桐生トランピング情報

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米沢~山形

2016-04-24 10:11:55 | ブラ歩き情報
2016年4月16日、山形県米沢市、天童市、山形市に
行き、今が盛りのサクラや歴史遺産などをみて歩きました。


最初に訪れたのは、市のほぼ中央に位置する松が岬公園
(米沢城址)。上杉城史苑に車を置き、歩き始めるとこの
松岬神社がありました。上杉鷹山を祀った神社です。


松岬神社を過ぎて行った所が、上杉謙信を祀る上杉神社。
丁度サクラの見頃を迎え、たくさんの人が訪れていました。


サクラ、きれいですね!!


境内を進むと上杉鷹山の銅像が。傍らには、「成せば成る、
成さねば成らぬ何事も、成らぬは人のなさぬなりけり」の
碑が添えてありました。


上杉神社社殿です。


社殿の右側へ回り込んだ所に宝物殿である稽照殿があり
ました。


稽照殿の裏から城の外郭を回るように歩きました。これは
稽照殿の反対側、上杉神社左手の光景です。地元の人が
撮影スポットだと教えてくれたので、撮ってきました。


これは、先ほどの写真を撮った位置から道を渡った先の
上杉伯爵邸(米沢市上杉記念館)の庭。


伯爵邸を出て上杉城史苑の方へ歩いた所にあった置賜の家。
この地では、成年前にこの家で過ごす風習があったみたい
です。後に見えているのは、上杉博物館。


次に、上杉神社から少し離れた国指定史跡の上杉家廟所
に行きました。


歴代の当主(藩主)が眠っていました。この右側にも同様に
して並んでいました。


丁度真ん中の少し奥まった所が上杉謙信の廟でした。


こちらは、その手前左一番目の二代上杉景勝の廟。


上杉家廟所の真ん前にあった法音寺。上杉家の菩提寺で、
古い塔や景勝に殉死した家来の墓などがありました。


また少し離れた所の旧米沢高等工業学校本館を見に行き
ました。明治43年に建てられ、国の重文に指定され、現
山形大学工学部内にあります。群大の同窓記念館に似て
いますが、建築様式はルネサンス様式だそうです。因みに
群大はチューダー様式です。


真正面から撮りました。趣がありますねー!!


中に自由に入れて見学できました。これは階段方式の
教室。この他にも、いろいろな資料室に応用された教室
などがありました。


こちらは、山形大学工学部に隣接した林泉寺。直江兼続
夫妻の墓などがあるお寺です。


またちょっと松が岬公園へ戻る方向に行き、この造り酒屋
東光の酒蔵を見てから、米沢を後にし天童へ向かいました。


天童市の、山寺こと立石寺の根本中堂へ来ました。重文
です。


お堂の入り口真ん中に、大きな木彫りの招福布袋尊が
鎮座していました。


根本中堂の左に、芭蕉句碑がありました。「閑さや 巌に
しみ入 蝉の聲」ですね。奥に見えるのは清和天皇御宝塔
です。


さらに左へ行った所にあった亀石。お金に名前を書いて
石の上に置くと願いが叶うみたいです。


こちらは芭蕉像。右近くに曾良の像もありました。


さらに左へ進み、山門を潜って奥宮へ向かいました。
ジグザクの急階段が続きます。そそり立つ岩壁もすごい
ですね。


せみ塚です。さきほどの句を短冊にしたためこの地に埋め、
石垣を建てたものです。


大分上にあがった所にあった最上義光の御霊屋です。


800段位を上って、奥の院に着きました。


奥の院下横に重文の三重塔があるとの表示を見て、向かっ
たのですがそれらしきものが見当たりません。よく見ると、
この岩の中に納められている小三重塔がそれみたいでした。


さらに、横道を開山堂へ向かいました。その途中の風景。
絶壁にお堂が幾つも見えました。手前の大きな建屋は
性相院。


開山堂です。右の石段を上ると五大堂。左の岩の上には
小さな納経堂が立っていました。


五大堂から眺めた下の光景。


登ってきた道へ戻り、下りの途中で通った仁王門。


道脇にスミレがきれいに咲いていました。


奥の院への入り口の山門を出て、本坊の方へ歩いていくと
門があり、そこを潜ってから振り向いて撮りました。抜苦門
という名が後で分かりました。両側にサクラが咲いていて、
突き当たった左が奥の院への山門になります。


こちらが、立石寺本坊です。


立石寺の天童市から山形市へ向かい、サクラまつり開催
中の霞城(かじょう)公園(山形城址)へ着きました。花見
の人、とくに若い人たちで賑わっていました。


東大手門前の広場へきました。櫓の中も見学することが
できました。


広場にあった最上義光像です。


大手門の先、高麗門を出てすぐの所から北の方向を撮り
ました。サクラが堀の水面まで伸びていました。


これは土塁の上に残る置き石。この石の上に塀を立てた
みたいです。大手門から左の方へずうっと延びていました。


山形市郷土館(旧済生館本館)。大手門から南にきた角地
にありました。明治期に県立病院として建てられたもの
みたいです。


その郷土館左斜め前辺りの本丸一文字門です。


空堀がくっきりとしていて、よく分かりました。


本丸内へ入ると、古井戸の跡がありました。


本丸の石垣です。

この日、欲張っていっぱい見て回ってしまいました。各地で
サクラもいっぱい。十分満足いくものでした。

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