J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

埼玉県秩父市「大滝温泉」界隈

2014年02月01日 | ドライブ・旅行
タイトルの写真は「大滝温泉」から数キロ先にある「三十槌の氷柱」(みそつち)で、此の近辺に「秩父路三大氷柱」と云う物があるそうだ。
しかし天然自然に発達した氷柱はこの「三十槌の氷柱」だけで、後は地元の人が沢の水を掛けて氷柱に仕立て上げた物らしい、最もこの「三十槌の氷柱」も全体の半分程は人工的に作り上げた物だ。
写真右半分程がそうで、当日も上部のパイプから「水」が吹き出ていた。
他の氷柱、尾ノ内氷柱あしがくぼの氷柱




東京世田谷区から車で環状八号線を練馬方面に向けて走る。
この日は何時もと違い、やけに空いていて全く渋滞なしで関越自動車道に入る事が出来た。
しかし・・・・交通情報で「川越付近」で事故渋滞との情報!
「所沢から川越インター」まで100分・・・・との事、目的の花園インターまでは可成り掛かりそうで目的地変更も視野に「所沢」で降りる為に出口に殺到する渋滞の列に並んだ。
渋滞に並んでいる間にも交通情報を聞いて居ると、どうやら渋滞解消に向かっている様で刻々と変化している、15分程渋滞に並んでいたが意を決してこのまんま関越自動車道花園インターまで行く事にした。
結果的に多少渋滞でのろのろ運転になったが大正解でした。
「大滝温泉遊湯館」迄は花園インターを降りて国道140号線を50キロ程走らなくては成らないのでロングドライブと成る。(実際には県道72号線を使った)
自宅を10時過ぎに出発して燃料などの補給で時間を食ったが12時前後に現地に到着した。
写真は「大滝温泉施設」と道の駅などの全景。




写真は「三十槌の氷柱」の在る場所で、駐車場から河原に降りる場所から撮った物です。
駐車料金500円取られますが見学は無料です。




上の場所から河原に降りると眼前に写真の様な見事な「氷柱」が見られます。




この写真は縦位置で撮った物ですが、右手の方はわざわざ人工的に水を掛けて作った氷柱で、この写真は天然自然の氷柱のようです。





上の写真の下部をアップで撮った物で、迫力が有りますね。
こうして撮影して居る間にも氷柱の一部が大きな音を立てて崩れ落ちる音を何回か聞きましたが、実際に目撃する所までには至りませんでした、がこの日は暖かく可成り溶けている様で盛んにしずくが落ちていました。




さて「大滝温泉遊湯館」を通り越して「三十槌の氷柱」を見学したのですが、目的の温泉に入る事にします。
写真は一連の施設が建ち並ぶ中で此は「大滝歴史民俗資料館」と手前はお食事処「郷路館」(ごーろかん)そして右端奥は温泉「大滝温泉遊湯館」です。




写真が「大滝温泉遊湯館」の入り口で。食事の前に温泉に入りそれからお食事処「郷路館」で昼食にしました。




写真がその温泉施設内部の一部です。
中にお食事処もありましたが、お食事処「郷路館」の方は手打ちソバで美味しそうなので、ここでは温泉に入るだけにしました。
車で来たのでアルコール類が飲めないのが残念ですが仕方ありません、カミさんも一緒なのですがカミさんに運転させると山の神が爆発しそうなので、ここはおとなしく我慢する事にしました。

この後、隣接する道の駅「大滝温泉」で野菜など若干の買い物をします。
しかし小さい道の駅なので野菜の品数も少なく結局帰り道の、道の駅「花園」で買う事にしました。
道の駅「花園」は地元の野菜が沢山出ていて、しかも安く手に入ります。
途中地元の特産品市場などもあったのですが、帰り道、別な道を通る羽目になり立ち寄れませんでした。
花園インターから大滝温泉までは国道140号線を通るルートと県道72号線があります。
両方とも荒川を挟んで右岸か左岸かの違いでほぼ並行して走っています。

道の駅「花園」で買った白菜を午前中乾燥しましたので、これから漬け込みします。こちらの価格の半値近くで買いました。








東北山形蔵王~鳴子温泉2(福島県松島迄)(続編)

2013年09月16日 | ドライブ・旅行

タイトルの写真は「湯野浜温泉」から「鳴子温泉」へ行く途中に立ち寄った、鳴子峡展望台から撮った物です。カメラの画角で切り取るとまるで山水画の世界。秋には素晴らしい紅葉が見られそうです。 「出羽三山」を廻った後は「湯野浜温泉」へ向かいます。一般道を鶴岡市内を通り過ぎ海岸沿いに在ります。

                             東北山形蔵王~鳴子温泉を行く1(前編)

月山八合目から羽黒山に戻り、今度は「随神門」から表参道を途中まで歩きます。「三の坂」まで歩くと2,466段もの階段を登る事になるのと、すでに午前中羽黒山山頂に行っていますので、国宝「五重塔」を見学するだけで引き返します(一の坂登り口まで)

 

写真が大鳥居越しに見えた「随神門」です。この門を通ると階段が続いて居て、下った所から様々な「神」(八百万の神)の社が林立するようになります。

 

写真がその様子で、樹齢が何百年もの杉の木立の中に「神の社」が立ち並びます。ここから「一の坂」「二の坂」「三の坂」と続き、前回Blog記事の羽黒山山頂へ行きます。

 

最初の階段を下りきった所に「神の社」がまとまっていますが、その外れの一つです。

 

今度は階段を登りに掛かります。緩やかな階段なので楽ですがゆっくり登ります。登った所に出て来たのが目的の国宝「五重塔」です。

 

 

「一の坂」の登り口にそびえるこの五重塔は、素木造り、柿葺、三間五層の均整のとれた優美な姿で、東北では最古の塔である。昭和41年国宝に指定された。創建は塀将門と伝えられ、その後幾度か修復され、現在の塔は室町前期の建造物である南谷(南谷跡・芭蕉句碑)は三の坂の登り口から右折し三百メートル程の所にある、かって芭蕉が奥の細道行脚の折に門人「曾良」と逗留した跡があり「有り難や雪をかおらす南谷」の句碑が建っている。(パンフレットより)

 

五重塔の前を右に折れると「一の坂」の登り口で、写真奥左手がその登り口の階段となる。

 

写真、左下がその一の坂の登りです。写真右は天然記念物の「羽黒山の爺スギ」で下は説明板。 今日の日程はここで終わり、これから鶴岡市内へ向けて車を走らせます。

 

写真は鶴岡市内を通り越し、今晩の宿泊旅館、湯野浜温泉「はまあかり潮音閣」に着いて直ぐに、海岸へ出て「夕日」の撮影に掛かりましたが、丁度雲が日の沈む位置にあり、粘ったのですがサンセットが全く見られませんでした。 部屋の窓からも海は見えますが、丁度夕日の位置に公営保養施設があり、旅館の女将が公営なのに後から建築して民間の旅館の営業を邪魔した・・・・の様な事を聞かされました。

 

写真はこの旅館は10室程の小さな旅館ですが「はまあかり潮音閣」の夕食で、カニが出ました。
しかし飲兵衛にとってカニは鬼門で、カニを剥きながら食べると酒を飲んだ気がしなくなり、全く何をやっているのか解らなくなる。だからカニ料理が出る旅館には行きたくなかった!!
写真の温泉も窓の外に見えるは船形の露天風呂ですが、なんだか子供だましで、マンションのベランダで水遊びをして居る感じで、直ぐに出て仕舞いました。

 

翌日は「鶴岡市内見学」をしてから、鳴子温泉に向かいます。
写真は「鳥海山」湯野浜温泉から「鶴岡市内」行く途中田園風景の中から見えます。へこちら側から見ると富士山のシルエットに似ていて可成り目立ちます。

 

写真は鶴岡市内に入り鶴岡市庁舎駐車場へ車を止め、無料のレンタサイクルを借りる為に「荘内神社」へ行きます。その参道。ここは「鶴岡城址公園」の一角で隣には「藤沢周平記念館」が有りました。
ここでレンタサイクルを借り、鶴岡市内を回ります。

 

写真は鶴岡市役所の前にある「致道館」昔の庄内藩の藩校で、国指定史跡と成っています。
【庄内藩の士風の刷新と、優れた人材の育成を目的に、文化2年(1805)酒井家九代目藩主・忠徳公が創設した藩校です。徂徠学を教学とし、自主性を重んじた教育方針で、各自の天性に応じ長所を伸ばすことに主眼がおかれ、質実剛健な教育文化の風土を育む土壌となりました。現在は、表御門、聖廟、講堂、御入間などが残っており、国指定史跡として一般に公開され、たくさんの人が訪れています。この藩校建築は、現存するものとしては東北地方唯一のもので、歴史的、文化的にも価値が高いものとして知られています】ホームページより

 

写真は致道館内部の展示資料
【東北に唯一現存する藩校建造物として、下記の施設が一般公開されています。致道館に隣接する産業会館や文化会館、市駐車場(市立体育館跡地)なども昔は致道館の敷地でした。現在は当時の約半分の広さとなっています】

 

写真は「致道館」外側(市役所側から)、県道47号線沿いに有ります。(道路を挟んで左側が市役所です)

 

写真は「鶴岡カトリック教会天主堂」で致道館から割とすぐ近くにあります。
【赤い塔屋がひときわ目を引く白亜の聖堂は、明治36年に建てられたものでロマネスク様式教会建築の傑作として国の重要文化財に指定されています。ステンドグラスとは異なる独特の技法でつくられた窓絵や世界的にも珍しい黒い聖母マリアは、国内ではこの教会でしか見る事が出来無いものです】
パンフレットより

 

写真はその内部、敷地に幼稚園が併設されていますが、係の方が自由に内部を見て下さいと云うので入りました。祭壇の向かい側には小型のパイプオルガンガンが設置されていて、ミサの時に演奏される音を聞きたいものだと思った次第。

 

さて、鶴岡市内の主立った所をぐるっと廻り、レンタサイクルを返却して、これから鳴子温泉に向かいます。国道345号線に出て庄内平野をのんびりと走ります。写真はその時に、又鳥海山を撮った物です。次に国道47号線に入り「最上川」に沿って南下します。
地図で見ると国道47号線(北羽前街道)に沿って走っている「羽越本線」は新庄市までは「奥の細道最上川ライン」(陸羽東線)と成っていますが、その先「奥羽本線」と合流し更に「山形新幹線」に成り天童方面と分かれると「奥の細道湯煙ライン」(陸羽西線)と名前が変わる。これは実際に電車に乗り路線図などで調べて路線を走ってみないとややこしくて、解りそうも無い鉄チャンなら詳しいと思うけど・・・・

 

写真は「鳴子温泉」近くまで来て「鳴子峡」に立ち寄った時のもので、タイトルの写真もここで撮りました。鉄橋は国道47号線です。途中国道沿いのそば屋さんで昼食にしたのですが、その量が半端で無く普通の値段ですが、3人前ぐらい在るのでは無いかと思う程大盛りで食べ終わった後、未だ食べたければ沢山在りますよと店主に言われましたが、無料で追加でも食べきれませんです・・・・・・

 

現在の鳴子峡の状況は写真のように至る所で通行止め、現実には峡谷下迄は降りられず閉鎖に成って居ました。大雨で被害が激しいようです。

 

この日は「鳴子温泉」宿泊です。「幸運閣別館」で別館は20室程の建物でした。
写真は翌朝ホテルの窓の前から「陸羽東線」(奥の細道湯煙ライン)鳴子温泉駅方面から仙台方面に進行する2両連結の列車を撮った所です。前日温泉街の中を歩いてみましたが、昔からの有名な温泉どころです。

 

この日は旅行最終日で、この日福島県の「松島湾と瑞巌寺」を観て、東京まで帰ります。
鳴子温泉から国道47号線を更に南下して行き「古川IC」から東北自動車道へ入り「大和IC」で降りたのですが、結果的に大回りになり「塩釜」の市内で渋滞にはまり「松島湾」まで可成り時間のロスでした。写真は「古川IC」に入る手前の道の駅に立ち寄り野菜を沢山買い込みました。そこで撮った写真で、地方の道の駅へ行くと農産物が兎に角安い!東京は高すぎ!!

