浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

18きっぷで尼崎へ(続き)

2015年06月18日 16時03分13秒 | Weblog
今さら3月のことを記事化してすみません。

3月23日の朝は、18きっぷを持って、マイカーで熊山駅に向かった。
熊山駅からは、姫路行きの1302M列車に乗車した。
列車は、115系の4両編成で、その日は、黄色のK編成が充当されていた。
わたしは、最後尾のクハ115-1150に乗車した。
18きっぷの時期にしては、それほど混雑していなかった。
列車は、熊山駅を発車すると、和気、吉永、三石の順に停車した。
そして、船坂トンネルを通ると、兵庫県に入った。
そのあと、上郡、有年、相生、竜野、網干、はりま勝原、英賀保の順に停車し、終点の姫路に到着した。
姫路からは、3436M・新快速に乗車した。
列車は、12両編成で、わたしは、最後尾のクハ222-1014に乗車した。
新快速電車は、姫路駅を出発すると、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋の順に停車した。
そして、尼崎駅に停車すると、下車して、改札の外に出た。
その日は、尼崎市営バスの乗車を楽しむために、尼崎へ行ったのである。
尼崎市営バスは、尼崎市交通局によって運行されている公営バスであるが、2016年3月までに民間事業者に事業譲渡されることが決定している。
そこで、市営バスが廃止にならないうちに、乗りに行くことにした。
尼崎駅で降りると、北口へ行った。











路線バス乗り場には、次から次へと市営バスが入ってきた。

わたしが、尼崎駅から初乗車した市営バスは、10時17分発の11系統・阪神尼崎行きである。
尼崎市営バスは、前のり均一運賃制だが、一日乗車券も車内で発売しているので、わたしは、一日乗車券を買った。
そして、市営バスは、尼崎駅北口を出発すると、東へ向かって走り、まもなく、大きな交差点で、南下していった。
その途中で、西へ進路を変え、また別の交差点で、南へ向かって走った。
それから少し経つと、阪神尼崎へ到着した。
阪神電鉄の尼崎駅の北側にあるバスステーションである。
バスを降りると、バスの撮影を楽しんだ。

















そのあと、11時4分発の阪急塚口行きのバスに乗った。
バスは、阪急塚口駅の南側のロータリーに到着した。



阪急塚口で降りると、11時43分発の阪神出屋敷行きのバスに乗った。
そのバスには、途中のJR立花まで乗り、立花駅から、上りの普通電車に乗った。
その電車(時刻、列車番号失念)は、運転士、車掌とも、女性だった。
次の尼崎駅で降りると、駅より北にあるショッピングモールで、昼食休憩をした。

そのあと、駅北口の乗り場から、13時13分発の11系統・阪急園田行きのバスに乗った。
バスの車窓は、市街地の風景から郊外の風景に変わっていった。
そして、しばらく走ると、終点の阪急園田へ到着した。
バスが到着した場所は、駅の南側だった。



阪急園田のバス乗り場からは、24系統・阪神杭瀬行きに乗った。
そのバスも、JRの尼崎駅を経由するが、止まる箇所は、北口ではなく、南口である。
また、経路も、11系統とは大きく異なる。
沿道には、郊外のロードサイド店などが並ぶ箇所があった。
JRの尼崎駅の南口に止まると、バスから降りた。





そして、南口と北口でバスの撮影を楽しんだり、買い物をしたあと、改札を通り、15時20分発の3471M・新快速に乗車した。
新快速が姫路に着くと、16時34分発の969M・播州赤穂行きに乗り換えた。その列車は、223系の4両編成の普通列車で、終点まで各駅に停車する。
途中の相生駅に止まると、下車して、16時59分発の1329Mに乗り換えた。列車は、115系の4両編成で、わたしは、先頭のクハ115-1082に乗車した。
列車は、各駅に停車した。
有年、上郡の順に停車し、上郡を出た列車は、船坂峠へ向かって進んでいた。
そのとき、車掌が先頭の車両に来て、車内改札を開始した。
車内で精算していた人もいた。
そのあと、列車は、トンネルを通り、岡山県には行った。
それからまもなく、三石駅に停車した。
三石を出発後は、吉永、和気の順に停車した。
そして、その次の熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰路についた。

こうして、市バス乗車目的の尼崎への外出を終えることができた。
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宇多津、丸亀へ外出(その4)

2015年06月18日 15時26分40秒 | Weblog
今さら3月のことを記事化してすみません。

3月14日は、両親と一緒に、香川県の宇多津と丸亀へ出かけた。
宇多津の町を散策し、午後1時台に列車で1駅移動し、丸亀駅で下車すると、丸亀城を目指して歩いた。



丸亀城は、丸亀の旧市街地の南に位置する平山城で、別名、亀山城、蓬莱城ともいう。
城跡の全域は国の史跡に指定されており亀山公園となっている。
堀の橋を渡り、門をくぐると、天守を目指して、坂や石段を登っていった。
その途中には、北や東、南のほうを眺めるのに絶好の場所があった。





その場所からもさらに歩き、天守へ行った。
丸亀城の天守は、三層三階の現存木造天守で、昭和18年に国指定の重要文化財になっている。
天守の窓からも、瀬戸大橋などの姿を見ることができた。

天守を出ると、石段や坂を下りていったのだが、坂をほぼ下りていったところにある土産店では、特産品のうちわを製作するところを見ることができた。
そのあと、堀の橋を渡って、城をあとにした。
なお、堀には、亀の姿を見ることができた。



丸亀城をあとにすると、商店街のうどん店で、うどんを食した。
それから、丸亀駅へ戻り、高松行きの列車(時刻、列車番号失念)に乗った。
その列車は、6000系電車の3両編成だった。車内はクロスシートが並んでいた。また、車内は空いていた。
坂出駅に止まると、岡山行きの上り「マリンライナー」に乗車した。
その「マリンライナー」は、児島までは、女性の客室乗務員が乗務していた。
児島では、乗務員の交代があった。
「マリンライナー」が岡山に着くと、山陽本線の上りの普通列車に乗り換えた。
そして、熊山駅に止まると、マイカーで帰路についた。

こうして、18きっぷの消化目的の外出を終えることができた。
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