強い日差しが地面を照らしている。電車はそのこととは関係なく、まっすぐに延びるレール上を滑るように走っている。しばらくはずっと、駅に着く度に乗客を飲み込みながら、淡々と進んでいく。
昨夜は例外だが、最近では、通勤電車の中で「どこかへ行ってしまいたい」と思うことが少なくなった。そこには諦めの気持ちとともに、日常ではないどこかに対する憧れが薄れていることがあると思う。前者も深刻だが、後者については、「他者への関心の薄れ」とともに、自分の存在すら疑ってしまうきっかけとなっている。
起きて食べて電車に乗って仕事して電車に乗って食べて寝るというサイクルで動くマシーンと化してしまっていると思う反動が、僕を外での活動に向かわせているとしたら、それは果たしていいことなのだろうか?
少しは疑いを持ちつつも、今日も同じレールの上を進んでいる。
昨夜は例外だが、最近では、通勤電車の中で「どこかへ行ってしまいたい」と思うことが少なくなった。そこには諦めの気持ちとともに、日常ではないどこかに対する憧れが薄れていることがあると思う。前者も深刻だが、後者については、「他者への関心の薄れ」とともに、自分の存在すら疑ってしまうきっかけとなっている。
起きて食べて電車に乗って仕事して電車に乗って食べて寝るというサイクルで動くマシーンと化してしまっていると思う反動が、僕を外での活動に向かわせているとしたら、それは果たしていいことなのだろうか?
少しは疑いを持ちつつも、今日も同じレールの上を進んでいる。