 

写真は「松島湾」に有る「五大堂」。先の地震と津波の被害も無く無事だったようです。
「松島を代表する建造物である「五大堂」は、大同2年(807)、坂上田村麻呂が東征の折り、毘沙門堂を建立し、後に、慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。
現在の建物は、伊達政宗公が桃山様式の粋を尽くして再建したもので、瑞巌寺に先だって建立されました。桃山建築としては、東北地方最古の建物です」観光案内より

 

写真は「五大堂」脇に在る説明板。
松島のこの場所には3回程来ていますが震災後は初めてで、瑞巌寺山門の入り口にあるお土産屋さんに津波の被害跡があり、古い建物故に修復が出来無いとの張り紙。シャッターが閉まっていました。津波は胸の高さ程に成りましたが、大きな被害は無かったようです。

 

松島湾の景観は変わっておらず、この湾内に浮かぶ大小様々な島のおかげで、津波のエネルギーが弱まり隣接地域沿岸と運命が分かれたようです。

 

写真は瑞巌寺「洞窟群」参道脇に200m程にわたって幾つも掘られています。壁面に「卒塔婆」が掘られていて一部は修業の場として利用されていたようです。津波は参道の途中まで来たようですが瑞巌寺そのものには到達しなかった模様。
ここまで来る時、国道45号線を塩釜港の前を通りましたが、震災以前の様子も解ら無い為、道路側から、又車中からでは津波の被害程度は解らず。時間があれば被害の大きかった仙台方面、名取方面に行きたかったのですが時間切れでした。
又、瑞巌寺は以前に見て回りましたので、今回は時間の余裕も無く「洞窟群」を観ただけで帰る事にしました。又平日にも関わらず観光客が沢山居たのには驚きました。

帰りは「三陸自動車道」松島海岸ICから入り一気に東京へ戻ります。

 完

 

 

 

 

 

 


東北山形蔵王~鳴子温泉を行く1(前編)

2013年09月05日 | ドライブ・旅行
タイトルの写真は「湯殿山」仙人沢大鳥居からバスで「湯殿山神社」まで登り、バス終点から「月山」方面を撮りました。写真のピークは「月山」山頂かどうか不明ですが「湯殿山」山頂の様で「神社」側から見ると可成りの急傾斜です。この日「月山山塊」をぐるっと回り込み「月山八合目」(弥陀ヶ原)にも行き「御田原」参籠所まで歩きましたが、登山目的では無い為ここで引き返しました。




世田谷の自宅を出発して蔵王温泉の「中央ロープウェー駅」に到着したのが12時過ぎ、渋滞無しでここまで来ました。でも車で来ると遠いですね・・・・・・
ここで昼食を摂ってから、この山頂駅「鳥兜駅」までロープウェー(101人乗り)で行きます。そこから「湖沼めぐりコース」のトレッキングをします。
しかし写真でも解るように積乱雲が発達してきて、雷の音が・・・・・ロープウェーの駅長さんの判断で天候の様子を見る為に暫く運休・・・・・30分程待って条件付きで運行再開でした。




不安定な天候で帰りのロープウェーが止まった場合、バスで迎えに行く、と駅長さんの計らいで乗車。写真は「鳥兜駅」からトレッキングの終点「三五郎小屋」方面の写真です。
この右手方向からトレッキングが始まります一廻りで2時間半位の案内ですが実際には1時間半で一周しました。




鳥兜駅で降りてすぐの所に展望台があり、そこから撮った蔵王温泉街の一部です。
この後、急に雨が降り出しましたがすぐにやみそうなので傘を差してトレッキングを更に続けます。




写真は「片貝沼」鳥兜駅から1キロ程歩いた所で雨が降っている為、並行する立派な車道を歩き、案内板に従って山道に入るとすぐにありました。




写真は、割と平坦な森の中の道を歩いて行くと直径十メートル程の小さな沼に出ました「目玉沼」です。すでに雨は止み時折日差しもあり暑くなってきました。




写真は先程鳥兜駅から下の方に見えた「三五郎小屋」、小屋と云っても立派なホテルで一応営業はして居るようでした。しかし冬がメインで夏場は寂しい物です。




三五郎小屋を過ぎてリフト乗り場やレストハウス過ぎると「ドッコ沼」に出ます。
この先に今度は「蔵王スカイケーブル」中央高原駅があります。
中央ロープウェーは大きなゴンドラでしたが、スカイケーブルは6人乗り程の小さなゴンドラで、駅に着いた時乗客は誰も居なく、駅員も見当たらなかったのですが、改札口に入ったら駅員が出て来ました。




写真はスカイケーブルで降りた「上の台駅」。これから車を止めた「中央ロープウェー」駐車場まで蔵王温泉の町中を見ながら歩いて戻ります。




町中には写真のように「共同浴場」が何カ所か有り200円程で入れるようです。
余り大きい建物では無いのですが近くにあった2軒とも真新しい建物でした。
この後「中央ロープウェー」の駅舎に立ち寄り駅長さんに無事下山しましたとお礼の報告。




この日はこれで日程を終え、「上山温泉」へ向かいます。
写真は今日宿泊する「上山温泉」材木栄屋旅館




今日は割と速く旅館に到着した為、未だお客も居無いようで写真は時間制の貸し切り風呂。
18室程の旅館で元々の商売が材木屋で、旅館の建物が立派で落ち着いた宿でした。




翌日「上山温泉」出発。東北中央自動車道上山ICから入り山形JCで山形自動車道に入る。月山ICで降りて国道112号線(月山花笠ライン)を「湯殿山」「羽黒山」「月山」を廻る。一番最初に行ったのが写真にある「湯殿山神社」写真は仙人沢大鳥居(参籠所)でこの写真の位置から参拝のバスが出て居て「湯殿山神社ご神体」の有る所までバスが運んでくれる(乗車賃200円)7分程で参道入り口です。タイトルの写真はそこで撮りました。




写真はバス停から参道を歩いた所で、これから先は全て撮影禁止で写真はありません。ここから15分程歩き、湯殿山神社参詣受付所に到着。受付所でご祈祷料を払いお祓いを受け、靴を脱ぎ裸足でご神体を参詣します。素足で露天風呂地帯のような場所を通り、ご神体の前に出ます。参拝の儀式を一通り済ませ、温泉が流れるご神体の裏側の岩を登ります。「湯殿山神社ご神体」とは大きな岩から温泉が湧いていて、それが「ご神体」とされています。




登り口から振り返り、先程の仙人沢大鳥居方向を撮った所です。左手の山が「湯殿山」。帰りは下りなのでバス道を歩いて仙人沢大鳥居迄行きます。15分程。




写真は仙人沢大鳥居。丁度真ん中辺りに「湯殿山神社」が有ります。





「湯殿山神社」を見た後、今度は「羽黒山神社」へ向かいます。国道112号線(六十里越街道)へ戻り鶴岡市内で県道47号線に入ります。写真は「羽黒山神社」大鳥居、右手は社務所です。




写真は大鳥居を入り右手の社務所を撮った所で。社務所の前に大きな「鐘撞き堂」(大鐘・重要文化財・鎌倉期・日本第三の大鐘とされています)があります。
本殿は左手奥で現在かやぶきの屋根を修理中でした。
「出羽三山-羽黒山(標高414M)月山(標高1984M)湯殿山(標高1504M)は「出羽国」を東西に分ける出羽丘陵の主要部を占める山岳で出羽三山とは、山形県(出羽国)にある月山、羽黒山、湯殿山の三つの山の総称です。
月山神社は、天照大神の弟神の月読命(つきよみのみこと)を、出羽神社は出羽国の国魂である伊氏波神(いではのかみ)と稲倉魂命(うかのみたのみこと)の二神を、湯殿山神社は大山祗命(おほやまつみのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神を祀っています。月山と湯殿山は冬季の参拝が不可能であることから、羽黒山頂に三山の神々を合祭しています。また広大な山内には百八末社といわれる社があって、八百万(やおろず)の神々が祀られています。
出羽三山は元来、日本古来の自然崇拝の山岳信仰に、仏教・道教・儒教などが習合に成立した「修験道」のお山でした。それ故、明治維新までは仏教の、真言宗、天台宗など多くの宗派によって奉仕され、鎌倉時代には「八宗兼学の山」とも称されました。悠久の歴史の中で幾多の変還を重ねながら、多様にして限りなく深い信仰を形成し、「東三十三ヶ国総鎮護」として、人々の広く篤い信仰に支えられて現在に至っています。」出羽三山神社 公式ホームページより




写真は本殿(重要文化財・日本最大の茅葺建物)写真右手の方はかやぶきの屋根の修理中で足場の櫓が少し邪魔です。
私たちは車で羽黒山有料道路を通り羽黒センター駐車場まで来てしまいましたが、本来県道47号から「随神門」を潜り表参道から一の坂、二の坂・三の坂の2,446段の階段を上るのでしょうが50分以上掛かるそうで時間的にも余裕が無く無精しました。




写真は本殿脇にあった看板で羽黒山全山の概念図です。




羽黒山山頂(本殿の有る所)から、三の坂を少し下り、ここで昼食を摂ります。かみさんが写真の「斎館」で是非精進料理を食べたいというので入ってみました。本来は予約制ですが飛び込みで当たって砕けろ! ここは「参籠所」と云われ、いわば休憩所(宿坊)の様な物で出羽三山各にあります。
休憩所のような雰囲気は全く無く修行僧の修行場の雰囲気です。少し引き気味・・・・・

「平成17年(2005)3月 鶴岡市文化財指定
羽黒山参道三の坂を登りきると間もなく左手にある。もとは華蔵院といい、元禄10年(1697)の再建である正穏院、智憲院と共に三先達寺院の一つで、羽黒山執行別当に次ぐ宿老の住した寺であったが、明治の神仏分離の際神社の「斎館」として残った。江戸時代には山内に30余坊あったが全て取り壊され、往時の山伏達の住した遺構として今に残る唯一の建物である。」ホームページより




写真が「斎館建物」の入り口で(玄関)、取りあえずかみさんが食事が出来るかどうか?聴きに行きました。
結果、種類は無いものの食事が出来るそうで、暫く待たされ用意が出来た所で部屋に案内されます。




写真は通された大広間(神前の間)。私たち三人、ご覧のような部屋に案内され簡単な精進料理をご馳走になりました。シーズンオフの良い所で、混雑する時は絶対こんな風には成りませんね!





