山陽新幹線福山駅に降り立ったのは2007年11月25日14時に近かった。この駅でレンタカーを借り、真っ先に「鞆の浦」(とものうら)へ行く。この日の宿泊場所でもある。
タイトル写真は「厳島神社回廊」。
この時間は丁度満潮の時間らしく、回廊の床近くまで潮が上がっていました。
この時の旅のBlog記事は6回シリーズに分けて6枚の写真をタイトルとしました。この時の写真の枚数は100枚以上ありますので、その中から記憶に残る写真を選んで、アーカイブ・シリーズBlog記事を綴って行きます。
このシリーズからカメラが変わりNikon-D-80に成ります。それまでのアーカイブ・シリーズに使用したカメラはNikon-E-5700です。
写真は新幹線「福山駅」秋も深くなり日が陰ってきています。
「鞆の浦港」ほんの小さな漁港と云った感じで、街自体も小さく山の際にへばり付くような町並みで江戸時代(1690年)朝鮮通信使が逗留したとは思えない静かな佇まいでした。
写真は鞆の浦港外れから眺めた「弁天島」、ここは広島県福山市鞆町、新幹線「福山駅」から車で30分 程の所にある、小さな港町だがその昔は可成りの賑わいが在っ た様だ。
港から小さな半島を東に回り込むと2007年11月29日「鞆の浦」のBlog記事に有るように海岸山千手院福禅寺(平安時代天暦年間950年頃創建された真言宗のお寺で、その本堂に隣接して「対潮楼」がある。江戸時代(1690年)「朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内」として国の史跡に指定されている。写真は「対潮楼」から見える「弁天島」
翌日は又内陸へ向かい今度は「尾道」へ行きます。JR尾道駅から国道2号線に沿って在来線山陽本線が平行に走っているので、国道を歩くのも良し、尾道商店街を歩くのも良し1キロ程歩くと、千光寺公園へ行くロープウェーの乗り場に着く。写真は「尾道千光寺」へ上がるケーブルカーです。階段をあがると大変だし時間も掛かるのでケーブルカーを使います。
尾道の街と対岸の向島の町並み、写真には写っていませんが左手奥の方には「しまなみ海道」の橋が見えます。
「千光寺」は岩山の上に作られていますので巨岩の道を歩き、帰路は歩いて「文学のこみち」坂と階段を下ります。写真はその途中からの景色でしまなみ海道が見えます。
「千光寺」を出て今度は「尾道」の町中を歩きます。写真は「山陽本線」を挟んで山側に傾斜している町並み、と云っても実際はお寺がほとんど、住宅街は海と山の間のほんの狭い地域に集中しています。なぜか寅さんの映画のシーンと共にこの景色が何時までも心に残っています。
尾道のアーケード街。この辺りは柑橘類の産地でもあり、ミカン等がとても安くおいしかった。
しかしバブル崩壊後日本経済は落ち込んだまんま回復せずどこの地方都市も同じような感じで人が少ない!
尾道商店街で「尾道ラーメン」を食べた後、次に広島市の中心部へ向かいます。写真は「広島平和公園」、此所の「平和橋」のたもとのホテルに宿泊します。
広島平和記念公園と云えば原爆ドームが真っ先に思い浮かぶ。 しかし場所も写真も余りにも有名な為、今更素人が解説する迄も無いと思います。
広島原爆ドーム。平和公園は「太田川と元安川」が分岐する「相生橋」の所から下流に向けて、中州になっています。その「相生橋」の袂に原爆ドームが有ります。写真はモノクロ仕上げ。
写真は翌朝ホテルの窓越しから「元安川」上流方向を眺めた所です。写真では小さくて判りませんが中程に原爆ドームが見えます。
朝一番で広島から国道2号線を南下し宮島口からフェリーに乗り「安芸の宮島」へ向かいます。写真はフェリーから撮った物です。
厳島(宮島)は俗に「安芸の宮島」とも云われ日本三景 の一つ。日本全国に約500社ある厳島神社の 総本社と成っている。
フェリーを下り観光みやげ屋街を抜けます。島の縁に沿って歩くと野生の鹿が近寄ってきます。安芸の宮島は神社仏閣が沢山有りますが、代表的な「厳島神社」から見て回ります。
写真の様に各建物が回廊で繋がれていますのでこの回廊を巡ります。
上の写真は回廊から本殿を撮った物です。この写真は本殿前から海側の拝殿を撮ったもの。
安芸の宮島は神社仏閣が沢山有り山の斜面にへばり付くように建てられています。
ロープウェーに乗るために「紅葉谷駅」まで公園内を歩いて行きます。紅葉が真っ盛り曇り空にも関わらず鮮やかな色合いです。
