姫路市の北西部に位置する古刹。
西の比叡山とも言われ一千年の昔「性空上人」が開いた天台仏教の道場で境内は
国の史跡地に指定されている。
山門をくぐると、其処は静かな自然と森の聖域、幾本か在る参道脇には信者方が
奉納した数多くの観音立像が出迎えてくれる。
県道67号線から少し入った所から、書写山ロープウェーで山頂駅に降り立ち
少し歩くと参道となる、足腰の弱い人は此処からマイクロバスで途中まで行く
と良いかも知れないが、私は歩いた。
全山が修行道場となっているだろうから、此処は徒歩で登った方が良いと
思われる。
参道を少し歩くと「仁王門」に着く、ここからが圓教寺散策の始まりの様なものだ。
摩尼殿回廊の写真、ここ摩尼殿は本尊の「如意輪観音像」が在り、摩尼殿も
創建当初は「如意輪堂」と言われていたようです。
また「四天王」も在り、「持国天」「増長天」「広目天」「毘沙門天」とそれぞれ仏法
の守護神として睨みを利かせています。
境内の参道を各建造物を見ながら坂を更に進むと「大講堂」「食堂」(じきどう)
「常行堂」の建つ広場に出ます。
ここが中心の様な所でしょう「食堂」は修行僧が寝食をする所で「大講堂」は
お経の講義、論議が行われ、学問の修業の場でもあります。
本尊は「釈迦三尊像」。左手の「常行堂」は室町時代の建物らしく本尊は釈迦如来像で
ひたすらお経を唱え本尊の周りを回り修行する場で在るそうな、時には舞楽を奉納
する為の舞台も在る。
下の写真は左上摩尼殿掛造(舞台造)、右大講堂、左下食堂から見た大講堂
右下摩尼殿への参道及び階段方向。
更に食堂裏を見ると1174年(承安四年)に創建されたこの建物の立派さ
が判る。国の重要文化財にも指定されている。
大講堂から更に奥(奥の院)に進むと「開山堂」に出る、しかしこの時は大修理中
で解体修理をして居る所だった。
大方、ここら当たりが一番奥まった所で、更に上の方にも建物が在りますが全部
を見て回るのは大変です。
此処から下山道にを辿ります。木の種類や植物、コケ類などの種類も沢山あり
参道には奉納された「桜」などが沢山植栽されています。
西の比叡山とも言われ一千年の昔「性空上人」が開いた天台仏教の道場で境内は
国の史跡地に指定されている。
山門をくぐると、其処は静かな自然と森の聖域、幾本か在る参道脇には信者方が
奉納した数多くの観音立像が出迎えてくれる。
県道67号線から少し入った所から、書写山ロープウェーで山頂駅に降り立ち
少し歩くと参道となる、足腰の弱い人は此処からマイクロバスで途中まで行く
と良いかも知れないが、私は歩いた。
全山が修行道場となっているだろうから、此処は徒歩で登った方が良いと
思われる。
参道を少し歩くと「仁王門」に着く、ここからが圓教寺散策の始まりの様なものだ。
摩尼殿回廊の写真、ここ摩尼殿は本尊の「如意輪観音像」が在り、摩尼殿も
創建当初は「如意輪堂」と言われていたようです。
また「四天王」も在り、「持国天」「増長天」「広目天」「毘沙門天」とそれぞれ仏法
の守護神として睨みを利かせています。
境内の参道を各建造物を見ながら坂を更に進むと「大講堂」「食堂」(じきどう)
「常行堂」の建つ広場に出ます。
ここが中心の様な所でしょう「食堂」は修行僧が寝食をする所で「大講堂」は
お経の講義、論議が行われ、学問の修業の場でもあります。
本尊は「釈迦三尊像」。左手の「常行堂」は室町時代の建物らしく本尊は釈迦如来像で
ひたすらお経を唱え本尊の周りを回り修行する場で在るそうな、時には舞楽を奉納
する為の舞台も在る。
下の写真は左上摩尼殿掛造(舞台造)、右大講堂、左下食堂から見た大講堂
右下摩尼殿への参道及び階段方向。
更に食堂裏を見ると1174年(承安四年)に創建されたこの建物の立派さ
が判る。国の重要文化財にも指定されている。
大講堂から更に奥(奥の院)に進むと「開山堂」に出る、しかしこの時は大修理中
で解体修理をして居る所だった。
大方、ここら当たりが一番奥まった所で、更に上の方にも建物が在りますが全部
を見て回るのは大変です。
此処から下山道にを辿ります。木の種類や植物、コケ類などの種類も沢山あり
参道には奉納された「桜」などが沢山植栽されています。