さて昼食を終えゆっくりした後、玄関から入り口の「門」を見た所です。




写真は「斎館」全景で右手が大広間と厨房で、部屋数は沢山在るようでした。




前後しましたが、写真が「斎館」入り口で参道「三の坂」の途中から入ります。




さて腹が膨らんで満足した後、戻ります。
写真は庶務所左手にある、八百万の神の一部、ここには7つの神が社に祭ってありました。その他至る所に「神」が祭られています。




羽黒山を後にして「羽黒山有料道路」を戻り、次に県道211号線を「月山八合目」に向けて走ります。
「月山八合目」までは40分タップリ掛かります。県道211号線は細い舗装道の山岳道路です。
写真は「月山八合目」駐車場からですが時間的に午後3時を過ぎていますので雲が垂れ込め始めました。




写真は駐車場の端に在る記念碑!




駐車場から少し「月山」山頂に向けて歩いた所にある標識看板。




写真は看板から木道を更に緩やかに上り。私一人で行きましたが「御田原参籠所」ま~山小屋ですね。
写真右の鳥居をくぐると本格的な登山道になり「月山山頂」まで往復4時間程掛かるようです。
私は取りあえず写真だけ撮り駐車場に戻ります。ここら辺までは緩やかな丘のように成って居て湿地帯が広がっています。
写真中央に風車が沢山在りますが、ここには水子地蔵があります。やはり月山は信仰の山ですね!
地図を見ると「月山」はこちら側から登ると緩やかに登るようで時間は掛かりますが天気の良い日は快適なハイキングが出来そうです。

今日は「月山」を見た後、県道211号線を戻り県道47号から羽黒山まで再度戻ります。
表参道の「随神門」を潜り五重塔などを見て回りますがそれは次回に続きます!

2013/09/07 月山登山時間修正


静岡県伊豆「下田市」と「河津町」を廻る

2013年06月28日 | ドライブ・旅行
昔から「伊豆」周辺は有名観光地ですので今更の如くと思いがちですが、今回は思いも掛けず前々日に3人分の電車のチケットと宿泊券などを譲り受け、慌ただしく観光に出かけることになった。
「伊豆」周辺は何度も来ていますが、ここ下田も数回程来ています。
今回は町中を「歩いて」廻ろうと云う事から始めました。


タイトルの写真は河津町にある「浄蓮の滝」この日はあいにくの雨模様でしたが、「河津七滝」をプチハイキングした後、更に河津川上流を新天城峠を越え「湯ヶ島」手前迄移動して「浄蓮の滝」見物でした。
平日なので観光客も比較的少ないのですが、ここ浄蓮の滝でも相も変わらず中国語が飛び交っていました。



写真は「マイマイ通り」下田のメインストリートとも云うべき道で、近くで国道414号線と135号線に繋がっています。
この通りには由緒ある寺や神社が並んでいて、下田市役所もあります。



写真はその内の一つの「宝福寺」。唐人お吉のお墓があります。
又写真右手の木彫りの彫刻は「坂本龍馬」だそうで、ここには勝海舟が山内容堂に坂本龍馬土佐藩脱藩の罪の赦免をした「謁見の間」が有ります。

話は変わりますが、昔若い頃自転車で下田まで来た時「お寺」に泊めて貰ったことがあります。それがどのお寺か思い出せず、この辺りお寺さんの事は確かなんですが・・・・・・



写真は「宝福寺」の脇にあった、説明の看板です。



写真は「長楽寺」、このお寺はロシアの使節プチャーチンと日本側全権と日露和親条約が結ばれた所だそうです。その後日米和親条約もここで締結されています。



「長楽寺」から数十メートルほど歩くと写真の「開国博物館」が有ります。
ペリー艦隊上陸時の資料、その他など当時の歴史資料が沢山在りました。



写真は博物館から道を戻り「長楽寺」を通り越して行と「ペリーロード」が有り「平滑川」に沿って両側に土産物屋や喫茶店など観光客相手のお店が並んでいました。



写真はペリーロードをどん詰まりまで歩くと「下田公園」に出ます。そこは今「あじさいが」満開であじさい祭りの最中でした。
結構港町にしては広い公園で斜面一杯にあじさいが咲いていて頂上まで続いています。



写真は頂上近くから「下田港」方面を撮影した所です。右手が港になります。
写真後側方向へこの公園の頂上を越え向こう側に降りると「下田海中水族館」へ出ますが、本日は頂上へも行かずこのまんま下田駅まで歩いて戻り、ホテルの送迎車に乗ります。途中「なまこ塀」の民家などを見ながら町並みを見ながら戻ります。



写真は今日宿泊する「下田東急ホテル」のベランダから撮影した入り江です。(大浦湾)
写真左手が下田の中心部になりますが山に隠れて見えません。真ん中に見えるこんもりした山は下田公園(城山公園)で向こう側が「下田海中水族館」に成って居ます。
「城山公園」と云われるように、ここは北条氏の「鵜島城址」で有るようです。

「下田東急ホテル」の食事(夕食)は洋食和食両方有りますが初日の今日は洋食にしましたが、どうもホテルのフルコースは苦手で、日本旅館の和食がテーブル一杯にドカ~ンと有るのが好きです。
このホテルは日本食も会席料理みたいに一品づつ出て来るので飲兵衛には物足りないですね。
朝食はバイキング形式で自分の好きに食べられるので満足でした。



さて、翌日曇りベースの天気ですが下田の駅レンタカーを借りて今日は「河津」で行きます。
写真は「河津七滝」の初めの方に出て来る「カニ滝」です。
下田から国道135号線を伊東方面へ向けて行きます。下田から割と近くですが河津温泉から国道414号線へ入り「河津川」を遡ります。丁度「河津七滝ループ橋」付近から少し奥に入った所に河津七滝無料駐車場が有りそこから往復2時間程のハイキングでした。
この辺の「川」は太古の昔、伊豆半島全体が火山で出来た事と、隆起で川の底が溶岩が冷えて出来た「柱状節理」で出来ていて岩が独特の多角形をした柱状に岩から構成されています。
写真左側にその片鱗が見えます。(他の滝の写真にも柱状節理がハッキリ判る写真が有ります)



写真は更に上流に有る「初景滝」。このほかにも各滝の写真を撮りましたが、各滝は「河津七滝」の←の名前をクリックして見て下さい。



河津七滝」をハイキングした後、車に戻り国道414号線に出て「河津七滝ループ橋」をぐるぐる回って更に河津川上流を目指します。写真はタイトルの写真で石川さゆりさんの歌(天城越え)で有名な「浄蓮の滝」です。
浄蓮の滝、見学した後、下田まで戻り途中道の駅などに寄り買い物の後、駅レンタカーを返却して、再度ホテルの送迎バスに乗り込みます。

「浄蓮の滝」を見た後、この日は又「下田東急ホテル」に戻り2泊目で連泊します。
次の日は「下田海中水族館」の見学だけで日程を終了の予定です。



写真は翌日一番で行った「下田海中水族館」で、チェックアウト後、ホテルの送迎バスを途中で降りて下田公園の下のを走るトンネルを抜けます。
そこで「イルカショー」が行われていました。



写真がそのトンネルです。
雨模様でしたが天城峠越えよろしく、歩いて通り抜けました。
一応路線バスが有り、帰りは路線バスに乗り下田駅まで行き、昼食を取った後、又スーパービュー踊り子号で帰って来ました。
登りのスーパービュー踊り子号は乗客が非常に少なく熱海まで先頭車両で鉄チャン気分でした。全席指定なのですが熱海まで先頭車両が空いたのでちゃっかりと座っちゃいました。

2013/06/28,29/ 加筆修正しました。




青森県「岩木山」~「五所川原」その3(最終日まで)完!

2012年09月22日 | ドライブ・旅行
タイトルの写真は「旧弘前市立図書館」で市役所の隣に建っている。この裏手には「旧奥義塾外人教師館」が有ります。更にその裏手にはミニチュアの旧建物群が展示されていて見学出来る。
弘前市内にはこうした古い建物が歴史的建築資料として大事に保存されていて、本来の機能としては使われて居無いようですが、内部を見学で来るようです。

青森県「三内丸山遺跡」~「八甲田山」~「弘前」~「五所川原」を廻る。その1 前々回Blog記事です。
青森県「八甲田山」~「弘前」~「五所川原」を廻る。その2 前回のBlog記事
今回は2日分をまとめました。大鰐温泉から鰺ヶ沢、五所川原を廻って青森へ戻り帰路に着きます。



写真は昨日宿泊したホテル(大鰐温泉不二やホテル)のロビーに展示してあった「薩摩藩島津家」の「篤姫」専用の駕籠で一時外国に渡っていましたがオークションで買い戻したそうです。

今日は大鰐温泉を出発して、弘前市内、岩木山を回って鰺ヶ沢へ行き海岸線を西へ「黄金崎」迄往復して鰺ヶ沢温泉で宿泊します。



写真は弘前市役所隣にある「外人教師館」です。今では一階でコーヒーやランチが出来る様になっていて見学と休憩が出来るようです。



その「外人教師館」の裏へ回ると写真の様な「ミニチュア」の建物群が展示してあり。写真の道路中程に立つと自分がガリバーにでも成った気分になる。




写真の案内板の様に市内にはこうした旧館が散らばる様に残っていて、幾つか見て回りましたが全部廻るにはかなり時間がかかりそうです。




今度は弘前市内から県道3号線を「鰺ヶ沢」に向けて走ります。1時間程走ると岩木山が大きく見えて来ます。写真は「岩木山神社参道」からで、駐車場に車を止めて鳥居をくぐると正面に岩木山神社の山門が見えて来て、山門の真上辺りに「岩木山」が見えます。




写真の山門の奥に「本殿」等があります。丁度岩木山が山門の真上に来て冬に雪を被った岩木山はさぞ美しく見えそうです。
県道30号線に入れば「岩木山」を一周出来ます、又「岩木山スカイライン」で頂上近くまで車で行けるようですが今回は先を急ぐので「岩木山スカイライン」も行かず真っ直ぐ鰺ヶ沢方面へ行きます。




