チャ子ちゃん先生が2009年に「きものという農業」の本を出版した
「えっ着物が農業?」
「確かにね養蚕は農業だものね」
「気が付かなかったなあ」
という衝撃的な驚きを聞いた
新しい着物の作家が生まれても、その方がどういう感覚でものづくりをしているかと、必ず現場取材をした
国が認め、人が持ち上げても、現場でのその方の着物に対する姿勢に納得がいかなければ、絶対に記事にしなかった
後に国宝にもなった方を取材したとき、いきなり手袋をはめるようにと命令っされ、手袋をはめた手でご自分の作品を扱うようにと指示された
その場で手袋を外し失礼した
更に人気ある作家の着物は「自腹」できることにしていた
そして
その着物の判断をしていた。もちろん今もそう
そのような考え方や行動の結果が「きものという農業」であった
今回ももちろん現場取材は欠かさなかった
そして作り手の確固とした自信と誇りに、かれらの「人間力」を感じた
更に「生き方の」哲学を教わった
巷で「原住民たちの生き方を学べば、自分の立ち位置がわかる」とか
「チベットの原住民のーーー」
「インデオの生き方ーーーー」
など外の国の人々の生き方が正しいと説明している若い人たちを見て
「日本はどんな国より歴史があって、その人たちがどう暮らしていたかw知ることの方が参考になるよ」
といいたい(若いときはそういう人がいたら首を捕まえて説教をしていた)
この14年の間
取材した方たちの生き方は、自然とともに共生をしながらのモノづくりが洗練され、笑顔の絶えないやさしさが満ちていた
しかし
一般的には「モノ」がどのような経緯をもって作られているかに興味のない人が多い
それは常に「完成品」を目にしてにしているからで、自分の手にその「モノ」が渡ってきた経路も知らなければ知ろうとも思っていない人があまりにも多くなった
すべて完成品しか目のあたりに見て居なければその「元の姿」を想像する感性も削られているのかもしれない
この14年間の時代の移り変わりと、人間の無関心さの増長に驚くものがある
モノを大切にする心は、自分の命も大事にするということ