東京では冬至の日より昼が4時間50分も長い
大体このころは梅雨なので太陽の恩恵に浴することは少ないが、本日は大丈夫。存分に太陽を浴びよう
夏至の日を聞くと天蚕は繭を作り始める。体内に暦があるとしか思えない
ひとの手によって飼育されている「家蚕」は季節感がだんだん遠のいていっている感じがする
体内に残っている自然との協調が人の手によって壊されているのだろう
人ってどこまでも自分本位の生き方しかできない生命体なのだろう
キツネやタヌキなどの動物は穴倉を作りそこに住む
鳥は木を借りて巣を作りそこに住む
自然にあるもののを食して命をつなぐ、場合によっては弱いものを食う、弱肉強食の世界もある、しかしそれはあるものに手を付けるわけで、自分で作ってはいない
人は違う育てて食っちゃう
蝶よ花よと懸命に育てそれを食らう
罪深いよ
だから日本の言葉「いただきます」の前に「いのち」という言葉が秘められている。「ご馳走様」には私のためにあちこち駆けて物を集め作っていただきありがとう。
子供のころあったよこういう言葉
「箸とらば、天土(あめつち)御代の御恵み君と親とのご恩わするな」
(天(あめ)を雨と思っていて、そうか雨も大事なんだと解釈していたチャ子ちゃん先生)
小学校のお昼、弁当を開いて箸を持ち、上の言葉を唱えてみんなで「いただきまーーす」そして食事が終わり、最後の一人の食事がすむまでじっと待ち、全員の食事がすんだら「ごちそうさまーー」「わーーい」と運動場にかけていく
家庭でも食事の礼法はきちんとしていた
家族全員が食卓を囲み、一斉に箸を持ち「いただきます」ご飯は左、おつゆは右、先ずおつゆをすすり、それからご飯、おかずというように箸を動かす、小皿におかずがわけてあるので、お皿を持って中身を口に運ぶなどなど、いろんな決まりがあった。モノが口に入っているときはしゃべってはいけない
家族がそろうのは夕食の時間なので、その時間がその家の門限、それが戦前のどこにでもある家庭風景だったとおもう
夕食が終わり蛍狩りをしたり、花火をして楽しんだり、みんなで歌を歌ったり
でも戦争はこういう家庭の平和をもぎ取っていく
今は戦争屋たちが戦争を仕掛けていた事も明らかになり、私たちは戦争のない生活を送ることが本当は一番幸せなことだと気が付いてきた
注意深く世の動きを見て自分の心で考え行動したいものだと、つくづく思う夏至の朝
20時からチャコちゅうぶ