J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

新潟県「入広瀬村」にて

2010年05月31日 | ドライブ・旅行
只見線「大白川」から「波間川」に沿って国道385号線遡って行く、前日夜遅く東京を出発して練馬関越道から入り、小出インターを降り広瀬地区に入り、野宿同然の感じで寝袋で仮眠を取り翌日の強行軍に備えました。
この日は上空に寒気団が入り寒く、曇り空で朝の気温は9℃、吐く息が白く仮眠したとはいえ殆ど眠る事は出来ませんでした。




波間川に沿って更に上流部へ向かいます。「浅草岳」の麓に当たる場所です。
適当な場所を見つけ車を置いて、いよいよ山菜採りです。毎年この時期地元の「民宿」に泊まりますが、その前に山菜採りをします。山道を何時間も歩き山菜採り、と言うより一寸した登山の雰囲気です。
私は二十数年ぶりにでしたが、今回は例年になく「雪解け」が遅く山菜の出方も可成り遅いとの事で「根曲り竹」「みず」(みずな)等は未だ未だの感じでした。




写真は奥地に入った所、この様にブナ林にはしっかり残雪が有り道路は所々雪で覆われています。
最も「こごみ」「ふきのとう」等は雪解けと同時に芽を出すので、それ程奥に行かなくても楽に取れました。




途中山菜を摘みながら景色を見ると山水画の世界が広がっています。
天候も回復してきて時折日が射します。気温も上がり汗ばんできます。




写真左上は深い雪の中でもたくましく育つ「ブナ」この辺りの木は全て「雪」の重みで「根」が曲り若い木は残雪の重みで未だ地面に押しつけられています。
右上の写真のように林道は残雪でふさがれ、写真左下の様に崖の斜面では雪解け水が急激に噴き出した跡が残り、写真右下のように崖上部は今にも落ちそうな岩がむき出しになっています。
此所を通過するに当たって崖上部を見ながら慎重に歩きました、気楽にとはゆかない危険な場所も有るので慎重に行動しなければ成りません。





林道脇には「蕗のとう」が沢山芽を出して居ます。蕗のとうは写真のような黄色がかった物が苦みが少なく雪解け直後に一斉に大きくなります。地元の方は写真右のように大きくなった「ふきのとう」等を使います。
下の写真は「藪椿」とか「雪椿」とか言われる物です。





林道脇には写真左上の様な「すみれ」も咲いています。その他「イワカガミ」など高山植物に属する物も咲いています。
写真下は湿地帯に有る「水芭蕉」の群落です。





この写真は「ぜんまい」の成長過程で、上の写真が新芽でやがて写真左下の様に茶色い葉が開き始めます。そして写真右下の様に成長した姿になり、夏場に成るとゼンマイとは気付かなくなります。
ここら辺りでは、地元の方が生活の糧としてゼンマイを取るので一般人はゼンマイを取る事はありません、山深く入り何日も掛けて何十キロと言うゼンマイを取り、茹でて手もみをして乾燥させます。この辺りのゼンマイは絶品で安い外国産と違い大変おいしいです。





この日は奥地でないと収穫出来無いこごみ、うど、ふきのとう、根曲り竹、コシアブラ、みずとタラの芽などは未だ時期が早く諦めて里の方に降りてから散歩がてらわらび、蕗等を収穫しました。

写真は野生の「フジ」で左下の写真の様に、杉の木がフジの木の様になっています。
右下の写真は「うつぎ」この木も至る所に咲いていて、その他「桜」も咲いていました。



宿泊した民宿は「休場」(やすんば)この地区に数軒有る民宿の一軒です。
この日、別働隊が「イワナ」を釣って来て、夕食にはイワナの天ぷらを賞味する事になりました。
矢張り天然のイワナの旨さは絶品で、沢山の山菜料理と合わせてたらふく食べ飲んで大満足!

