永源寺の山城と森のハイキング
利休も礼賛、ヤブツバキ治療 滋賀・高島、樹齢480年
造園関係者らの研修会も兼ねて始まった国指定名勝「旧秀隣寺庭園」のヤブツバキの治療(滋賀県高島市朽木岩瀬、興聖寺)
滋賀県高島市朽木岩瀬の興聖寺境内にある室町時代作の「旧秀隣寺庭園」(国指定名勝)で12日、樹齢約480年と伝わるヤブツバキの治療が始まった。かつて庭園を訪れた茶人、千利休がたたえたという逸話が残る名木だが、近年は花も少なく樹勢の衰えが目立っていた。
滋賀県緑化推進会の「淡海の巨木・名木次世代継承事業」の一環。森林育成のため県民から寄せられた「緑の募金」を活用し2009年度以降、県内28カ所の巨木・名木の治療を行った。今回は地元住民の依頼を受けたもので、初日は造園関係者らの研修会も同時に催した。守山市の樹木医、中西肇さん(68)が数日かけて治療する。
室町時代には、近江源氏佐々木氏の一派朽木氏の居館があり、1530(享禄3)年に12代将軍足利義晴が京の兵乱を避け3年ほど滞在。流浪の身の将軍を慰めるため、管領細川高国が銀閣寺庭園を基に築庭したとされる。その後秀隣寺となり、江戸中期に朽木氏の菩提寺興聖寺が移転したが、庭園は当初の姿を保っているとみられる。
ヤブツバキは池の中島や周辺に8本植えられ6本が現存する。細川幽斎の子忠興が千利休を案内し、利休がヤブツバキの花を見て「散り際の良い、一期一会の心を表したもの」とたたえたという。
治療方針について中西さんは「木の状態や土壌は悪くはないが、枝が折れたまま腐ったりしている部分があるので補修し、活力を付けるため土壌改良を施す」と説明する。
森泰孝住職(64)は「480年にして治療は初めて。以前は花のじゅうたんができるほど咲いたが、今春はほとんど花が付かなかった。今回の治療で花を取り戻してほしい」と話している。
京都新聞2016.11.13
竪穴住居百棟に祭礼場や鋳造工房 滋賀・稲部西遺跡
多数の住居と、祭礼の場、鋳造工房がそろって確認された稲部・稲部西遺跡(彦根市稲部町)=上=と出土した桃の種。祭礼に使われたとみられる(彦根市教委提供)
滋賀県彦根市教育委員会は12日、同市稲部町と彦富町にまたがる稲部遺跡・稲部西遺跡で、弥生時代後期後半から古墳時代前期(2~4世紀)の竪穴住居が100棟以上見つかったと発表した。これまでに、祭礼の拠点だったと考えられる独立棟持柱付きの建物や、青銅器の鋳型なども出土しており、住居と祭礼場、鋳造工房が一集落内でそろって確認できたのは滋賀県内では初めて。この時代は分業の体制や階層が生じた時代の移行期とされ、「同時期の集落の実態を知るうえで、貴重な手掛かりになる」としている。
竪穴住居は調査地の南で直径400メートルの範囲内に、多角形建物を含む105棟を確認。掘っ立て柱建物21棟、周溝建物13棟、独立棟持柱建物3棟、区画を示す溝(幅約40センチ)2本も見つかった。掘っ立て柱建物の1棟は、柱穴の直径が1・3~1・5メートルと特に大きく、付近からは桃の種計12個も出土。建物の解体などに伴う祭礼に使われたとみている。
2年前の調査では青銅製のやじりと棒の一部が出土。同時に見つかった土製品がその後、青銅器の鋳型の外枠の可能性が高いことも分かった。
調査に立ち会った同志社大歴史資料館の若林邦彦准教授は「一集落内に住居と祭礼の場、工房がそろってあり、首長の下に集約されるような状況が生じているといえる。古墳出現期の集落の変化が分かる貴重な発見。今後、首長の居館が見つかる可能性もある」と話している。
調査は1981年に始まり、現在、6次調査中。これまでに約6500平方メートルを発掘した。 15日午後1時半から現地説明会がある。問い合わせは市教委文化財課TEL0749(26)5833。
■転換期解明の貴重な鍵に
奈良県立橿原考古学研究所の森岡秀人・共同研究員の話 近畿北部でこれほど大規模な古墳出現期の集落が確認されたのは驚きだ。社会の転換期の過程で、近畿北部において中心的役割を担った集落と考えられる。古墳時代が始まる前後の集落の構造や社会的な営みの実態はよく分かっておらず、その解明の鍵となるような貴重な成果が出たといえ、今後の調査に注目したい。
京都新聞2015.11.14
→山田城
→八尾城
八尾城(遠景)・・・愛郷の森の道より
→星野溜
→池田牧場へ
→
池田牧場
(昼食)愛郷の森
→八風窒
渋川
旧八風街道
高畠新次郎が渋川沿いに居を構えており(小辰文書)、
紅葉橋
山上陣屋
→お鍋の方の居城
高野街道
→高野城へ出丸へ
高野神社お旅所
→小倉山上城
バス停へ (歩程 約10km)
開催日:平成27年11月14日(土)★参加費用(保険料、ガイド料等)
集合場所:山上口バス停(集合時間10:15)