岩木山全景を撮る位置を探しながら走っている内、雲が架かって来てしまい良い写真は撮れませんでした。最も天候と時間的関係からあきらめていましたが・・・・・・



写真は「鰺ヶ沢駅」で「五能線」です。
初期の計画では弘前市から県道28号線で、岩木山方面へは行かず、直接日本海側の鰺ヶ沢へ行く予定でしたが「新青森駅」の観光案内所で県道28号線は難路で慣れない場合止めた方が良いと言う事で県道3号線経由で「鰺ヶ沢駅」迄来ました。



写真は「鰺ヶ沢駅」構内です。此所の観光案内所で「昼食」のお勧め処を聞いてから近くの海の駅「わんど」と言う所で昼食です。
又レンタカーを置いてここから「黄金崎」迄五能線で行く方法も有りますが、今回は車で「黄金崎」迄行き、また同じ道を引き返します。




「鰺ヶ沢駅」で昼食を摂った後、国道101号線西方面へ「五能線」に沿って、日本海を見ながら走ります。
写真は途中五能線「千畳敷駅」海岸で写真の様な「奇岩」が見られます。




写真は千畳敷海岸の岩畳群です。



五能線は日本海側を海岸線に沿って走っていますので、すばらしい景色を見ながら旅が出来そうで写真は「千畳敷駅」に停車している車両で、観光客が「千畳敷海岸」を見学する時間を取り15分程停車してくれるようです。(観光サービス)




更に日本海に沿って白神山地方面へ走ります。写真は「黄金崎」海岸「不老不死温泉」近くで、日本海を望む断崖の上から見る景色は見飽きない。




半島の様になった突端は公園の様になっていて近くに「風車の丘白神展望台」と言う観光施設が有りましたが、時間が無く立ち寄りは諦め「鰺ヶ沢」迄来た道を戻ります。




鰺ヶ沢まで戻り「駅」の直ぐ裏手に今日の宿泊場所が有りました。
写真は今日宿泊した「水軍の宿」と云う旅館の夕食に出た「イトウ」等の刺身盛り合わせです。
もちろん「イトウ」は養殖物ですが、初めて食べましたが非常に美味です。




写真はこの「宿」の朝食バイキング風景の一部。バイキング形式と云っても一部だけで朝食の本体はすでに各テーブルに用意されていました。




この「水軍の宿」は大きさの割に珍しく2階建ての宿で、この宿の裏手が五能線「鰺ヶ沢駅」となっていましたが朝宿を出発するまで駅の裏手で有る事に気がつきませんでした。

今日旅の日程は鰺ヶ沢から五所川原「たちねぶた会館」に立ち寄り「青森港」でゆっくりして東京に帰ります。



「宿」を出発してから国道101号線を南下します。やはり「五能線」に沿って国道が「五所川原」まで続いています。
写真は「岩木山」の姿の良い場所で車を止めてカメラを向けた序でにレンタカーごと撮った物です。



畑の真ん中に国道101号線が通り、遠くに「岩木山」が霞んでいました。
お米の穂が黄色くなり始め重く垂れ下がる様になっていました。



いよいよ「五所川原」に着きました。鰺ヶ沢から1時間程で到着しました。この写真は前回3年前に行った時に撮影した物ですが「ねぶた会館」です。写真の観光バス位置のガラス窓が開き「たちねぶた」が直接出られる様になっています。
序でにこの近くに「錦町」が有りますので、そこに立ち寄ります。ナゼッテ?・・・・・
私が作詞作曲した「旅ガラスの唄」に此所「五所川原の錦町が」出てくるのです。
(曲名をクリックするとプレーヤーが立ち上がりmp3が再生されると思います)

作詞 作曲 編曲 見城 譲
 1 旅の夜風に 追い立てられて 行は三陸海街道
流れ着いたは 五所川原
あすはいずこの 町へ行く
あ~あ今宵も 一人旅がらす

 2 いとしあの娘の 面影追って 行けば懐かし錦町
にじむ町並み さよならと
あすはいずこの 町へ行く
あ~あ今宵も 一人旅がらす

 3 ここは最はて 岬の先に ともる明かりは函館の
町に夜霧が 目に沁みる 
あすはいずこの 町へ行く
あ~あ今宵も 一人旅がらす




写真はねぶた会館に保存してある「またぎ」と云うテーマで作られた物で、3年前に実際に「山車」として町中を引き回された物です。
3年前丁度この「またぎ」を制作している現場を見学しました。




写真は昨年のテーマ「義経」で各年色々テーマと物語が有るようです。
ここのねぶた会館に3年間保存され順次更新されて行きます。




写真は今年のテーマ「復興祈願」です。今年はこの「山車」が町中を練り歩いたのでしょう。
以前見学した時は「山車」の台車に後援者として「電力会社」の名前がでかでかと書かれていましたが今年はさすがに名前は有りませんでした・・・・・・




写真はエレベーターで4階まで上がり、らせん状の周り廊下を降りてくるのですが、その途中に有る「たちねぶた」の説明の一つです。




写真はそのらせん状の階段の途中から色々撮影した物をまとめました。



五所川原を後にして「青森港」に直行します。
国道101号線を更に南下すると道は国道7号線に接続しますが「津軽自動車道浪岡五所川原道路」の一部無料区間が有りましたのでこの高速区間を使い青森市内に入ります。
写真は青森県観光物産館(アスパム)へ車を止めて「港」界隈を歩きます。真ん中の黄色く塗られた船体は「八甲田丸」青函連絡船で引退した後係留されて今は内部が見学で来るようです。




写真がその青函連絡船の旧停泊場所で鉄路がそのまんま残されています。
青函トンネルが出来るまでは物流の大動脈として活躍していたのですね~




帰りの新幹線の時間まで余裕が有るので「アスパム」の展望台まで行き青森市内を見渡す事にしました。
写真は「青森港」でヨットハーバーも一緒で停泊している船影も少なかったのですが何となく経済の沈滞を思わせます。




写真は西方向町中方面です。遠く「岩木山」は殆ど霞んでしまって見えませんでした。




写真は青森駅の線路をまたぐ歩道橋の上から青森駅ホームを撮した所で、余り人影が見えません。



写真は青森駅ですが、何となく閑散としているのが気に成ります。
新青森駅と青森駅で乗降客が二分される影響でしょうか・・・・・




青森駅から15分程で新青森に着きます。
此所でレンタカーを返却して新青森駅構内にてお土産などを購入する事にしました、と云っても買う所は此所しか無いのですが・・・・・
新青森駅は「畑の中」に忽然と出現した感じの駅で周りは畑や荒れ地ばかりでした。




写真は東京行き新幹線「はやて」で、これに乗って帰ります。19時08分東京駅着。

今回の旅は自ら計画してレンタカーを中心に計画しました。天候にも恵まれましたが何せ真夏の事で非常に暑かった!
八甲田山の山の上でも暑さは変わらず。弘前市内では町中レンタサイクルで移動しましたが暑い事暑い事。日程中、暑さで衣服が汗で汚れたりして弘前市内で衣類を急遽買い足したりしてのんびりした旅行ではのおもしろさが有りました。


















青森県「八甲田山」~「弘前」~「五所川原」を廻る。その2

2012年09月09日 | ドライブ・旅行
タイトルの写真は「弘前城天守閣」この日八甲田山「田茂萢岳」山頂で遊んだ後国道394号線ー国道102号線を辿り「弘前」に向かった。途中「津軽こけし館」に立ち寄りこけし展示館などに寄ってから「弘前」に入り。町中レンタサイクルを借りて弘前城内を見学しました。

青森県「三内丸山遺跡」~「八甲田山」~「弘前」~「五所川原」を廻る。その1 前回のBlog記事です。




写真は八甲田山、あいにく天候は晴れという物の雲の多い日だった。午前9時30分の時点でこのような雲が沢山出ていてすっきっりとした景色を見る事は無理な気配だ。
この写真は「萱野高原」を通過中に撮影しました。



写真は八甲田ロープウェー山塊駅、20分間隔で運行されていて 「田茂萢岳」山頂公園迄は10分程。
100人乗りの大きなゴンドラで、この時同じゴンドラに乗り合わせたのは20人程で団体のツアー客や登山者、一般の観光客でした。




写真は山頂公園駅近くにある案内図でご覧の様に湿原地帯を八の字型にぐるっと回るコースを選びました。
ここから八甲田山主峰「大岳」そして「酸ヶ湯」へ下るコースで4時間程で行けますが今回はパス。同じゴンドラで来た方の中に私たちと同じ世代のご夫婦が居て「大岳」迄行くようでした。



写真は湿原に生えている「青森とど松」で、ご覧の様に先端部が折れて枝が雪の重みで垂れ下がっています。こうした多くの「とど松」の先端部が折れていて冬場の厳しさが判ります。
この木の幹の直径は60cmほど有り、かなりの樹齢と思いますが何十年か何百年か判りませんが、風雪に耐えて生き延びているのですね~
冬になるとこれが「樹氷」と成り八甲田山の独特の景観を作るのですね!



写真は「田茂萢湿原」(たもやち)に付いて解説している看板です。この時期すでに高山植物の開花などは終わっていて、目立った花等は見当たりませんでした。




此所の谷地が一番大きく向こうの山は「赤倉岳」と思われます。
この湿原を廻るコースは「八甲田ゴードライン」と言い、木道上を八の字型に周回するコースで2km近くの行程は殆ど上り下りが無いのでとても楽なコースです。
その他の登山コースに「毛無岱」「下毛無岱」と言う湿原地帯があります。




写真は山頂湿原を一廻りして山頂公園駅の展望台からゴンドラを撮影した所です。
山頂駅からは起点「八甲田ロープウェー山塊駅」は見えませんでした。




八甲田山を後にして国道103号線から国道394号線に入り次に国道102号線に入った辺りで「津軽伝統工芸館」に立ち寄った。写真はその内の一つ「こけし灯籠」のお店で撮した物で、初めて見ました。又「津軽こけし館」も有ったので日本のこけしの歴史、こけしの系譜等こけしの奥深さを知りました。(有料)





次に八甲田山から十和田湖方面に向かい「奥入瀬渓谷」を回るコースも考えられますが、以前に十和田湖奥入瀬渓谷は行っていますので、今回は直接「弘前」迄行きます。

写真は「弘前城追手門」(ひろさきおおてもん)で隣にある「弘前市立観光館」でレンタサイクルを借り「弘前城」を見て回ります。




写真は「追手門」の所で外堀を渡り次に内堀に架かる「杉の大橋」です。
この橋を渡りさらに「南内門」をくぐって回り込むと漸く「天守閣」が見えて来てタイトル写真の様に見えて来ます。天守閣に行くには更に「堀」を渡り回り込んでタイトル写真の向こう側入り口に到着します。



天守閣に入場(有料)すると内部は展示館の様になっていて、写真の様な刀剣などが展示してありました。何という銘の刀かチェックは忘れましたが、見ていて飽きません。




更に天守閣最上階です。




天守閣から出て「本丸跡」を通ります。この桜が有る場所は「本丸御殿の玄関」が有った場所で、見事なしだれざくらが有りました。




写真は「本丸跡」を通り「北の郭」から「西の壕」と内堀の間に有る「桜のトンネル」です。
城内は至る所に「桜の木」が有り、この「桜のトンネル」のトンネルも季節には人の波でごった返す事と思います。




写真は「西の郭」の壕に咲いていた「蓮」で未だ蕾みも沢山有り関東地方では終わりに近い蓮の花ですが此所は未だ見頃でした。
この日も気温が高く暑い日で日差しの中、自転車を漕いで居ると汗がしたたり落ちてきます。この後弘前の町中を少し廻りましたがあまりにも暑いので早々に引き上げ観光会館の中で涼む事にしました。
本日の日程はこれで終了。これから弘前から程近い「大鰐温泉」に宿泊します。




写真は宿泊した「大鰐温泉」の宿から翌朝早朝にから窓から撮影した物です。
町中を流れる「平川」と言う河川の側に立つ宿から上流に川霧が立ちこめなかなか風情がありましたが宿の窓からだけでは良い写真が撮れませんでした。良い写真を撮ろうと思ったら無精してはいけませんね!