http://park3.wakwak.com/~irisho/ 入広瀬村観光案内  

翌日帰りがけに「タラの芽」の収穫が無かったので地元の山菜販売所で買いました。それとゼンマイを購入しおみやげとしました。
民宿「休場」は昼食だけでも予約できて、山菜料理を食べられます。奥地での山菜採りは簡単では無いので山菜料理を食べた後、地元の販売所で新鮮な山菜を買った方が楽と思います。







秩父「羊山公園」

2010年04月26日 | ドライブ・旅行
自宅から環八を北上練馬インターから関越高速道を行く。
関越「花園インター」で降り国道140号を走る、午前11頃出発したので現地には丁度昼時
地元のスーパーでお弁当を仕入れ羊山公園へ向かう。


芝桜の開花状況は4~5分咲き、それでも観光客は多く駐車場へ入るのに多少待たされた。
駐車場は幾つもあり、芝桜に一番近い場所に入れた。



まずは「芝桜の丘」に直行する。入り口に地元物産店が立ち並び、そこを通過しないと
「芝桜の丘」には行けない様になっている、な~る程ね!
帰りに檜の「まな板」を買って来た。

天候は曇りベースで、時折日が射す感じの日で花の撮影には余り良い条件では無かったが
それ程寒くもなく、「芝桜の丘」を眺めながら端の杉木立のベンチで昼食にした。
写真は、同じ「芝桜」でも種類毎に名前が有り色もとりどり、パッチワーク状に植栽され
た花模様は人工的な綺麗さ・・・・とでも言えば良いのだろうか・・・・・



昼食と芝桜見物の後は、満開の桜見物。
此所のソメイヨシノの桜は樹齢が浅いせいか、木の背丈が低く桜の「花」の中に居る感じ
で花見が出来る。



写真の桜は若い木で「豆桜」の様だ。
薄いピンク色が何ともかわいらしい!
その他、しだれ桜も多くしだれた先端が地面に着くほどで、地面は芝生が敷き詰められ
シートを敷かなくても花見の宴会が出来そうなくらいだ。
観光のために全山を整備した地元の努力が忍ばれる・・・・・



写真は「武甲山」と羊山公園、武甲山の山容はご覧の通り採掘の為に山肌が切り刻まれ
て見る影も在りませんが、今の時期「芝桜」が満開の時期を迎えているようなので、桜は
散っても未だ楽しめそうです。




久能山東照宮(静岡県)

2009年12月31日 | ドライブ・旅行
本来は日本平南側(海沿い)の国道150号線から久能山の参道を登るべきだが、この日は
二回目の訪問で今回は「楽ちん」を決め込んだ。
参道を歩く場合千段あまりの階段を上る覚悟をしなければならない。



写真は日本平から東側を見ると、富士山が素晴らしい、下の方に降りて「三保の松原」に行け
ばもっと素晴らしい富士山が見られる。
この写真は日本平山頂からの物ですが、駿河湾位までは綺麗に見えますがその向こうは水蒸気
が多く富士山が霞んでしまっています。



日本平山頂付近からロープウェーに乗って久能山中腹に着きます。
この写真は丁度久能山の裏側から見た所です。此の頂上直下付近の一番高い場所に「徳川家康」
の霊廟が有るようです。
久能山の歴史の中で一時期、武田信玄によって山城に成った時期もあるそうな。
この地形からは正に城としては難攻不落、現在でも御社殿に行くためには、海側から参道を登る
か日本平側からロープウェーで行くしかないようです。



ロープウェーを降りた所は、丁度表参道から階段を登った所で「久能山東照宮博物館」の前
拝観料を納め、そこから更に見上げるように階段を登ります。
数十段の階段を登り楼門(山門)をくぐると、更に上の方に「唐門」を見る事が出来ます。



楼門を過ぎると、唐灯籠、鼓楼、神楽殿などの脇の階段を登り、日枝神社に出ます。
左手にようやく、御社殿の入り口になります。
此の「御社殿」全体は国の重要文化財。権現造りで昨年「漆」の塗り替えが行われ全体が
創建当時の輝きを戻しています。
朱、黒の漆と金箔を貼った金具など非常にきらびやかで豪壮な感じです。



