2015年4月11日、雨降る中、仙台を出発し宮城県内の
多賀城、塩釜、松島、女川町を巡ってきました。
雨の中多賀城市に着き、最初に多賀城政庁跡に行きま
した。多賀城は奈良時代、北の守りとして最前線の拠点
(国府)が置かれた所です。平城京跡、大宰府跡とともに
日本三大史蹟に数えられています。
まさしく、ここに政庁があったんだ、という感慨ですね!!
行き当たったここが登庁口だったみたいです。裏から入っ
てきてしまいました。
傍には、シダレザクラがきれいに咲いていました。
後を振り返り、入ってきた方向を撮りました。
政庁跡のすぐ傍に、多賀城神社がありました。
社の横に後村上天皇御座之処の碑が立っていました。
南朝後醍醐天皇の皇子にして、第二代天皇に即位する
前、陸奥の太守を務めました方ですね。その横の細長い
碑は、何と書いてあるのか分かりませんでした。明治天皇
御霊跡かもしれません。
次に、多賀城入口前に立つ多賀城碑(壺碑)に行きました。
那須国造碑、多胡碑とともに日本三大古碑の一つに数え
られ、江戸時代には松尾芭蕉も訪れているみたいです。
堂内に碑が収められ、京や蝦夷からの距離などが刻まれて
います。江戸時代に発見された当時から歌枕の壺の碑(いし
ぶみ)と呼ばれていたみたいです。
傍に、コブシが咲き始めていました。
こちらは多賀城碑の西側に見えた丘で、外郭南東隅の
表示が立っていました。多賀城の外側隅にあたる所み
たいです。
次に、多賀城廃寺跡に行きました。多賀城とともに建立
された付属寺院の跡です。
敷地の広さに当時としては、大きな寺院だったことが偲ば
れます。
多賀城の後、すぐ隣の塩釜市の奥州一之宮鹽竃(しおがま)
神社に行きました。写真は駐車場近くのサクラを撮ったもの
です。鹽竃神社は、サクラの木が溢れていました。
社務所前の通りでも、サクラが見られました。
こちらは、紫琉球躑躅の表示がされていました。いまが
咲く時季なのでしょうか?
なかなか味わいがありますねー!!
これは甑(こしき)炉型鋳銭釜といって、銭(鉄、銅)を鋳造
した釜との説明書きがありました。
いよいよ鹽竈神社へ入って行きます。
静かな佇まいの中、歩いて行きました。
東神門を進みます。
境内の様子。
歩く道横に、「天然記念物鹽竈神社の鹽竈桜」の碑が
立っていました。手前の細い木がその桜なのでしょうか?
まだ蕾で咲いていませんでした。
こちらは「撫で牛」。商売繁盛、開運を願うみたいです。
このサクラも風情がありました。
左手に楼門がありました。
その先の表参道。こちらが正規の参詣ルートみたいです。
楼門の格子の中には鹿がいました。鹽竈神社は鹿を神獣
としているので、鹿が入っているのだとガイドさんから説明
を受けました。
楼門の反対側、右側を入った正面が左右宮拝殿。
その後に、左右の本殿がありました。
こちらは右横の別宮拝殿です。
これは、文治の燈籠といって、左右宮拝殿の前に一対であり
ました。
帰りがけに変わった燈籠を見かけました。階段がついていま
した。
東神門近くの舞殿。普通の神楽殿とも少し違っているような
感じがしました。
東神門を出た所にあった塔。こちらも何段重ねでしょうか。
何の塔でしょうか?
こちらは何でしょうか? 榊らしい木の前を神域に区切って
いるみたいでした。
こちらは鹽竈神社の隣りあわせの志波彦神社。鹽竈の神に
協力された神の神社で、元は別な所にあったのを明治時代
に遷されたそうです。修復工事中でした。
大分下りてきて、神苑前から撮りました。塩釜湾が見えま
した。
神苑を駐車場の方へ向かって歩く道筋にサンシュウが
咲いていました。
駐車場傍ではサクラと菜の花のコントラストがきれいでした。
思わず接写して、撮ってしまいました。
松島へきて、五大堂に寄りました。
そこから眺めた松島湾。遊覧船がちょうど出て行く処で
した。晴れていれば、絶景でしょうにね。
近くに、東日本大震災の「慰霊祈念碑」が立っていました。
ここら辺りにも津波が押し寄せたのでしょう。
松島から女川町に向かいました。写真はJR石巻線の
女川駅で、新装され、3月に全線開通の運びとなりました。
ホームにちょうど電車が止まっていました。
駅舎の二階から前の景色を撮りました。震災時5mの
津波に襲われたそうです。いま、盛んに復興に努めて
いるみたいです。
同じく、後ろ側です。周囲も盛んに工事を進めていました。
この日、ずうっと雨の中の見学になってしまいましたが、それ
故か土曜日にもかかわらず観光客が少なく、ゆっくりと歴史を
かみしめた見学ができて、かえって良かった位だと思ってい
ます。また、何処かへ行きたくなってしまいました。