青森県「三内丸山遺跡」~「八甲田山」~「弘前」~「五所川原」を廻る。その1

2012年09月03日 | ドライブ・旅行
タイトルの写真は「新青森駅」の改札口を出て少し歩いた所に有った。
観光を主眼にした地方都市に行くとこうした「県」を上げての力の入れ方が伝わって来る、青森と言えば原発関連が真っ先に頭に浮かぶ。ここ新青森駅も開業して間もないせいか、駅周辺は未だ閑散としていて人家や施設が少ない。買い物や食堂は駅構内だけのようだ。



まず新青森駅でレンタカーを借りて「三内丸山遺跡」に向かった。
写真はその入り口で新青森駅から車で10分程の所に有り、小高い丘の様な地形となっていて、遺跡発見のきっかけはここに大規模な「野球場と関連施設」を作る予定だったそうで、その建設途中で遺跡が有る事が判り結果的に「野球場と関連施設」の建設は中止と成った様です。



ウィークデーなので館内は閑散としていて此所で「新青森駅」で買い求めた「お弁当」を食べる事にした。




写真は遺跡群の中「竪穴住居」(復元)で「三内丸山遺跡」全体の面積は東京ドーム7個分程の広さがあるそうで、現在でも遺跡の発掘調査が行われている。




写真は復元された「櫓?」でロシアから栗の大木を取り寄せて組み立てたそうだ。
直径1m程の栗の木6本を使って高さは23m程、しかし何に使用したかなど詳しい事は一切不明で現代人が勝手に想像して復元しただけの様です。
奥に写っているドーム状の建物の中はこの櫓の遺構で柱の残骸を見る事が出来る。又この右手の方には子供のお墓と思える場所でトレンチ調査の後そのまんまの形で保存されています。



写真は館内に在る発掘物の展示館でトレンチ調査の後です。所々に出っ張っているのが縄文土器などのかけらです。展示館に戻る前に現在の発掘調査現場を見学する事が出来、この日も数名の方が発掘に携わっていました。



その他の展示物を幾つかまとめました。
左上の写真は「縄文のポシェット」と言われる物で大きさは20cm四方位の大きさで小さい物です。その他は土器や矢尻などです。




写真は大規模な集会所と思われる施設を再現した物で、粗末な個人の竪穴住居と違い大きく立派で頑丈そうな作りで共同体の重要施設なのだろう。




写真は「青い森鉄道」浅虫温泉駅。「三内丸山遺跡」をゆっくり見学した後、次に今日の宿「浅虫温泉」へ向かった。浅虫温泉は陸奥湾に突き出た「夏泊半島」の付け根辺りに位置する。
「三内丸山遺跡」から国道7号線および国道4号線を南下して行く。




この「青い森鉄道」浅虫温泉駅は駅前に足湯もあった。電車の本数も多く貨物列車も結構頻繁に通っていた。



写真は「浅虫温泉駅」全景で写真右奥に無料で足湯に浸かれる。
左手の階段を上り、横断歩道橋を渡ると海岸で陸奥湾の夕日を眺める事が出来た。




これがその足湯の写真、この写真は翌朝撮影した物ですが。閑散としていて少し寂しい。
奥に写っている大きなビルの手前の白い建物が宿泊したホテル。




近くに「海釣り公園」等があるが、人が余り居無い。写真はヨットハーバーらしいがヨットが見当たらない!この時も海岸の人影は私たちだけだった!




時間的に夕日には少し早かったが夕方の海を撮ってみた。
今日はここで泊まり、明日は「八甲田山」に行く、今回は登山では無く観光でロープウェーで山頂まで行き山頂の湿原地帯を1時間程歩くコースだ。

この日青森地方も気温30数度で非常に暑かった。










群馬県「谷川岳」一ノ倉沢を見る

2012年06月05日 | ドライブ・旅行
タイトルの写真は「谷川岳」一ノ倉沢の岸壁。
この時期山開きには1ヶ月程早く、観光客も比較的少ない。天神平までゴンドラリフトで上がりその
後降りて、今度はユビソ川沿いをマチガ沢を通り越し、一ノ倉沢出合い駐車場まで来る事が出来ました。
まだ残雪が多くこの日、下からズームレンズで見る限り「登攀者」は発見出来なかった。

昔、若い頃「谷川岳~一ノ倉岳~茂倉岳」を縦走した時一ノ倉岳稜線上から此所の岸壁を見下ろした
事が有りますが、その時カ~ン、カ~ンと岸壁にハーケンを打ち込む音が響いていたのを思い出します。
この一ノ倉沢出合い駐車場へ来たのは初めてで下から見上げる岸壁の迫力は凄い!
写真右1/3程に写っている岩場は一群の「衝立岩」この岩場で数々の悲劇が起こっています。
特に「衝立岩」中央部にオーバーハングして居る部分は最難関で「宙づり状態」で遭難した事故は今
でも覚えています。改めてご冥福を祈ります。
谷川岳は「魔の山」とも言われているようですが、西黒尾根を登っていて「森林限界」を超えた辺り
から「遭難碑」が並ぶように林立します。この山塊で780人以上が遭難死して居る事から、そんな不
名誉な言われ方をするんですね~



写真は谷川岳ロープウェー駅と駐車場やその他の施設。
中央に見える「道路」を遡ると一ノ倉沢出合まで行く事が出来る、この先2キロで「西黒尾根登山口」に出ます。
此所の手前の「JR土合駅」に着いたのが9:30頃で車では僅かな時間ですが、「JR土合駅」から歩く
となると可成り時間が掛かりそうです。



ロープウェーで登るとあっという間に天神平駅に着いてしまった。
登山道を上ると5時間近く掛かるのですが・・・・・
この日はロープウェーも乗客が殆ど居無く22人乗りのゴンドラには私達の他に二人居ただけで、や
はりシーズンオフは空いていて宜しい!
次に写真に写っているリフトを乗り継いで標高1.502mの「天神峠駅」迄行きます。




写真はリフト終点「天神峠駅」から見た「朝日岳、白毛門、笠ヶ岳」です。丁度「湯桧曽川」を挟ん
で谷川岳の反対側にあります。
この右手方面には尾瀬「至仏山」更に右方向には「武尊山」等が見えていました。




リフトに乗りながら、下を見ると山野草がちらほら見えます。写真は「水芭蕉」この他にもカタクリ
ショウジョウバカマなどが咲いていました。




写真は「谷川岳」本峰左のピークは「トマノ耳」1.963m、その右は「オキノ耳」1.977mで「双耳峰」
と言います。「トマノ耳」の左手に「肩の小屋」が見えていますが左手からの尾根筋が「天神尾根」で
撮影位置から登ると3時間程で山頂に着けるようです。




写真は「谷川岳」本峰から左方向に目をやると「万太郎山」1.954m「仙ノ倉山」2.026mと尾根が続き
ます。
国境の山々はようやく冬が終わろうとしていますが未だ標高の高い山や低緯度地方の山は残雪が多く
簡単に登山者を受け付けてはくれないようです。




写真は天神尾根と谷川岳、リフトの終点「天神峠」にはご覧のように残雪が未だ有り、写真中央右下
の登山者が居る所が天神尾根登山道で先の方へ行くと結構ヤセ尾根となっているようです。




写真は「西黒尾根」登山口。「土合駅」から2キロと少し歩いた所に在ります。
此所から行き成り胸突き八丁の急登が始まります。谷川岳は3回程登っていますが、今は無理かも?




写真は上の写真と同じ所を画角を替えて撮しました。
「西黒尾根」は2回程、3回目は「マチガ沢」から「厳剛新道」沿いでした。
この3回目の時35歳程、10代の若者と一緒でしたが山頂に着くまで、1時間程差が付き・・・・・
それ以来登山から身を引いていました・・・・・・




写真は「一ノ倉沢」へ先に行き、帰りがけに「マチガ沢」の写真を撮りました。
「一ノ倉沢」と比較して「マチガ沢」は幾らか穏やかな岸壁です。




さて、谷川岳を後にして昼食です。湯桧曽川沿いのそば屋さんに入りましたが、それが又凄い店で
そば屋さんなのに骨董屋さんに入った錯覚に捕らわれるような店内に思わず「絶句」!
70歳代と思われる店主は元国鉄職員で、55年間にわたり骨董品を収集したとか・・・・
是非見学して下さいと言われ、見学しましたが(ハッキリ言ってがらくた)・・・・・それより美味
しい蕎麦作りに精を出して欲しかった・・・・・・・!!(名誉の為に写真は載せません)

そんな訳で一路関越自動車道に戻り「水上IC」から「小出IC」進路を取り「入広瀬村」に直行し
ます。本当は此方が目的で「山菜採り」なのです。
其処の宿「休場」(昨年もBlog記事しましたので此方は割愛)
で・・・・・其処「休場」で「キビタキ」が窓ガラスに激突して動けなくなっているのを見つけ、
「休場」の大ばーちゃんの手に乗っている所の写真。
この後この鳥は、人間に触られるのを嫌ったのか、飛んで行きました。生きていれば
良いのだけれど・・・・




写真は夕食時に出た、鮎の塩焼き、後からOさんが釣って来た「イワナの塩焼き」が出ましたが
すでに食べ過ぎ、飲み過ぎでイワナは食べられ無かった・・・残念!
(2012/06/09に写真と文章を追加)





写真は翌朝まだアルコールが多少残って居る感じの時間に「休場」から見える景色を撮影した物です。
山菜料理と川魚の塩焼き、「休場」のご主人の美味しい手打ち蕎麦を食べ。私が持って来た地酒を飲
み満足の夕食でした。(しかし山菜天ぷらを食べたせいで蕎麦が余り入らなかった)




写真は帰りがけ、関越道「堀之内IC」近くの「奥只見レクリエーション都市公園」で開催されて
いる「芝桜祭り」を見学。次に近くに在る「永林寺」に「石川雲蝶」の彫刻を見に行きました。
写真遠くに見える山並みは越後三山「越後駒ヶ岳」「八海山」「中ノ岳」です。

此所は昨年行った、曹洞宗赤城山(せきじょうさん)西福寺と近くですが此所にも「石川雲蝶」の
足跡があります。
この二つのお寺参りで「石川雲蝶」の作品を見て回るのも良いと思います。


今回此の旅はメインが「山菜採り」で近年毎年の行事に成って居ます。
今回は山菜採りをする時間が殆ど無く、何時もの友人に分けて頂く結果になりました。
K君有り難うございました。ワラビのあく抜きには失敗しましたが他は全部上手く調理出来ました。
又次回も楽しみにしております。






長野県安曇野「満願寺」を訪ねる

2011年09月16日 | ドライブ・旅行
タイトルの写真は「満願寺」参道入り口に在る「微妙橋」この橋を渡ると「三途の川」を渡る事に成るそうで橋の裏側に「経文」(陀羅尼)が書いてあるそうだ。
日本三霊橋のひとつで(満願寺微妙橋、高野山無妙橋、越中立山無明橋)安曇野市の有形文化財に指定されている。



写真はその参道入り口の全景で、写っていませんが写真右手奥に参道が有り、六地蔵が迎えてくれる、写真左手の「堂」は地蔵堂で此の脇を左手方向に登って行く。
つまり、参道から入り「六地蔵」をお参りして「微妙橋」を渡り「地蔵堂」の前を通り更に参道を行く!



