昨日は、気分転換に赤坂~中浦~万賀里川~切木と2時間ほど散歩してきました。
善六神社といっても知らない人がほとんどですが、私が住んでいるとなり(肥前町赤坂)との境の県道沿いに小さなほこらがあります。
江戸時代に行き倒れの旅人「善六」が唐の川で亡くなりました。奉行所の詮索を恐れた村人は、善六さんの亡骸に新しいわらじを履かせて、となりの赤坂へ運んだそうです。
赤坂の住人から知らせを受けた奉行所の役人は「善六は空を飛んできたのか」と聞いたそうです。
その後のおとがめはなかったので、赤坂の村人は、丁寧に墓をつくり弔いをしたそうです。
そうしたら、村人の病気やケガ、骨折な良くなったということで、それを聞いた人たちが遠方からも訪れるようになりました。
痛い足の形や手の形をもした型紙や木片が飾られています。
でも、唐の川の村人には御利益はないそうです。
現在でも赤坂の村人が大切に祭られています。
大浦の棚田
岸岳末孫(きしだけばっそん)の墓がいくつもあります。
善六神社といっても知らない人がほとんどですが、私が住んでいるとなり(肥前町赤坂)との境の県道沿いに小さなほこらがあります。
江戸時代に行き倒れの旅人「善六」が唐の川で亡くなりました。奉行所の詮索を恐れた村人は、善六さんの亡骸に新しいわらじを履かせて、となりの赤坂へ運んだそうです。
赤坂の住人から知らせを受けた奉行所の役人は「善六は空を飛んできたのか」と聞いたそうです。
その後のおとがめはなかったので、赤坂の村人は、丁寧に墓をつくり弔いをしたそうです。
そうしたら、村人の病気やケガ、骨折な良くなったということで、それを聞いた人たちが遠方からも訪れるようになりました。
痛い足の形や手の形をもした型紙や木片が飾られています。
でも、唐の川の村人には御利益はないそうです。
現在でも赤坂の村人が大切に祭られています。
大浦の棚田
岸岳末孫(きしだけばっそん)の墓がいくつもあります。