声楽の師匠が亡くなり、お別れの会に出席
「師匠との思い出を語る」お役目だったのに、なんと諸事情がおこり、挙句の果てにこの駅からタクシーでといわれていたタクシー乗り場に出てみると長蛇の列。前の方に
「どれくらい待ってらっしゃるのですか?」と聞いたら30分だと
こりゃあ大変!とばかりどうしたらいいかとしばし考え、その場所の近くに行くバスはないかとバスの運転手さんに問う
あった
バス乗り場に行ったら今まさにバスは動こうとしていたので飛び乗る
近くの駅まで行ってさらに道を尋ねようと思いスマホを開くと、出席者の知人からメール、そうか彼女も出席していたのだ
「始まりました今どこですか?」
かくかくしかじかとメールを打つ、なんとありがたいスマホ
彼女のほうが若いのでどのバス停で降りたらいいかを突き止めてメールが来た、そこで降りる。照り付ける太陽が強い日影が全くなくじりじり
彼女も初めての町なので歩いて迎えに来るとは言ってもなかなか見当がつかないらしい。奇跡的にタクシーを拾ったのでその場所動かないで待っててほしいというメールが来る
待てど暮らせど来ない。タクシーの運転手さんもその地は初めてだったらしい。やっと拾ってもらい会場に駆けつける
チャ子ちゃん先生がお話しする寸前につき、何事もなかったかのように後ろのほうからしずしずと歩み進み、話し終える
この無様なことはいったい何だったのだろうと思い返す
帰りに件の彼女を誘いお茶をしていた時、これは神仕組みであったと思った
お互いに表面は普通にしていたけど、私の行動で彼女を傷つけたことがあった、それを私は面と向かってお詫びをしていなかった
そのお詫びのチャンスをもらったのだと思い、古い話だけどあのときはーーーと
和気あいあいと会話も弾み、改めて今日お会いできたことに感謝
これも師匠のお引き合わせだと静かにお礼を言う
起きることすべてに無駄がない。丁寧に生きていこうと改めて思う日であった