「満願寺」が作られたのは弘治2年(1556年)らしい・・・・
安曇野平野の西の端に有り、北アルプス「常念岳」の麓に位置する此のお寺は由緒ある寺院で村はずれの山寺と言った趣です。
写真からも判る様に「信州二十六番札所」と成って居て真言宗豊山派の寺院です



つまり、上の写真。参道から入り「六地蔵」をお参りして「微妙橋」を渡り「地蔵堂」の前を通り「賽の河原」と言われる地蔵が乱立する前を通り過ぎ更に参道を行く!



「微妙橋」を渡って振り返ると見事な彫刻が施された橋が浮かび上がる。
これで「極楽浄土」への切符を手にした事になるのかナ~・・・・
この橋は明治39年(1906年)に木曽福島の大工瀬川伊勢松氏によって再建されました。



参道の坂道と階段を上って行くと鬱蒼とした杉林の中で苔むした参道が続く。
確か階段は178段と、思ったが・・・・・・



やがて「仁王門」が出てくる、此所まで来ると本堂も近い。
残念ながら仁王像の撮影はしていません。



「仁王門」をくぐり鍵の手に登ると鐘楼が見えて来た。
手前に「手水舎」が有り、私としては珍しく儀式に乗っ取り手を清め口をすすぎ。柄杓を洗い清め・・・・・・一連の動作を執ってみた!
ついでに鐘を突きたかったが、そこまでの勇気は無かった!



そして「本堂」此の本堂の左脇に「魔尼車」が在った。
「魔尼車」とは、般若心経が書いてあり経筒に軽く手をあてて左に回すと、般若心経を一回唱える事になる、誠に便利な理屈で、チベット仏教の寺院によく見られます。
その時「ギャーテイギャーテイハーラーギャーテイハーラーソーギャーテイボージーソワカー」と経文を唱える・・・・・と説明文には書いて在りました。
本堂内には入りませんでしたが、中には「曼荼羅絵」が有り極楽、地獄などの絵が在ります。
今回、私には珍しく、お賽銭と線香を手向けました・・・・・・



「本堂」手前には「聖天堂」が有り。此の建物は「微妙橋」を再建した木曽福島の大工瀬川伊勢松氏によって明治39年(1906年)に建てられました。
唐破風等には繊細な彫刻で堂内聖天尊「大聖歓喜自在天」とも呼ばれ、財宝、和合の神インド仏教から伝わった様で、天井には「龍」が描かれていました。



本堂の左手の方には「弘法大師銅像」、真言宗の開祖(空海)が有りました。



満願寺は「ツツジの庭園」で有名らしく、季節には沢山の人が訪れるそうな・・・・・
残念ながら今は、見るべき花が何も無く「ツツジ庭園」の「東屋」がひっそりとたたずんでいました。



庫裏を回り込んで「ツツジ庭園」を降りて行くと「蓮池」に出ます。
寺院の裏手に成り参道を通らずに、下へ降りる道が付いていますが、私達はもう一度山門へ戻り来た表参道を戻りました。

この安曇野の一日は天候が悪く、時折雨がパラパラと落ちる様な天気で北アルプスの山々及び「常念岳」は全く姿を見せる事が無く残念でした。








九州熊本県熊本市 水前寺公園と熊本城

2011年08月15日 | ドライブ・旅行
熊本県 天草市」「熊本市 阿蘇山を観る!」は、クリックして下さい。

タイトルの写真は熊本城内「竹の丸」付近から「飯田丸五階櫓」とその周りを撮影した物です。
まるで要塞の如くそびえる様は見事な物です。
此の右手奥の方に「本丸御殿」「天守閣」と続くのですが「竹の丸」(広場)は「櫨方門」(はぜかたもん)から近く此所から敵が攻め込んできても、そう簡単に天守閣へは行けません。



今日はマズ「水前寺公園」から見て回る事にしました。
朝ホテル日航熊本を出て前の通りを走る路面電車で水前寺公園迄行きます。
未だ朝早いせいか団体客が少なく静かな朝の水前寺公園を見て回る事が出来ました。



水前寺公園は正式には「水前寺成趣園」と言い園内に有る「出水神社」の管理のようです。
桃山様式を代表する回遊式庭園で、1636年(寛永13年)細川家第三代忠利公が「国府の茶屋」を設けた事から始まります。その後三代80年に渡って完成し「成趣園」と命名され今に至っているようです。



正門入り口から入ると庭園を挟んで奥の方に流鏑馬の馬場が有ります。
写真下が馬場で右上は馬場と平行に左右月山の様になった所で馬場と区画を分けています。
「水前寺」と言えば私等の世代は歌手「水前寺清子」さんを思い出します。実際芸名は此所の公園から名前を拝借したようです。



熊本や広島と言った都市は路面電車が通勤の足代わりの様で車両の種類が様々有り見ていて楽しい。その一部を写真に納めました。レトロな物から新型まで彩色もカラフルです。



さて、一端ホテルに戻りチェックアウトをしてから今度は「熊本城」の見学に行きます。
写真は路面電車を降り「加藤清正公像」の有る「行幸橋」を渡り坂を登ります。その途中からの「飯田丸五階櫓」をお堀側から見た所です。丁度タイトルの写真と反対方向から撮した感じです。



次に「行幸坂」を登った場合「頬当御門」から入るのが順当です。写真はその御門から入ると真っ先に出てくるのが此のシーンです。天守閣が見えていますがたどり着くまでは幾つかの角を曲がらなければ行けません。



写真は「宇土櫓」熊本城で唯一現存するのがこの「宇土櫓」他は修復修理や再建で創建当時
のまんまと言うのは無いようです。
多層櫓で地上5階地下1階、他の城郭では優に天守閣に匹敵する規模です。
往時の熊本城はこの様な5階や3階建ての櫓が林立し、難攻不落の巨大要塞だった様です。



「宇土櫓」の内部の写真です。
柱や床には当時、の建築時の「ちょうな」(道具)の跡がハッキリ付いています。



写真は「宇土櫓」から見た「大小天守閣」です。
天守閣、本丸御殿一帯は西南戦争の時焼失し1960年(昭和35年)に外観復元。
大天守は地上6階地下1階、石垣の上から高さ30m、小天守は地上4階地下1階、高さ19mで内部は資料館と成って居る。



写真は「本丸御殿」への入り口が有る「くらがり通路」。此所を通って再建された「本丸御殿」へ行く。



「本丸御殿」の「大広間」まだ建てられたばかりで檜の香りがする・・・・・・
正面奥に見えるのが「昭君の間」で金箔に色鮮やかな色彩が再現されている。



当時の実際の絵柄は焼失して不明のようですが、こんな図柄だろうと再現想像図のようです。
他に何枚か当時の絵柄は残されているようですが・・・・・・・
上部の白い漆喰などは未だ再現が難しいようです。



「本丸御殿」を出て、更に城内を巡ります。
写真は「櫓」群、手前から源之進櫓、四間櫓、十四間櫓、七軒櫓、田子櫓、こうした櫓が他にも幾つかあります。



写真は「二様の石垣」と言われる場所でビュースポットでもあります。此の石垣は「武者返し」と言われる物で、此の城独特の物です。
順路は此の後タイトルの写真「飯田丸五階櫓」の見える場所に行きます。



熊本城内「竹の丸」付近から「飯田丸五階櫓」とその周りを撮影した後、「須戸口門」から城外へ出ます。
写真は内堀である「坪井川」に沿って「櫨方御門」~「須戸口門」迄続く「長塀」の内側と外側からの写真。

此の後お城の向かい側のオフィス街へ出て昼食後、熊本バスターミナルへ戻り帰りの飛行機の時間まで時間があるので熊本バスターミナル近辺をぶらつきました。
飛行機の離陸時間が19時なので離陸後外の景色は見えず・・・・・こうなると飛行機も退屈です。。。。。。。。。




新潟県「入広瀬村」

2011年06月07日 | ドライブ・旅行

入広瀬村」は新潟県魚沼市でほぼ福島県との県境に近い所だ。この度の震災の影響は表だっては無い、関越高速道小出インターを降りて国道252号線を一時間程北上し目的の場所は民宿「休み場」以前は「休場」(やすんば)と言ったが今は地図を見ると「休み場」となっている。タイトルの写真は「守門岳」



写真は「入広瀬村」の中心部少し手前に在る「鏡ヶ池」の道の駅、此所で「昼食」に「ごっぽうそば」なる物を食べましたが、そばのつなぎに山ゴボウを入れるそうで、コシの在る手打ちそばで写真の建物の入り口にそば打ち用の建物が見えます。



現地待ち合わせで30分程の遅れで「休み場」に到着。写真左上は民宿から「破間川」(あぶるまがわ)上流方面を撮した所「破間川」の源流は守門岳、浅草岳などからの流れを集めやがて魚野川となり信濃川に合流する。写真右は民宿裏に在る田んぼに居たアマガエル、すでに体色が黒くなって居た。写真左下はワラビの新芽、写真中は近所の田植え風景、写真右は大きくなったウド、これ位大きくなると硬くて食べられ無い!



