足元の草花に小さな花が咲き始め、土のいっろも心なしか柔らかくなってきている
冬から春にわたるこの季節が、一番希望に満ちているのかもしれない
先日中央本線のあずさ号に乗って岡谷に行ってきた
都心の中野を超えると段々空が広がっていく
あらためて空の少ない土地に住んでいるのだなあと考え込んでしまう
このまま高いビルを次々に立てていると「バベルの塔」と同じじゃあないの
人間が傲慢になって、天に届くような塔を作り、その力の威力を神に誇示しようとしたとき、神はそれぞれの人間に違う言葉を与え、人間同士が言葉の違いのために意思の疎通ができなくなり、お互いに主導権を握ろうとして争い、ついに完成できなくなった
という話がある
今の都心を見ていると
次から次に高いビルが建設されている
あの神宮前のイチョウ並木も木を切り倒し高層ビルが出来るらしい
表参道のけやきも切り倒すと聞いた
自然をなくしてビルばかりになった街に人は住めるのだろうか?
便利を追求していくと、いずれは不便になっていく
八王子を過ぎると真っ青な空が気持ちいい
こういう空の下で暮らす幸せが今や贅沢
甲府の近くになると葡萄畑が広がり遠くに富士山の姿も望める
うっとり外を眺めていたら
いきなり畑が真っ黒になっていた!なに?ソーラーだ
白いビニール畑が黒いソーラー畑に変身
これは高層ビルと同じだ、人間はどこに向かっているのだろう?
便利を追求する先には、もう智慧はわかない。人でいる必要はない、きっと咀嚼して食べるという行為も名kなっていくのだろうか?
しかし遠くに見える富士山の姿は変わらない
根の国の民族は、根に映えるものを食することで知恵ある民族に育っていくのだけど、不便だから智慧がわく、そんなことを考えて岡谷に就いたら、正しく足を地に付けた仕事ぶりの人々に出会ってほっとした