拝殿でお参りしてから、西回りに回り込みます。
この建物は拝殿と本殿が棟続きに成って居るようで、この写真は本殿西側の壁に画かれて
いた「唐獅子」。
東側にも同じ「唐獅子」の別な姿が画かれています。



この本殿の脇の階段を更に奥へ登ります。この辺りの石垣の壁は当時の築城技術が散見
される場所で、石垣造りの技術が素晴らしい事が判ります。最も再構築された様です。
更に階段を登ると写真の場所に出ます。
今でもこの場所に「徳川家康」の遺骨が有るそうですが、「日光東照宮」になぜ遺言にて
移したのか家康の本心は判らないですね~
この辺りが久能山で歩ける場所の最高地点の様です。霊廟左手側は数十メートルの頂に成
りドーム状にになっています。



帰りがけに改めて「楼門」の”勅額”を眺めましたが「東照大権現」という文字は「御水尾天皇」
(ごみずのおてんのう)の”ごしんぴつ”・・・だそうな。。。。。





龍泉洞(岩手県)~北山崎~久慈市

2009年12月11日 | ドライブ・旅行
北山崎断崖に着いた時、丁度曇り空でした。モノトーンの遠景は素晴らしく波も穏やかで
展望台から眺める景色は何時までも飽きない。



国道45号線に入りすぐ県道44号線から「北山崎断崖」に向かいます。
この断崖も180mもの高さがあり展望台からの遠景は幻想的です。
この日の天候は非常に不安定で、雪、雨に時折太陽が顔を出すというめまぐるしい動きで
運良く観光スポットに付く毎に太陽が顔を出してくれました。





ビジターセンターの施設や広場
でも結構遊べますが、ツアーでは時間もないので写真を撮る
事に集中します。
「北山崎断崖」の展望台周辺はそれ程広い場所では無いため、写真も似通った物になります。
展望台から下の海岸近くまで降りられるように、長い階段が整備されて居ます。


             
            第二展望台へ降りる階段から眺める断崖は、又別の素顔を見せてくれます。


             
この階段を下ります。
第三展望台まで行くと、718段有ると云う事ですが、第三展望台への降り口は危険なので閉鎖
されていて、残念ながら降りる事は出来ませんでした。


             
                この幻想的な風景をモノクロにしてみました。


この後ツアー一行は、三陸鉄道に乗り「普代駅」から「久慈駅」まで行きます。
三陸鉄道北リアス線の旅も僅かな区間ですが、中々雰囲気が良く思いで深い列車の旅を
味わい。後昼食後、久慈から「種差海岸」へと回ります。
この日が最終日で東北新幹線八戸駅から東京へ帰路となります。

時間があれば三陸鉄道を中心に、その後の模様をBlog記事にしたいと思って居ます。



             

書写山圓教寺(姫路市)

2009年07月01日 | ドライブ・旅行
姫路市の北西部に位置する古刹。
西の比叡山とも言われ一千年の昔「性空上人」が開いた天台仏教の道場で境内は
国の史跡地に指定されている。
山門をくぐると、其処は静かな自然と森の聖域、幾本か在る参道脇には信者方が
奉納した数多くの観音立像が出迎えてくれる。

県道67号線から少し入った所から、書写山ロープウェーで山頂駅に降り立ち
少し歩くと参道となる、足腰の弱い人は此処からマイクロバスで途中まで行く
と良いかも知れないが、私は歩いた。
全山が修行道場となっているだろうから、此処は徒歩で登った方が良いと
思われる。



参道を少し歩くと「仁王門」に着く、ここからが圓教寺散策の始まりの様なものだ。



摩尼殿回廊の写真、ここ摩尼殿は本尊の「如意輪観音像」が在り、摩尼殿も
創建当初は「如意輪堂」と言われていたようです。
また「四天王」も在り、「持国天」「増長天」「広目天」「毘沙門天」とそれぞれ仏法
の守護神として睨みを利かせています。