「破間川」に沿うように村の道を歩きながらワラビ、蕗などを採りながら歩きます。正面に雪形が残る守門岳、右手に浅草岳を見ながらのんびりと行きます。写真は「浅草岳」



民宿「休み場」に近い田んぼに「六地蔵」が在りました。望遠レンズで撮りましたが更にトリミングしてモノクロ仕上げにしました。村の古老に聴いてみないと、その謂われは判りませんが、数十年前、此所「入広瀬村」は「山菜王国」として売り出しましたが多分同時期、電源開発でダムなどが多く作られ村は可成り潤ったのでは無いかと想像出来ます。しかしそうした電源開発による予算で潤うのは一時!やがて村は衰退して行きます。主な産業がない過疎が進む村の悲しさかも知れません。 その昔は、雪深い大変な地域で悲しい村の歴史が在るのかも知れません。今、原発が大問題と成って居ますが村人の「本音」は原発やダムを好んで受け入れた訳では無いはずで、国の「電源三法」に寄る誘導政策でお金で地方自治を潰した様な物です。そんな村の歴史を、この六地蔵達は黙って見つめているようです。



話が少し脱線しましたが、写真は田んぼの畦に咲いていた「スミレ」ですが、何というスミレか素人には判りませんが紫色がとても鮮やかでした。



写真は民宿の直ぐ下に在る土手に生えるクヌギに絡んでいる野生のフジで、至る所に在ります。満開になるとフジの木と間違えそうになるくらい沢山の花が咲きます。



この日、宿の山菜料理を堪能します。山菜の種類は10種類ぐらいでしょうか?天ぷら、煮物、その他山菜に合わせた食べ方も在りバラエティーに富んでいます。蕗のとうとおろしのポン酢和え・・・とか、アケビの芽の卵掛けとか、天ぷらはウド、コシアブラ、ヤブレガサ、タラの芽、その他幾つか。忘れました。写真は山菜採りとは別行動でイワナ釣りのグループ(二人)が釣って来たイワナを唐揚げにして頂きました最後の2匹の写真が上手く撮れました。後はお酒が回りピンぼけ写真で使い物には成らずでした!(爆)



イワナを食した後、最後に手打ちそばで〆です。やはりこのそば切りも、つなぎにトロロを使って居るそうで。コシが在り「へぎそば」と同じような味でした。山菜ご飯も在りましたが、これ以上食べられず断念!



翌日は採った山菜の整理などをした後、帰り道「小出」インター近くにある、西福寺開山堂へ寄ります。曹洞宗赤城山(せきじょうさん)西福寺は室町時代後期1534年開山、開山芳室祖春大和尚によって開かれ、開山和尚と、曹洞宗開祖道元禅師をお祀りする「開山堂」は幕末1857年に二十三世蟠谷大龍(ばんおくだいりゅう)和尚によって建てられました。 この開山堂内部の天井、欄間、壁面の「大彫刻」は有名で、幕末の名匠「石川雲蝶」の大作です。彫刻に止まらず、絵画、漆喰細工、等が見られます。新潟県重要文化財指定となっています。



写真は名匠「石川雲蝶」による、「開山堂」は茅葺二重層、上層部は入母屋造り、唐破風の向拝を有する造りに成って居ます。



写真は西福寺本堂廊下に在る、「雲蝶」による「埋め木」で、板のひび割れや、節穴などを「雲蝶」が修理した物で50程の「埋め木」の跡が在るそうです。そのうちの一つ「小槌」の形をした物を載せます。 これで今回の日程は終了で自宅へ戻ります。帰りの関越道は順調で渋滞ナシでした、さーこれから自宅へ戻ったら山菜のあく抜きなど下処理が待っています・・・・・・・


 


 


 


茨城県笠間市「つつじ祭り」

2011年05月08日 | ドライブ・旅行

「水戸IC」を降りて国道50号線を行くと、あちらこちらの家屋の屋根がブルーシートで覆われているのが目立ち始める。先の「東日本大震災」で屋根瓦がはがれ落ちたのだ!!ここは茨城県でも内陸部のため津波の被害は無いが、地震動に依る被害はかなりある様だ。


つつじ祭り会場の「佐白山」に車を止めて祭り会場入り口を入ると、真っ先に目に飛び込んで来るのが上の写真です。佐白山一帯斜面に植えられたつつじは8,500株だそうな。入り口から緩やかな道を山頂目指して満開のつつじを観賞しながら行きます。


写真は山頂北側からの景色。山頂は「お椀」を伏せた感じの地形で周りの斜面につつじが植えてあります。山頂は広場に成って居て、この日地元のミュージシャン「メロウ・ウインドウ」だったかな?演奏がありマッタリとした音楽を聴かせて頂きました。


写真は日の光を受けて、真っ赤に輝く「キリシマつつじ」株によって同じ赤でもずいぶんと色合いが違う。


写真は山頂南側の斜面の様子。 山頂で音楽を聴きながら「串焼き」等を食べ、残念ながら車の運転なのでビールは飲めずでしたが、東京から意外と短時間で来られたのでゆっくり出来ました。此から歩いて山を下り次の会場「陶炎際」(ひまつり)の会場へ行きます。「陶炎際」の会場まで無料のシャトルバスがありますが、のんびりと30分程歩く事にします。


丁度田植えのシーズンで山間部の田園風景を眺めながら歩きました。写真は「陶炎際」の「陶器工房」で、各ブースや食べ物、農産品販売など200程在りそう!中央ステージでは丁度ジャズバンドの演奏があり、此所でも音楽を楽しませて頂きました。人出も多く、茨城県産の山菜(コゴミ、ウド、コシアブラ)を買い求め、中鉢を一枚買いましたが、陶器というのは我々庶民が日常生活に使用するには少々値段が高い!「どんぶり」を買おうと思いましたが一椀数千円もするのでは手が出ない!矢張り貧乏人は量産品で千円以下のモノを使うしか無いようです。 食べ歩きの様な事で空腹を満たし、工房の各ブースを一通り見て回ったりした後今度はシャトルバスに乗り「笠間稲荷」まで行く事にしました。所がこのバスが中々来ない!!他の方面行きは来るのですが・・・・・・おかげでバスが来た時は超満員でギュウギュウ詰めで何とか全員が乗れましたが・・・・・


写真は「笠間稲荷」の「参道」ですが、先の地震で「鳥居」が折れてしまって無くなっています。写真中央付近と西参道にも在ったのですがこちらも倒れたようです。


写真は「さざれ石」歌、君が代に出てくるあの「さざれ石」です。地震で囲いの石柱などが倒れ無残な姿になっていました。他にも古い建築物の「お堂」等がダメージを受けたようです。


最後に「笠間稲荷」の名物「大フジ」の写真です。樹齢400年と説明に在りましたが、笠間市の天然記念物に指定され2株在りますが写真は未だ五分咲き程ですが片方咲いていました。 此所で本日の日程は全て終わり、此所から駐車場まで又歩いて戻ります。佐白山駐車場まで20分程歩きます。今度は上り坂になるため結構キツイ帰り道でした。。。。。。。東京の自宅までの帰路は、渋滞状況を見ながら来た時と違い三郷ジャンクションから外環自動車道で帰る事にしました。


能登半島一周、輪島~片山津温泉

2010年08月10日 | ドライブ・旅行
能登半島一周シリーズ・URLリンク
「石川県金沢市「兼六園」にて」
「能登半島七尾(和倉温泉)~碌剛崎~輪島」

海岸線に出て国道249号線少し行き「琴ヶ浜」(泣き砂パーク)に立ち寄りましたが浜には降りず見るだけにして先を急ぎました、砂浜を歩くと砂がキュ、キュ!と音を立てます、これは海水が綺麗で在るという証拠なのだそうです。現在日本にはこうした(砂が泣く)と言う海岸は殆ど見られなくなっているようで急速に海の汚れが進行しているようです。



ヤセの断崖、厳門この辺り一帯を能登金剛と言うらしい。
30㎞程続く海岸線は能登半島国定公園の代表的景勝地となっている。
厳門にて、写真下の方に映っている観光遊覧船に乗り、海上からの景色を楽しむ事にしました。



丁度観光船の出発時間で急いで船に乗ります。私達を待っていてくれて感謝!
時間は20分程の乗船、ヤセの断崖も海面からの高さ35mが一番高いそうで、前にも書きましたが東北三陸海岸のスケールと迫力には及ばないのが物足りない感じです。
翌日に行く予定の「東尋坊」にしても、全く同じ感想で、かえって観光化されている分正直言って期待はずれでした。



この日は「ヤセの断崖」を見学した後、一気に片山津温泉に向かいます。
国道249号線から「柳田IC」から「能登有料道路」へ入ります。前日ホテルで「能登有料道路」のプリぺード通行カードもらい(キャンペーン中だそうです)有料道路代がただになりました。
全線使用すると確か1180円程ですが、結果的に行く時と同じ道を戻る訳ですが、行きは料金を払いましたのでカードを使用出来たのは半分ほどの金額でした。でもカードには期限が記載されていませんので、次回も使えるかな?
そんな訳で、能登有料道路を南下しましたが、途中「渚ドライブウェー」(砂浜の道路)が在りますが行きも帰りも通りませんでした。
写真はその日着いたホテルから見た夕日と空です。




片山津に入り、ホテルへ行く前に「中谷宇吉郎雪の科学館」に立ち寄ります。
「雪は天から送られた手紙である」と言う有名な言葉を残した方で。1900年(明治33年産まれ)で北海道大学で世界初の人工雪の結晶の作り出した方です。加賀市の出身で、私も若い頃先生の本を読み感動しました。そんな思いもあり今回是非にと立ち寄りました。
写真は、閉館時間にも近く、見学者は私達だけで急いで見学した後、学芸員の方の好意で雪、氷などの幾つかの実験と体験をさせて頂きました、その時の実験の模様です。
写真左上から右に、透き通った氷を星形金属の型に入れ、上の金型の手を離すとアッと言う間に「氷」が解けます。それを取りだしたのが右下の写真です。
真ん中は中華鍋に使う「お玉」に氷を入れ、ひっくり返すと「レンズ」が出来ます。それをかざした所です。実際にこれをレンズとして使い虫眼鏡と同じ様なことが出来ます。




写真はスペースシャトルに積まれた「人工雪装置」。
中谷宇吉郎先生の「生家」は此の科学館この近くだそうです。



翌朝ホテルをゆっくり出て、今日は「東尋坊」を見学した後、金沢に戻り東京へ帰ります。

土曜日と学校が夏休みに入り、一気に人手が多くなりました。
国道305号線を南下し片山津と東尋坊の中間当たりで偶然「蓮如記念館」を発見!
ここは石川県と福井県の県境に近い「吉崎」。全く宗教心のない私ですが、「蓮如聖人」位の名前は知っています。
無料で見学出来そうなので入る事にしました。見学者は私達だけ、館長らしき方、自ら案内をして下さり詳しい説明や歴史などを聴きながら記念館、庭園などを一通り見ました。
話を聞いている内この「吉崎」と言う「地」は浄土真宗の信者に取っては「聖地」なのだと言う事が理解できました。
又写真の本堂内部は喫茶室休憩所、土産などの物品販売所となっていて、係の方が提灯の「献燈」を頂ければと言うので、差し出された提灯に名前だけを書きました。
売店の綺麗なおねーさんが、氷水をご馳走してくださりとてもおいしく頂きました。
おねーさん、有り難うございました。



