万人に公平な事は「時間」だろう。
1日24時間365日。寿命も男女では6年程差はあるものの誰でも公平に持つことが出来る。
時間をいかに有効に使うかはその個人の力量に委ねられてはいるが環境に左右される面も大きい。
なんでこんな事を言い始めたかというと、仕事をしていた時期と会社人から離れて地域に身を置くようになってからの環境の差がいかに大きかったかを実感したからだ。
朝5時には起床し、7時前には家を出て通勤1時間30分。
夜9時迄仕事して1時間半かけて帰宅。
夜10時すぎに遅い夕食。
風呂に入って深夜12時に就寝。
たまな休日も業務関連で必要な資格試験の準備で勉強。家族サービスに割ける時間など殆んど無い。
こんな企業戦士が団塊世代人には普通だった。
今、退職してこのパターンはどう変わったか?。
朝4時起床。PC2時間ブログの更新。7時朝食。愛犬散歩、地域活動。ジム通い。
愛犬散歩。^^ 夕食団欒。10時就寝だ。
給与生活者がいかに時間を拘束され自分で自由にできる時間に不自由していたかを確認できた。連続した3日以上の休暇はなかなかなかった現役時代だった。
年金生活は資金は十分ではないにせよ、自由な時間が実にありがたい。朝4時に目覚めてから夜10時に就寝するまでほぼ100%自由な時間がある。
この価値は給与生活者に無い価値だ。「月10万円の価値」と思いたい。年金と併せれば月「~十万円の時間的恩恵を享受できている」のだ。
床屋、映画、小旅行、と現役時代やりくりに苦慮した思いは「引退世代には基本的には無い」
膨大な余暇時間。健康であればすれば、退職者の膨大な余暇時間は「国の宝」である。
国は地域で眠っているこの膨大な隠れ資産の活用にもっと目を向けるべきだ。
病院通いに時間を取られる層以外は、機会があれば「生活の張りと社会貢献」に前向きな層が確実に存在する。
地域で発掘。裾野を受け持つ「地域コミ協」と行政は「連携して社会貢献できる層の掘り起こし」を積極的に行うべきだ。
今、この部分の研究が遅ればせながら出てきている。^^
来週ある大学研究者の合同チームと地域コミ協との研究シンポ。多く発言して思うところを述べたい所存だ。^^