境内の参道を各建造物を見ながら坂を更に進むと「大講堂」「食堂」(じきどう)
「常行堂」の建つ広場に出ます。
ここが中心の様な所でしょう「食堂」は修行僧が寝食をする所で「大講堂」は
お経の講義、論議が行われ、学問の修業の場でもあります。
本尊は「釈迦三尊像」。左手の「常行堂」は室町時代の建物らしく本尊は釈迦如来像で
ひたすらお経を唱え本尊の周りを回り修行する場で在るそうな、時には舞楽を奉納
する為の舞台も在る。


下の写真は左上摩尼殿掛造(舞台造)、右大講堂、左下食堂から見た大講堂
右下摩尼殿への参道及び階段方向。



更に食堂裏を見ると1174年(承安四年)に創建されたこの建物の立派さ
が判る。国の重要文化財にも指定されている。



大講堂から更に奥(奥の院)に進むと「開山堂」に出る、しかしこの時は大修理中
で解体修理をして居る所だった。
大方、ここら当たりが一番奥まった所で、更に上の方にも建物が在りますが全部
を見て回るのは大変です。
此処から下山道にを辿ります。木の種類や植物、コケ類などの種類も沢山あり
参道には奉納された「桜」などが沢山植栽されています。



好古苑(姫路市)

2009年06月13日 | ドライブ・旅行
屋敷門を更に進と「活水軒」の建物内部に入る、此処は喫茶、軽食所
となっていて、御屋敷の庭園を眺めながらの食事が出来るようです。
丁度好古苑に入る前に、食事を済ませてしまった為、此処で食事を
取りませんでしたが、優雅な食事が出来そうな感じでした。


更に進んで、此処は「渡り廊下」。 L字形の渡り廊下で中央が太鼓橋
のように盛り上がり疏水の流れが在ります。


丁度、この時「ミニ打ち掛け展示会」が行われて居ましたので写真にしました。
大きさが1/10程で色とりどりの色彩がとても綺麗で、思わずシャッターを切り
和服に余り関心が無くても此のきらびやかな雰囲気は印象的です。


庭園を一回りして、「武者だまり」から好古苑の真ん中を通る通路、両側が
庭園内部となっていて、昔からの地割りの様で漆喰塀の内側は武家屋敷の
敷地となっていて、その各が屋敷単位の庭園として作られ、テーマ別に成っ
て居ます。


「好古園」は姫路城西御屋敷跡庭園として、平成4年に開園した池泉回遊式
日本庭園となっています。
昭和60年以来発掘調査され、面積は1万坪余り、元和4年本田忠政に依って
造営されたのが最初のようです。
「好古園」の名称は、文武両道の振興を図った藩校「好古堂」に由来するとか。

矢張り、日本庭園というのはいくら見ていても飽きない。
西洋の庭園と違い日本人の感性と云う物が繊細、且つ緻密で自然と良く調和
されている。


姫路城(兵庫県)

2009年05月27日 | ドライブ・旅行
「西の丸御殿」に入る手前の庭園から天守閣の眺めは素晴らしい。此処は千姫の日常の散歩
コースで在っただろう・・・・・・・桜の木や松が配された庭園となっている。


姫路城内、第二の門「菱の門」から入り「ワの櫓」に入る、此処から長い「長廊下」いわゆる
「大奥」ですが「千姫」などが暮らした所、右に各部屋、倉庫が作られ大奥の女達の生活が営まれた。
この長廊下の外れに「千姫」が暮らした部屋があり、今回特別公開中で部屋内部の撮影が出来
ました。長廊下は、姫路城の建つ山の地形に沿って建てられている為、同じ1階でも内部に階段が在り、次第に高くなっていて「化粧櫓」に到る頃には可成りの高さとなっている。
上の写真は、「菱の門」から「長局」に入る所の写真です。
下の写真は、「化粧櫓」にある千姫の部屋。


次に「二の丸」に向かう「はの門」をくぐる、下の写真は「はの門」を下から見た所で、この風景は
時代劇のTV、映画などに良く登場する。如何にもお城の中という感じで矢張り絶景ポイント!


