お城のデータ
所在地 : 伊香郡余呉町池原・小谷 map:http://yahoo.jp/oWhj9m
区 分:山城(柴田軍陣城)
標 高:310m 比高差:150m
築城年 : 天正11年(1583)
遺 構 : 土塁、横堀、櫓台、竪土塁
訪城日 : 2013.5.14、2015.11.28
お城の概要
中谷山砦は橡谷山砦の南東の尾根先と、南へ伸びた尾根に築かれている。 ここで紹介している中谷山砦は「滋賀県中世城館調査報告」による名称で、現地には標柱がない。
(中之谷山 原彦次郎長頼」の標柱は橡谷山砦に建っているので要注意)。
中谷山砦は東へ伸びた尾根先の曲輪と、その西側から南へ伸びた尾根に築かれた曲輪群がある。
東へ伸びた尾根先の曲輪は登山道の途中にあり、堀底道へと出た所にある。
中谷山砦は、橡谷山砦と林谷山砦の中間の南に位置し、主尾根と主尾根から南に派生する尾根上の2箇所に遺構が残る。
主尾根上の砦は、南と東に土塁が廻り、南土塁裾に犬走りが、東土塁外に横堀が掘られ、東土塁の中央付近に食い違い虎口が設けられている。
横堀から東中央の虎口を入り尾根筋を登る堀底道状の通路が尾根中央を東西に貫通しているが、発達した虎口や郭配置が見られる織豊系城郭としては、不自然な通路構造に思われる。また、下方側に明瞭な遺構が残るが、上方側には堀切や土塁などの防御施設が見当たらないのも不思議?
南尾根上の砦は、100m程の間に不明瞭な段築が連なり、先端部はクランク状になった比較的明瞭な土塁が残っている。東側に途切れ途切れの不明瞭な土塁があり、その東側を犬走り通路が走り、段郭からの虎口が設けられている。
滋賀県中世城郭分布調査では、
中谷山砦の位置を2箇所に明示する城郭分布図が掲載されている、縄張図とその城郭分布図を見比べ橡谷山砦と林谷山砦のほぼ中間やや南に位置しすると見当を付け、毛受兄弟の墓から尾根伝いに山道を登ったが、通り過ぎてしまい橡谷山砦まで行き着いてしまった。
2度目の訪城なので、見逃さないよう注意深く下山して、主尾根上の砦を見つけた。主尾根上の砦から少し上方にある小さなピークから南に派生する尾根にある砦跡は大変に見つけ難く、案内板があれば助かるのだが。砦は東へ伸びた尾根先の曲輪と、その西側から南へ伸びた尾根に築かれた曲輪群がある。
東へ伸びた尾根先の曲輪は登山道の途中にあり、堀底道へと出た所にある。 曲輪は東と南に土塁が付いていおり、東側には堀底道が南尾根から続いて曲輪の北側へと通っている。
南尾根の曲輪群は、先の曲輪から少し西へ進んだ所から南へ伸びた尾根にあり、少し段になっている部分があるものの大半は自然地形に近い地形である。南端部分に鈎状に屈折した土塁があり、虎口か。
歴史
天正11年(1583)の賎ケ岳合戦において、別所山は柴田勝家方の陣地として、七尾城主であった前田利家と府中の城主であった前田利長父子が僅か2ケ月余で砦を構築したところである。柴田勝家の玄蕃尾城の本陣より、行市山頂を経て別所山・中谷山・大池山・林谷山の各陣地は、尾根を人馬によって駆け抜けられる道によって結ばれた強力な陣地として構築された。
しかし、柴田方はこれら強固な陣に依って戦うことは一度もなく、余呉湖畔で敗北する結果となった。
登ること約20~30分。
中谷山砦跡。
主郭は削平されず、陣膜が貼られていたのか。
大きく堀切は、正面の高い土塁に圧倒される。
裏手に廻ると50~60cm程の高さで土塁が認められる。
中谷山砦 近江国(余呉) 2013.5.14
遠望
賎ヶ岳合戦古戦場の中谷山砦見学会・・・講師長谷川博美氏(城郭研究家)
今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました!!感謝!!