ロープウェー終点「獅子岩駅」で降りますが、あいにくの空模様なので遠く瀬戸内の景色を見る事は出来ず。この時は「弥山」(標高535m)の山頂を眺めてから又ロープウェーで降りた記憶があります。写真は帰りの道で撮った物です。
次に「千畳閣」を見学します。写真は「千畳閣」内部。
安芸の宮島「千畳閣」豊国神社(厳島神社末社)の本殿となっていて。豊臣秀吉と加藤清正が祀られている。
写真は2008年02月10日Blog記事タイトルに使用した物ですが。モノクロ仕上げにしました。
次に「五重塔」に行きます。いずれも国の重要文化財と成っています。高さ27.6m応永14年(1407年)建立、その他にも沢山の見所がありました。
次に岩国市へ行きます。写真の錦帯橋へ到着したのは午後4時近く。この日は錦帯橋の袂のホテルへ宿泊します。
写真は小高い所にそびえる「岩国城」、慶長13年(1608年)初代藩主吉川広家が築城、 現在の城は昭和37年に再建されたもの。この日はすでに夕方になり「錦帯橋」を渡り山城の麓の「吉香公園」を散策します。
写真は翌朝ホテルから撮った「錦帯橋」です。川の向こうに広がる家並みは、昔武家地だったようです。この日岩国から再び「広島」に戻り「広島城」を見学してから帰路に着きます。
「広島城」内堀越しからの景色。
これで今回の旅は終了。広島から新幹線で帰ります。
最後までご覧頂きありがとうございます。もう少しアーカイブ・シリーズは続きます。これからも宜しくご愛読いただけるとうれしいです。
タイトル写真は「厳島神社回廊」。
この時間は丁度満潮の時間らしく、回廊の床近くまで潮が上がっていました。
この時の旅のBlog記事は6回シリーズに分けて6枚の写真をタイトルとしました。この時の写真の枚数は100枚以上ありますので、その中から記憶に残る写真を選んで、アーカイブ・シリーズBlog記事を綴って行きます。
このシリーズからカメラが変わりNikon-D-80に成ります。それまでのアーカイブ・シリーズに使用したカメラはNikon-E-5700です。
写真は新幹線「福山駅」秋も深くなり日が陰ってきています。
「鞆の浦港」ほんの小さな漁港と云った感じで、街自体も小さく山の際にへばり付くような町並みで江戸時代(1690年)朝鮮通信使が逗留したとは思えない静かな佇まいでした。
この案内地図を見ると狭い地域で1時間ほどで自転車で廻ってしまいました。
写真は参道から眺める「沼名前神社」(ぬなくま)本殿
神社境内に祭ってある、各神々の祠
写真は鞆の浦港外れから眺めた「弁天島」、ここは広島県福山市鞆町、新幹線「福山駅」から車で30分 程の所にある、小さな港町だがその昔は可成りの賑わいが在っ た様だ。
港から小さな半島を東に回り込むと2007年11月29日「鞆の浦」のBlog記事に有るように海岸山千手院福禅寺(平安時代天暦年間950年頃創建された真言宗のお寺で、その本堂に隣接して「対潮楼」がある。江戸時代(1690年)「朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内」として国の史跡に指定されている。写真は「対潮楼」から見える「弁天島」
昔懐かしいボンネットバス。観光用に運行しているようです。
翌日は又内陸へ向かい今度は「尾道」へ行きます。JR尾道駅から国道2号線に沿って在来線山陽本線が平行に走っているので、国道を歩くのも良し、尾道商店街を歩くのも良し1キロ程歩くと、千光寺公園へ行くロープウェーの乗り場に着く。写真は「尾道千光寺」へ上がるケーブルカーです。階段をあがると大変だし時間も掛かるのでケーブルカーを使います。
尾道の街と対岸の向島の町並み、写真には写っていませんが左手奥の方には「しまなみ海道」の橋が見えます。
「千光寺」本堂
「千光寺」は岩山の上に作られていますので巨岩の道を歩き、帰路は歩いて「文学のこみち」坂と階段を下ります。写真はその途中からの景色でしまなみ海道が見えます。
写真は「天寧寺」重要文化財で室町時代(1388年建立)三重の塔
「千光寺」を出て今度は「尾道」の町中を歩きます。写真は「山陽本線」を挟んで山側に傾斜している町並み、と云っても実際はお寺がほとんど、住宅街は海と山の間のほんの狭い地域に集中しています。なぜか寅さんの映画のシーンと共にこの景色が何時までも心に残っています。
尾道のアーケード街。この辺りは柑橘類の産地でもあり、ミカン等がとても安くおいしかった。
しかしバブル崩壊後日本経済は落ち込んだまんま回復せずどこの地方都市も同じような感じで人が少ない!