「二の丸」から更に進み「にの門」からお城の「倉庫」とも言える場所に出る。
此処は、籠城に備えて塩、水、米などの倉が在る所、天守閣を真下から見上げる位置にある
姫路城全体は、岩山に作られた様で割と岩盤が近く、水を確保するのが大変だったようです。
井戸は幾つもありますが、此処が最後の砦!
下の写真は此処から「長局」(ながつぼね)百軒廊下とも云います。を写した所です。
             

此処から、水御門を通り直接天守閣内部に入ります。
「天守閣」は地下1階、見た目は五階建てですが地上六階の階層があります。
二本の「芯柱」で支えられ土台からの長さ45m程有ります。材質はヒノキでは無いようで改修で
ヒノキを継ぎ足したりしている様です。
写真は二本の大柱、此処が一番上です。この上に一番上の天守閣があります。
              

下の写真は「天守閣」から西方向を見た所です。
右やや上に見える建物は、先程の「百軒廊下」大奥です。始め入った場所は中央左手の方ですが天守閣に来るにはいかに大変か、上から見ると良く解ります。右上にあるこんもりした森は
千姫がお参りした神社「千姫天満宮」、左下方向は「菱の門」、此処から天守閣までたどり着きました。


そして「天守閣」を出て、「備前丸」に向かいます。「備前丸」は本丸の建物が在った所です。
本丸は「本田忠政」の時代に「三の丸」に移されました。
その時代は此処に、庭園と本丸の建物があり景色も全く違う物だった事と思います。
下の写真は「備前丸」の端に在った大木で見事なものでしたが、樹種は忘れました。


此処から「備前門」を通り、「帯郭櫓」(別名腹切り丸)見て「りの門」を通り「お菊井戸」を見ます。
後は、幾つかの「門」をくぐり、元の「菱の門」に出ます。
「菱の門」からの天守閣の眺めは手前の「三国堀」を入れて天守閣を撮影すると「絵」に成り
外国人等が盛んにシャッターを切っていました。
しかしなんと云っても「西の丸」から見た風景が絶景です。

かくて、マスクも付けず、姫路の町中を歩き回ったのに、新型インフルエンザにも掛からず無事
元気にして居る事から世間の大騒ぎも、騒ぎすぎの感じですネ!



宝積山「光前寺」(信州駒ヶ根)

2009年05月06日 | ドライブ・旅行


此処長野県駒ヶ根市赤穂「光前寺」は開創1,150年を迎え丁度、訪ねた時が7年に一度
のご開帳時期でした。秋十月23日より再度のご開帳が有ります。



天台宗別格本山、開祖は本聖聖人、開基年代(860年)。
境内は6.7ヘクタールも有り樹齢数百年ほどの杉の巨木が林立しており、山門からは
しだれ桜が沢山あり、参道の脇には天然記念物の「ヒカリ苔」の群生が見られる。

                  

立派な「三門」をくぐると弁天堂が有り参道の奥に階段越しに「本堂」が見える。
この寺には「霊犬早太郎」と云う犬の伝説が伝わっていて、本堂脇に高さ70㎝程の
その犬の彫刻と由来が書き添えられており、不動明王の化身として、災難除け、厄除
けの霊犬として信仰を集めているようです。

本堂から左手の道を行くと「霊犬早太郎」の墓、更にその左手奥に県指定重要文化財
である「三重塔」が有ります。

          

周りは杉の巨木が生い茂り、境内に幾本かの道が造られさしずめ自然探索路のように
歩けるこの時は「シャクナゲ」が咲いて居た。

      

