伝 雪野山城
後藤氏の羽田館の詰城:雪野山古墳に築かれた雪野山城だった。
お城のデータ
現 状:雪野山古墳・ハイキングコース
区 分:平山城
築城期:南北朝期
築城者:後藤氏
城 主:後藤賢豊
標 高:308m 比高差:200m
遺 構:石垣・竪堀・畝状竪堀・曲郭基壇
目 標:東近江側・・雪野山公園駐車場・竜王町側・・妹背の里無料駐車場
駐車場:雪野山公園駐車場・妹背の里無料駐車場
訪城日:2014.10.26 2015.11.20
お城の概要
雪野山古墳は、本市と竜王町、近江八幡市との境界にある雪野山の山頂にある古墳で、石室が全く荒らされていない未盗掘の状態で発見されました。平成元年から発掘調査を始め、石室からは、三角縁神獣鏡や漆を丁寧に塗った矢を入れる容器「ユキ」など、多くの副葬品が出土し、当時大変話題になりました。
今年は雪野山古墳の発掘調査が行われてから25周年を迎え、また、平成26年3月に国史跡に指定されたことを記念し、10月25日(土)に「雪野山古墳-過去・現在・未来-を語るシンポジウム」を開催。
このシンポジウムでは、まず雪野山古墳発掘調査団長を務めた大阪大学の都出比呂志名誉教授らが古墳に秘められた謎に迫る講演会を行います。その後、3人の考古学者によるシンポジウムを行い、雪野山古墳の今後のあり方について話し合っていただきます。
歴 史
佐々木六角義治であるが、永禄6年(1563年)に六角氏の有力な重臣であった後藤賢豊を観音寺城内において暗殺してしまった。
賢豊は定頼時代からの六角家中における功臣として人望も厚く、進藤貞治と共に「六角氏の両藤」と称されるほどの宿老で、奉行人として六角氏の当主代理として政務を執行できる権限を有していたことから、賢豊の権力と若年の当主・義治とが争った末に、当主としての執行権を取り戻すために暗殺したと言われている。
後藤屋敷雪野山城
アクセス
後藤氏の羽田館の詰城が雪野山古墳に築かれた雪野山城であった。
雪野山古墳発掘調査団長の「都出比呂志名誉教授」講演!
雪野山古墳の発掘時団長の都出比呂志(大阪大学名誉教授)に確認(2014.10.25)
本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