庭園に「蓮如聖人」の像があり、ここから眺める景色は一見、宮城県松島の景色を連想させます。
説明によると、此の左手奥、海の方から「蓮如聖人」は船に乗って泣く泣く夜中に「吉崎」を退出されたとか・・・・・・・




余り道草も食えないので、真っ直ぐに「東尋坊」へ向かいます。
「東尋坊」へ来るのは始めてですが、丁度昼時に着き駐車場を何処にするかで考えてしまいました。市営の駐車場料金は一回500円、しかし民営のお店の駐車場は無料、それもいっぱいある!
当然民営駐車場に入ればそのお店で買い物なり食事などをする必要がありそう・・・・・
で、市営駐車場は当然の如くカラッポ!・・・・・狭い所なのに。。。。。何なのだろう・・・・・



前にも書いたように、この日は土曜日で此所、東尋坊も人手が一杯!
人が入らないように写真を撮るのに一苦労で、この写真のように海面からの高さもたいした事も無く大勢の観光客の割に感動は得られなかった。
余りおもしろくもないので「東尋坊タワー」に登り、一通り見学した後、昼食!
例により車を止めた「お店」で食事を取る事にしました。
昼時とあって混雑して居ましたが、店員の対応も良く多少待たされましたが気持ちよく昼食が取れました。

此の後、金沢駅に戻りレンタカーを返却して北北線に乗り往路と同じ直江津経由で東京へ帰ります。
日程前半は、あいにくの天候でしたが、後半徐々に天候も回復して最終日は好天に恵まれ梅雨明けも発表されるなど気温も上がり、夏を感じさせました。










能登半島七尾(和倉温泉)~碌剛崎~輪島

2010年07月29日 | ドライブ・旅行
能登半島一周シリーズ・URLリンク
「石川県金沢市「兼六園」にて」
「能登半島一周、輪島~片山津温泉」

「氷見」から海岸線に沿って行くルートも在りますが、時間の節約の為にあえて内陸部を通る事にした。時間が有れば、海岸沿いの道「能登立山シーサイドライン」(国道160号線)をゆっくり見ながらドライブするのも良いかなと思います。



和倉温泉から七尾湾を隔てて、正面「能登島」が見える、右手に「能登島大橋」が有り、この日ホテルをたち、能登島大橋を渡り能登島に行く。「能登島臨海公園水族館」に寄りたかったが、時間的にきつくなるので、ここは能登島から最短距離で「ツイン・ブリッジ」へと向かった。
梅雨明け前でもあるので、あいにく天候で、雨の中でのツイン・ブリッジ見学となった。





ツイン・ブリッジを渡り能登半島に戻り国道249号線を行く。この道は割と海岸に沿っていて、見る所も沢山ありそうですが、一気に能登半島先端に近い「恋路海岸」まで行く事にしました。

写真の恋路海岸手前の珠洲市「松波」に酒造蔵本が有り、そこへ立ち寄って日本酒を一本買い、さらに北上します。
シーズン前のウイークデーでもあり、この海岸に立ち寄ったのは私達の位で、他に女性が一人車で来て携帯カメラで写真を撮った後すぐ行ってしまいました。






「恋路海岸」にほど近くここは「見附島」別名(軍艦島)。なぜか「鐘」が有り(えんむすびーち)と命名されていて「鐘」の下の足下がハート形台座になってました。
写真左手の島が軍艦島。浜辺から大きな石が並べられて「軍艦島」の傍まで行けそうです。



岩づたいに歩いて行きます。スニーカーでしたので滑る事もなく何とか傍まで行けましたが、都中で岩の並びが途切れていて見附島までは行けず残念ながら引っ返しました。
馴れない方は、止めた方が良さそうです。




見附島から更に、海岸沿いの道を半島に沿って行きます。
「禄剛崎」は能登半島最北端に位置し、外海(外浦)内海(内浦)との分岐点になります。ここから遠く立山連峰が見えるそうですが、あいにくの天候でそれは、叶いませんでした。
この灯台は、明治16年(1883年)7月外国人技術者の指導の元で作られ、昭和38年(1963年)迄灯台守が常駐管理していたようです。光の届く範囲は18海里(33㎞)地上からの高さ12m、水面からは48m在るそうな。



禄剛崎を後にして、次の目的地は白米(しらよね)千枚田に向かいます。
海岸沿いの道は県道28号線。美しい海岸線を見ながら快適なドライブです。
途中で昼食を取ります。「つばき茶屋」と言うお店に入りましたが、ここは地元漁師さんが経営する所で、その日採れた地物をだすとか・・・・所がこの日は漁に出なかったらしく刺身定食が無く、「でまかせ定食」にする事になりました。それでも生きの良いホウボウの刺身が出ました。(本当にでまかせと言う名の定食でした)

更に県道28号線を走り、国道249号線に出る少し前辺りの海岸に「ゴジラ岩」と言うのがあり、見る角度で本当に「ゴジラ」の様に見えるんです。
写真は載せませんでしたが、一見の価値有り!

途中「曽々木海岸」で「すず塩田村」に立ち寄り、午後に白米棚田に着きましたが、この辺りは棚田がとても多く、この写真の場所が一番規模が大きいようです。すでに稲は育って居て緑の段々畑が広がります。
海辺からすぐに田んぼが立ち上がっていて、塩害は心配ないのだろうかと素人考えで心配になりました。寛永15年(1636年頃開墾され)水田の数は1004枚在るそうで一番小さい水田が0.2㎡だそうな。平成13年国の名勝指定を受けいています。



この日は「輪島」に宿を取ります。
未だ時間が早かったので、ホテル近くの「きりこ会館」の見学です。
「きりこ」とは「切子灯籠」の事で、初期は笹に御神灯をつけ持ち、運用に便利な笹きりこから発展して、江戸時代中期以降、高さ10m以上にも成るものとなりました。
元は七夕祭で、神輿の夜道の灯りだそうな。
きりこ開館には、日本全国何処の地域でも在るように各町内会が競って作った、山車や神輿と同じように「きりこ」が展示してあり、その姿は立派なものでした。




この日は輪島で宿泊です。写真は海岸沿いに建つホテルから「日の出」を撮影したものです。
漸く天候も回復傾向になり、雲も少なめで良い天気になりそうです。




輪島と言えば「朝市」。ホテルを出発して、早速レンタカーを駐車場に入れ、輪島の街の見学です。
写真上は「朝市の様子」左下は再開発された輪島の中心街、右は2001年廃線になった「鉄道七尾線」の「輪島駅」かろうじて線路が残っている。又この場所が「道の駅輪島」となっている。

此から、この日国道249号線を南下し黒島町で海岸線に出た後、「琴ヶ浜」(鳴き砂の浜)ほんの少し見て「関野鼻海岸ヤセの断崖」を見ます。その後金沢を通り過ぎ「片山津温泉」に宿泊します。
その様子は次回へ・・・・・・





石川県金沢市「兼六園」にて

2010年07月20日 | ドライブ・旅行
シリーズ続き
「能登半島七尾(和倉温泉)~碌剛崎~輪島」
「能登半島一周、輪島~片山津温泉」

東京から新幹線で「湯沢」へ行き、そこから「北北線」に乗り換え「金沢」迄。
新幹線の乗車時間は1時間足らず、そこから「北北線」の行程の方がずっと長い時間が掛かる「直江津」を経由して海岸線に沿っての電車の旅は飽きることが無く景色を楽しませてくれる。



金沢駅でレンタカーを借り真っ先に兼六園を目指した。兼六園近くの市営駐車場に車を入れ近くの「紺屋坂」を登る、結構急な坂でした。
兼六園に入る入り口は7カ所ほど有るが、上の写真は案内所のある「桂坂」から入り園内で真っ先に見えてくる「霞ヶ池」周辺を撮影した物です。
タイトルになっている写真も「虹橋」をメインに撮し込みました。



虹橋から左を回り込み「霞ヶ池」を挟んで「蓬莱島」その右の建物は「内橋亭」です。

さすがに見応えのある庭園で、手入れも行き届き、この日も少なからぬ方達が手入れに専念していました。此の維持に膨大な予算が当てられているのかなと感じる次第です。
それでこそ此の場所が、これぞ日本の庭園、と言った趣を保つことが出来るのでしょう・・・・
加賀百万石のお膝元の貫禄充分ですね!
園内を一周するように更に奥へ向かいます。

兼六園は江戸時代の代表的林泉回遊式庭園で「金沢城外郭」として城に属していました。
加賀藩5代藩主(前田綱紀)1676年作庭、その後1759年金沢大火の後、11代藩主前田治脩(はるなが)復興、1822年前田斉広(なりなが)の時代で完成。
「兼六園」という名は中国宋の時代の詩人「李格非」の書いた「落陽名園記の文中から」宏大、幽邃、人力、
蒼古、水泉、眺望の「六勝」を兼ねる所から名付けられた(兼六園パンフレットより)



写真のように林の中は苔で覆われ沢山の種類の「広葉樹」が植えられています。
この辺り奥は「千歳台」と言われていて上流から流れ出る疎水と共に花菖蒲などが植えられていて幾つもの「橋」が掛けられています。




更に一段と高い場所で「山山」と言われる場所です。
一番高い場所に東屋が有りすぐ側に「御室塔」があります。
楓などの樹種が多く秋になれば「紅葉」も一段と美しいと思います。




兼六園を見学した後「蓮池門出口」から「江戸町通り」と言われる通り(おみやげ屋さんが軒を連ねる通り)此所から、隣にある「金沢城」へ回ります。

写真は「江戸町通り」から見る城門「石川門」本丸付近にある「三十間長屋」(国指定重要文化財)が残る程度ですが、その他「五十間長屋」が復元され整備されて公園としての機能が有り一部は無料開放されているようです。
天守閣、本丸は無く、今ではこんもりとした森となっていてますが城郭としては立派な物と思います。おもしろいのは内堀跡が今では四車線の道路となっていました・・・・・・・




写真がその「堀跡」の道路です。
この道路は「お堀通り」と名が付いているようで、写真右上側が「お城本丸跡」です。
本丸跡はこんもりとした林に成って居て城として残るのは各「櫓跡」と「城壁」など、見るべき物は少ない。




「お堀通り」をまたぐ橋を渡ると「石川門」だ。写真は石川門の櫓(重要文化財)この門をくぐると三の丸広場に出る、下の写真がそうですが、ここにはボランティアガイドさんの受付場所などが有ります。今回は時間もなく城内見学は諦めましたが下の写真は再建された「五十間長屋」右手の建物は「菱櫓」城壁の下は「堀」となっています。




その後「金沢市」を後にして、北陸自動車道を通り小矢部ジャンクションから能越自動車道を通り「氷見」まで行きます。そこから一般道に降り国道160号線の海岸線に沿って「七尾」まで行き和倉温泉でこの日の宿泊に成ります。
その後、七尾から「碌剛崎」を廻り「輪島」へ行き「輪島」から南下し金沢を通り過ぎて「方山津」「東尋坊」と廻り金沢へ戻り、東京へ。
能登半島一週の旅です。時間が出来次第Blogにアップしてゆきます。