光前寺敷地の隣には駒ヶ根高原美術館も有り、今回は入館しませんでしたが、時間の
ある時は寄ってみるのも良いと思います。

車で行った場合、駒ヶ根高原観光案内所に車を置き徒歩で回ると、光前寺以外にも
結構観光が出来、帰りがけに「こまくさの湯」で一汗流すのが良い。



甲府市 御嶽昇仙峡

2008年10月30日 | ドライブ・旅行
中央高速甲府昭和インターで降り、県道5号線を北上する、他にも幾つか道が有りますが
距離的にどの道も似たり寄ったりの感じです。
何回か昇仙峡に行っていますが今回は紅葉には少しばかり早いと思いながらですが、それ
でも山の上は多少は色づいていました。

最初に寄ったのは「影絵の森美術館」で藤代清治の影絵、その他東ちずる展、内海けいこ展
山下清展、水木しげる特別展が同時開催されていました。
美術館を出て昇仙峡ロープウェー駅の道すがらは、おみやげ屋のオンパレードでした。
こんな巨大な水晶?メノウ!などが各おみやげ屋の店先に沢山飾ってありました。

さてロープウェーで弥三郎岳展望台に着き、其処で昼食でした、最近はあらかじめコンビニで
お弁当と飲み物を買って安上がりにします。
観光地での食事が割高なので腹ごしらえが目的なら半分以下の金額で済みます。


展望台からの眺めは南側が既にガスって居ましたが、それでも富士山の雄姿を見る事が
出来ました。その他南アルプス広河内岳や荒川岳、鳳凰三山、北岳、駒ヶ岳などを見て
大満足です。
この写真の撮影場所から更に、弥三郎岳山頂まで15分ほど歩きます。この写真は山頂から北側にそびえる、国師ガ岳、甲武士岳などです。
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ロープウエーで又戻り、今度は昇仙峡、「仙娥滝」を見学しました。(写真は仙娥滝下部)
               

此処まで来たからには、矢張り「覚円峰」見ない訳には行きません。
「仙娥滝」から沢沿いに遊歩道を下って行きます、下流の「昇仙峡入り口」まで歩くと可成り
時間が掛かります。「仙娥滝」は昇仙峡の上部に位置しますので、下ってしまうと帰りは
登りを歩く事になるので、今回は諦めて此で帰る事にしました。

此の遊歩道は「昇仙峡入り口」から途中まで自動車道で、ウイークデーは一方通行で登り
方向で使えますが、土日などは歩行者専用になります 。
上部の市営駐車場から下り方向は県道7号線を使う事になります。
これから1ヶ月程もすると「紅葉」も真っ盛りと成り混雑が予想されます。今の内に観光して
置いて正解かとも思います。








「長野善光寺三門」

2008年08月07日 | ドライブ・旅行
この日はウイークデーで公開最終日も近いのですが、参拝客はそれ程多くなく、落ち着いた
雰囲気で拝観出来ました。

善光寺三門は、寛永3年(1750年)竣工、国重要文化財に指定されていて、5年間の平成
の大修理を昨年度末終え、約260年前の建立時と同じに復元されました。
4月24日~7月31日まで第一期公開、9月1日~11月30日まで第二期公開となっていて
特別公開です。

期間中は三門内部を拝観出来、係の方が概略の説明の後、案内をしてくれます。
係の方の説明によると、改修費用は確か8億9千万円とか・・・・・
30名程単位で見学します。ガードマンの指示に従って、三門内部の急な階段を上り、上に
出ます。内部は宗教的な意味合いから撮影禁止となっていて、三門上から景色の撮影も
禁止です。

内部の壁には建立時からの墨と筆書きによる、落書きなどが沢山ありますが、古い時代の
落書きは整然と書かれており、近代の落書き(いたずら書き)とは趣が違います。
近代に書かれたと思えるいたずら書きは「筆書き」の上に金属などでひっかくように書か
れて居て、此は文化財の破壊に等しい。

