高室山への登山道に【高室山城】が(滋賀県中世城郭分布より)
見津(けんつ)宅のご主人に腰越の城鳥瞰絵図(長谷川博美氏作図)を見せて頂きました。
お城のデータ
別 名 :腰越の城
所在地:犬上郡多賀町保月 map:http://yahoo.jp/_tsE81
現状:山林・登山道
築城年:室町期
築城者:伝)明智氏
区 分:山城
標 高:402m 比高差:161m
遺 構:堀切、塹壕、竪堀、
目標値:佐目トンネル
駐車場:高室山登山口駐車場(トイレ付き)佐目トンネル手前右側)標 高:241m
訪城日:2015.11.12
高室山登山道の説明板
お城の概要
『滋賀県中世城郭分布調査5』地図番号15Dに高室山城、佐目館の位置図が記す。
新発見の城として紹介された本城は、佐目集落の東方(標高402m)のピークに位置する。
その北が尾根続きであるが、北端は標高402mの鞍部にある往旧の峠道に向け急斜面で落ち込んでいる。
主郭部は東西約36mで両端に堀切が設けられ、さらに北東に第二郭が石灰岩の露頭を交えながら約130mに亘って続いている。また、主郭西にも段郭と帯郭が続いており、城域は全長約240mにも及んでいる。
西下方には2ケ所の出郭も確認されているようだが。
「緩斜平削地の郭」・「堀切」・「竪堀」・「街道側に尾根筋に沿って塹壕」「北側に平削地(郭)」も見られ、城郭遺構に違いないが、高室山城(腰越の城)
伊勢への旧街道を警戒・警備していた。
山頂の主郭、山頂部は狭小だけれども城の裾や腰部に広範に腰郭、帯郭が配置されている。急坂の遺構(攻め入ることが出来ぬよう)山を削り急坂に)も含め広く感じます。 しかし、ここが「城跡」だと分かっていなければ、 素人には単なる尾根伝いの登山道で通り過ぎるでしょう。堀切や塹壕の存在、石灰岩の露頭を利用した厳巌な要害を知ることが出来る。また狭い郭は複雑に切り刻れて普請されている。
虎口カ
頂部平削地(郭・物見櫓カ)
歴 史
「淡海国木間攫」「淡海温故録」に犬上郡多賀町佐目に明智光秀伝説の存在が記されている。
佐目集落の南東端に位置する『十二相神社と鳥居の間に明智屋敷(通称:十兵衛屋敷)』の伝承地がある。
「淡海国木間攫(おうみのくにこまさらえ)」、には「佐目村 此邑ニ往古明智此処ニ明智十右衛門尉門住ス、出生ハ美濃ノ土岐成頼ニ続セシカ後成頼に背テ浪人シ当国ニ至リ六角高頼ヲ頼ミヨセケル処御屋形曰明智ハ土岐ノ庶流旧家ナリトテ扶養来ヲ与ラレ二三代モ此処ニ居住スト云息十兵衛ニ至リテ越前ヘ立テ越前朝倉家ニ仕ランコトヲ望ム~云々」と記す。
「淡海温故録」には、「佐目 此処ニ明智十左衛門住ス云明智ハ本国美濃ノ者ニテ土岐成頼に続センカ後ニ成頼ニ背テ浪人シ当国ニ至リ六角高頼ヲ頼ミ寄席セケル処屋形日ハ土岐ノ庶流旧家ナリトテ扶養米ヲ与ラレ二三代モ此処ニ住スト云息十兵衛ニ至リテ器量優レタル者ニテ越前ヘ立テ越前朝倉家ニ仕ランコトヲ望ム~云々」と記す
この地に末裔の見津(けんつ)氏が、現在も立派庭園付き屋敷にお住まいで、運良くこの日御当主にお話しを聞けた。(見津(けんつ)の由来は「明智光秀の光を見津に変え、見津(けんつ)」と読み、この地に住み続けている。)
これらの伝説に関連する中世城郭と推測される。
佐目トンネル手前に駐車場
高室山への案内版
登山道案内
切通
登山道案内
佐目集落
下段の虎口か
頂部主郭
南側城道
主郭の北隅に【高室山への登山道案内】
下城します。
堀切・土橋で登上記念写真
北側郭(街道の反対側)
尾根の南側「街道側に尾根筋に沿って塹壕」5m程
アンテナケーブルからが主郭群
狼煙穴・・凹(直径2m余)地
下りで気づいたが、桝形虎口か(切通のすぐ上)
十二相神社 本殿
境内の寺院
十二相神社の寺院裏の「中世の石仏・五輪塔」群がしっそり祀られいる。「犬上川河原に転がっていたのを後世引き上げたれられた」と伝承。
中世の「石仏群27基・一石五輪塔4其」
中世の宝筺印塔一基(傘部が欠けている)
中世の墓所址(墓石・石仏の前)
十二相神社の背後の平削地
おすい蓋【南後谷・佐目・霧ケ原】の文字に街道と木・鳥のデザイン
伝・十兵衛屋敷・・(十二神社本殿と鳥居の間)
庭が立派な【見津(けんつ)氏宅】・・・(明智氏の末裔宅のようです)
明智光秀の光(みつ)を三津(みつ)に置き換え、三津(けんつ)と読み・・・多賀町議さんの説で(自宅で調べましたので)
ご主人に腰越の城鳥瞰絵図(長谷川博美氏作図)を見せて頂きました。
十二相神社の鳥居
仮称:腰越の城(遠景)…駐車場から
佐目トンネル手前駐車場(高室登山口)
旧街道500先で通行不可!
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査
本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!