角堂と呼ばれていて、六角形の屋根があるお堂である。
本堂などを参拝後、納経所で御朱印を受けた。
そのあと、隣のビルのガラス張りのエレベーターに乗り、エレベーターの中から、境内を眺めた。

そのあと、烏丸御池駅へ戻り、地下鉄烏丸線に乗り、再び京都駅へ向かった。
京都駅からは、JRの奈良線に乗車し、みやこ路快速に乗車した。電車は、221系のリニューアル車だった。
その列車が、次の東福寺駅に着くと、下車した。
そして、改札の外に出て、新那智山観音寺(今熊野観音寺)を目指して歩いた。
その途中、ゼブラ板のついた信号機があった。かつてはよく見られたが、現在では、滅多に見なくなった。
ただし、それは、旧型の信号機ではなく、近代的な型の信号機だった。

泉湧寺道交差点付近には、観音寺への道しるべがあった。

今熊野観音寺も、西国33箇所の札所である。
しばらくは、住宅街の中を歩いたが、途中に、山門があった。
その山門をくぐると、道は、木々の中だった。
まっすぐ進むと泉湧寺へ向かうのだが、その途中で左折すると、今熊野観音寺への道へ入った。

今熊野観音寺は、西国33箇所第15番札所の寺院で、真言宗泉湧寺派に属する。開基は、弘法大師だという。


今熊野観音寺も、参拝後、納経帳に御朱印を受けた。
そのあと、泉湧寺へ向かって歩いた。

泉湧寺の大門をくぐると、正面に、大きな仏殿があるのが眼に入った。

仏殿のそばへ行くと、右手には、浴室だった建物があった。

仏殿の向こうには、舎利殿がある。
さらに、奥にある御座所にも入った。

そのあと、楊貴妃観音堂に行き、それから、泉湧寺をあとにした。
それから、東福寺駅へ向かって歩いた。
東福寺駅前の食堂で昼食をとったあと、電車で京都駅へ移動した。
京都駅で買い物をしたあと、姫路行きの新快速(列車番号など失念)に乗車した。
新快速電車は、途中、高槻、新大阪、大阪、尼崎、芦屋、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川に停車した。
そして、終点の姫路駅で、15時34分発の967M列車・播州赤穂行きに乗車した。
列車は、終点まで、各駅に停車した。
わたしたちは、途中の相生駅で、15時46分発の1325M列車・三原行きに乗り換えた。列車は、115系の4両編成だった。また、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
列車は、相生駅を出発すると、有年、上郡の順に停車した。
上郡駅を出発すると、船坂峠を通り、トンネルを抜けると、岡山県には行った。
そして、三石駅に停車した。
三石を出発した後は、吉永、和気、熊山、万富、瀬戸の順に停車した。
瀬戸駅に止まると、下車して、路線バスで帰路に着いた。
こうして、西国33箇所の札所巡りなどを目的とした1泊2日の京都旅行を終えることができた。
4月4日の朝は、わたしと両親は、京都市街地の某旅館で迎えた。
朝食後、身支度を整えて、チェックアウトした。
そして、京都駅へ向かって歩いた。
京都駅からは、地下鉄烏丸線に乗車した。
烏丸御池駅で下車すると、頂法寺・六角堂を目指して歩いた、
頂法寺は、京都市街地にある西国33箇所第18番札所の寺院である。
その寺院の開基は、聖徳太子だという。

寺院は市街地の中にあり、境内はそれほど広くはなかった。





本堂は、六角堂と呼ばれていて、六角形の屋根があるお堂である。
本堂などを参拝後、納経所で御朱印を受けた。
そのあと、隣のビルのガラス張りのエレベーターに乗り、エレベーターの中から、境内を眺めた。

そのあと、烏丸御池駅へ戻り、地下鉄烏丸線に乗り、再び京都駅へ向かった。
京都駅からは、JRの奈良線に乗車し、みやこ路快速に乗車した。電車は、221系のリニューアル車だった。
その列車が、次の東福寺駅に着くと、下車した。
そして、改札の外に出て、新那智山観音寺(今熊野観音寺)を目指して歩いた。
その途中、ゼブラ板のついた信号機があった。かつてはよく見られたが、現在では、滅多に見なくなった。
ただし、それは、旧型の信号機ではなく、近代的な型の信号機だった。

泉湧寺道交差点付近には、観音寺への道しるべがあった。

今熊野観音寺も、西国33箇所の札所である。
しばらくは、住宅街の中を歩いたが、途中に、山門があった。
その山門をくぐると、道は、木々の中だった。
まっすぐ進むと泉湧寺へ向かうのだが、その途中で左折すると、今熊野観音寺への道へ入った。

今熊野観音寺は、西国33箇所第15番札所の寺院で、真言宗泉湧寺派に属する。開基は、弘法大師だという。


今熊野観音寺も、参拝後、納経帳に御朱印を受けた。
そのあと、泉湧寺へ向かって歩いた。

泉湧寺の大門をくぐると、正面に、大きな仏殿があるのが眼に入った。

仏殿のそばへ行くと、右手には、浴室だった建物があった。

仏殿の向こうには、舎利殿がある。
さらに、奥にある御座所にも入った。

そのあと、楊貴妃観音堂に行き、それから、泉湧寺をあとにした。
それから、東福寺駅へ向かって歩いた。
東福寺駅前の食堂で昼食をとったあと、電車で京都駅へ移動した。
京都駅で買い物をしたあと、姫路行きの新快速(列車番号など失念)に乗車した。
新快速電車は、途中、高槻、新大阪、大阪、尼崎、芦屋、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川に停車した。
そして、終点の姫路駅で、15時34分発の967M列車・播州赤穂行きに乗車した。
列車は、終点まで、各駅に停車した。
わたしたちは、途中の相生駅で、15時46分発の1325M列車・三原行きに乗り換えた。列車は、115系の4両編成だった。また、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
列車は、相生駅を出発すると、有年、上郡の順に停車した。
上郡駅を出発すると、船坂峠を通り、トンネルを抜けると、岡山県には行った。
そして、三石駅に停車した。
三石を出発した後は、吉永、和気、熊山、万富、瀬戸の順に停車した。
瀬戸駅に止まると、下車して、路線バスで帰路に着いた。
こうして、西国33箇所の札所巡りなどを目的とした1泊2日の京都旅行を終えることができた。