内部は本堂に背向かいに本尊が構えていて、周りの鴨居に「四国八十八霊場」の各寺院
の木彫りの仏像が置かれています、それぞれ個性的な仏像で四国霊場巡りをした気分
になります。
その他、階段脇の空間に「11面観音立像」が有ります。。。。。。
40年前の「松代地震」以来公開は中止されていましたが、今回40年ぶりの公開です。

「檜原村人里(へんぼり)バス停」

2008年04月25日 | ドライブ・旅行
此処、人里(へんぼりと読む)は武蔵五日市からは都道33号線経由で都道206号線
を奥多摩方面へ向かう途中にある。
或いは中央高速上野原インターで降りて上野原ーあきる野線(都道33号線)を登り
武甲トンネルを越えてから檜原街道に入る事も出来る(東京方面からは此方が早い)

この「しだれ桜」は各地で有名なしだれ桜と同じエドヒガン系の桜で、樹齢はそれ程
でもないと思うが、其れでも幹の直径は50㎝程有るだろうか!
すぐ側のもう一本のしだれ桜も幹の直径が30㎝程で、兄弟の様に仲良く咲いている。

道路側から見ると一本の桜の様に見え立派な景観を作っている。
秋川に流れ落ちる支流の中に育って居るが長い年月にも耐えて育って居る、此の辺
りは開発の手も入らず自然環境が安定しているからこそだ!

人里バス停の素朴な姿の写真も載せたい所だが、都内とは云え素朴な田舎の風景
は忘れがたい。
奥多摩は東京都の重要な水源地帯と成って居るため、今後も開発を慎重に行って
欲しい物だ。
この先奥多摩湖の手前に「都民の森」が有り三頭山ハイキングコースの入り口にも
成って居て、実はこの日ドライブの目的は「都民の森」だったのですが、その場所に
付いては又別の機会に譲ります。


「長野県・高遠城址公園」

2008年04月17日 | ドライブ・旅行
高遠城址公園は、長野県伊那市、諏訪湖から伊那谷を天竜川に沿って下って
伊那市から東方面へ入った山間の街「高遠」に在ります。
一方甲府盆地から国道152号線、杖突峠を越えて、最初の大きな街が高遠でも
あります。
この日は中央高速道、諏訪インターで降りて、少し戻り気味に国道152号線から
杖突峠を越え、高遠の街に入りました。
快晴にも関わらず遠景が黄砂が掛かった様にガスって、南アルプス、中央アルプス
連山がくっきりと見えず、おそらく写真撮影は無理と思って、シャッターを切ることは
有りませんでした。

高遠の街が近づくにつれサクラの木も「コヒガンザクラ」が多く見られる様になります
コヒガンザクラはソメイヨシノと多少違い花びらは小振りで、色も濃く淡いピンク色で
す。高遠城址内のサクラは殆ど此のコヒガンザクラで、中に1本ほど「イト桜系」の
大木が有り、此の木の樹齢は可成りの年数の様でした。

パンフレットによると1500本程の桜が有るそうで、みごとな景色です。
元々「桜」が有った訳では無い様で、明治以降旧藩士等によって植えられてきた様
で「高遠のコヒガンザクラ樹林」として長野県の天然記念物に指定されています。
高遠城址も「国指定史跡」となっています。

話は少し変わりますが。この高遠城の最後の城主が内藤氏で、江戸屋敷が今の
東京新宿に有った事から、内藤新宿と云われ、東京都新宿区では今も高遠町と
交流が有るそうです。 
時代小説などで「内藤新宿」と云う呼び名が良く出てきますが、なーるほど!と
思った物です。