尾道商店街で「尾道ラーメン」を食べた後、次に広島市の中心部へ向かいます。写真は「広島平和公園」、此所の「平和橋」のたもとのホテルに宿泊します。
広島平和記念公園と云えば原爆ドームが真っ先に思い浮かぶ。 しかし場所も写真も余りにも有名な為、今更素人が解説する迄も無いと思います。
広島原爆ドーム。平和公園は「太田川と元安川」が分岐する「相生橋」の所から下流に向けて、中州になっています。その「相生橋」の袂に原爆ドームが有ります。写真はモノクロ仕上げ。
写真は翌朝ホテルの窓越しから「元安川」上流方向を眺めた所です。写真では小さくて判りませんが中程に原爆ドームが見えます。
朝一番で広島から国道2号線を南下し宮島口からフェリーに乗り「安芸の宮島」へ向かいます。写真はフェリーから撮った物です。
厳島(宮島)は俗に「安芸の宮島」とも云われ日本三景 の一つ。日本全国に約500社ある厳島神社の 総本社と成っている。
フェリーを下り観光みやげ屋街を抜けます。島の縁に沿って歩くと野生の鹿が近寄ってきます。安芸の宮島は神社仏閣が沢山有りますが、代表的な「厳島神社」から見て回ります。
写真の様に各建物が回廊で繋がれていますのでこの回廊を巡ります。
上の写真は回廊から本殿を撮った物です。この写真は本殿前から海側の拝殿を撮ったもの。
大鳥居
能舞台
西回廊
安芸の宮島は神社仏閣が沢山有り山の斜面にへばり付くように建てられています。
ロープウェーに乗るために「紅葉谷駅」まで公園内を歩いて行きます。紅葉が真っ盛り曇り空にも関わらず鮮やかな色合いです。
ロープウェーからの景色、紅葉の盛りですが曇り空の為全体の発色が今一。
ロープウェー終点「獅子岩駅」で降りますが、あいにくの空模様なので遠く瀬戸内の景色を見る事は出来ず。この時は「弥山」(標高535m)の山頂を眺めてから又ロープウェーで降りた記憶があります。写真は帰りの道で撮った物です。
次に「千畳閣」を見学します。写真は「千畳閣」内部。
安芸の宮島「千畳閣」豊国神社(厳島神社末社)の本殿となっていて。豊臣秀吉と加藤清正が祀られている。
写真は2008年02月10日Blog記事タイトルに使用した物ですが。モノクロ仕上げにしました。
次に「五重塔」に行きます。いずれも国の重要文化財と成っています。高さ27.6m応永14年(1407年)建立、その他にも沢山の見所がありました。
次に岩国市へ行きます。写真の錦帯橋へ到着したのは午後4時近く。この日は錦帯橋の袂のホテルへ宿泊します。
写真は小高い所にそびえる「岩国城」、慶長13年(1608年)初代藩主吉川広家が築城、 現在の城は昭和37年に再建されたもの。この日はすでに夕方になり「錦帯橋」を渡り山城の麓の「吉香公園」を散策します。
錦帯橋橋桁の芸術的な木組み
写真は翌朝ホテルから撮った「錦帯橋」です。川の向こうに広がる家並みは、昔武家地だったようです。この日岩国から再び「広島」に戻り「広島城」を見学してから帰路に着きます。
写真は「広島城」。城を見学する前に広島名物「お好み焼き」で昼食にします。
「広島城」内堀越しからの景色。
これで今回の旅は終了。広島から新幹線で帰ります。
最後までご覧頂きありがとうございます。もう少しアーカイブ・シリーズは続きます。これからも宜しくご愛読いただけるとうれしいです。
アクセスランキングのページを巡回していてお邪魔しました。
登山や旅行などフットワークの軽さに敬服しました。
今後もよろしくお願いします。
こんばんは。
訪問とコメントありがとう御座います。
たまたま同じGoo Blog同士で足跡表示が出ましたので、お尋ねしました。
記事を拝見してついつい色々なカテゴリーも拝見しました。
とても楽しい参考になる記事でしたのでブックマークさせて頂きました。
此方こそこれからもよろしくお願いいたします。
コメントありがとう御座います。
写真をお褒め頂き恐縮です。ありがとう御座います。
写真を藤森照幸さんのブログで紹介したいとの事、了解です。
10年以上前の写真ですが、デジタル画像というのは劣化が無いので
いいですね。宜しくです。