志賀高原

2007年10月27日 | ドライブ・旅行
途中立ち寄ったのが、この写真の「蓮池」だ。
紅葉真っ盛りだった、湯田中温泉を出発して、徐々に標高を上げてゆくに従
って、木々の色も鮮やかになって行く、標高の低いところでは木々の葉先
の方が紅葉して下の方は未だ緑色であるが、標高が高くなるにつれて次第
に下の方まで色づいてくる。
山中になる程、朝夕の寒暖の差も激しく成り、紅葉も一段と鮮やかに成って行
く。ここ蓮池辺りに成ると、ほどよい紅葉だったが、ナナカマドなどはもう少し
標高の高い方が綺麗な感じだ。
木戸池スキー場辺りが一番良いようだ。 その先の横手まで行くと紅葉の盛
りは過ぎた感じになり、色もくすんでくる。
しかしこの横手山辺りからは、渋峠の標高2172mを中心として道路が高い
位置にある為に高原の素晴らしい景色が展開する、木々も、はい松等の高山
性の物に変わって行く。
今回は遠く、北アルプスがよく見え天候に恵まれ、絶景を充分楽しめた。

草津白根山では駐車場から15分程歩くと「お釜」(噴火口)が見学出来る。
歩いて居る途中硫化水素の臭いで「鼻」の奥がつんつん痛くなった、がお釜の
縁に立った時、乳白色の火口湖の色は何とも印象的だ。 

ここからは振り小沢、賽の河原などを経て、草津国際スキー場を抜け「日本ロ
マンチック街道」と称する国道146号線を経て途中から、白糸ハイランドウェイ
の有料道路から、旧軽井沢へ抜ける。

旧軽井沢をなんで、見学しなきゃ~成らないんだ!と辟易しながらも、仕方なし
に人混みを避けて、みんなと反対方向の別荘地内を見学する事にしたが、歩
いて見学するのは無理で、集合時間を見計らって歩ける所まで行って、又同じ
道を引き返す事となった、あ~ぁ疲れた。

「金閣寺」

2007年02月11日 | ドライブ・旅行
先にUPした「銀閣寺」と比較すれば、派手でゴールドの輝は現代
的で、特に外国人には東洋(日本の)美を体現した建物や文化を
理解する上で解りやすいのかも知れない。

以前訪ねた時は、修復以前で在ったので「銀閣寺」と似たような感じ
だった。その後、昭和62年に修復され現在の様に金箔を貼った美し
い外見に成った。

外国人観光客が沢山いて、中国、韓国、インド、ヨーロッパetc・・・・
国際色豊かだった、何と云ってもこの外見は解りやすく「黄金の国ジ
ャパン」を地で行ってる感じだ。矢張りこの派手な外見は圧巻!

余計な解説をする事もないと思うので省略するが、「金閣寺」は銀閣
寺と同じ、臨済宗相国寺派の禅寺、正式名「鹿苑寺」と言う。
矢張り銀閣寺と同じで「舎利殿」等、内部の見学は出来無いので
庭園を一回りするだけになる。
しかし銀閣寺より境内が広いらしく、他の建物が沢山ありそれらを
見て回ったり境内を散策するには飽きない、ただ新緑や紅葉の季節
には、「人」を見て歩く事になりそうで、華やかさは無いがより精神性
を求めて、静かに見学するには今の季節が良い気がする。

「銀閣寺」

2007年02月01日 | ドライブ・旅行
「銀閣寺」は「金閣寺」と比較するとじみ~な感じできんきら
きんの派手さは無い。「銀閣寺」の正式名は「東山慈照寺」
臨済宗相国寺派の「禅寺」で室町幕府八大将軍足利義政
により1482年に建立。

一般公開されているのは、庭園を回るコースだけ、本堂や
書院の「襖絵」観音殿(銀閣)の内部や東求堂等は公開
されていないので、銀沙灘と向月台(砂の庭園)と錦鏡池
の周りを回るコースのみとなる。

銀沙灘は海の波紋を表現し、向月台は山(富士山?)を
表現しているようで、竜安寺の石庭などと比較すると解り
やすい。

観音殿は2層構造の造りで「金閣寺」が3層構造で在る事
から比較すると若干小ぶりだ。
しかし建物その物は「金閣寺」より、落ち着いていて京都
東山文化をより体現しているのでは無いか・・・・・
そんな気がします。
一度2層目の「花頭窓」から庭園を見てみたいモノだ。