あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

2013

2013-12-31 23:11:24 | 立ち止まる
今年も残り一時間を切った。

さて、今年は大学を卒業後約22年勤めた職場を辞め、転職したというのが一番大きな出来事だった。俯瞰して見ることができたら、それが成功か失敗かわかるのかもしれないけど、今は良かったと思っている。難しいことや辛いことはいろいろあるけれど、環境を変えるというのはいいことだ。

一方、私生活の面では大きな変化はない。変化をさせたくないという訳ではないけど、結果として変化させることができなかった。まあ、これは相手があることだし…

そして、このブログについてはほとんど更新できておらず、Twitterからの投稿を重ねるのみだった。

2014年はどんな年になるか。いや、どんな年にするか。休み中にしっかり考えたい。

ということで、今年もご来訪いただきありがとうございました。
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沖縄へ その8

2013-12-31 21:32:02 | 旅する
最終日。少し早く起きると、昨夜飲んだビールやらの空き缶を見てちょっぴり反省しつつ、てきぱきとシャワーを浴び、荷物を整えホテルを出た。そして、ゆいレール旭橋駅でゆいレールとバスの一日券を購入し、まずは空港に向かった。



とりあえず荷物をコインロッカーに入れ、帰りの便のチケットを発行してから再びゆいレールに乗った。たまたま空いていた1番前の席に座り、那覇の景色を楽しんだ。

初日にも乗って感じたんだけど、走行中に車内に流れる琉球音楽が素敵で、中でも県庁前に差し掛かる時に流れる曲を聴いていたらグッときてしまった。いくらなんでも弱すぎだろうと思いつつ。。そんなことも旅行から戻るとすっかり忘れていたけれど、昨日ふと思い出し調べていたら『てぃんさぐぬ花』という曲だった。改めて聴いてもいい曲だと思う。

それた話を軌道に戻すと、ゆいレールは30分ほどで終点の首里に到着した。少し寒いかなと思うくらいだったけど、そこから首里城までは少し歩くことになり、また日も射してきて、結局持っていた上着は邪魔になってしまった。



守礼門は、なぜか子どもの頃から知っていた。その頃は沖縄と言えばこの門を連想した。そして、40代も半ばになりようやくこの門をくぐることができた。ちょっとだけ、心の中で子どものように気持ちが跳ねた。そう、紅型を着飾った女性との記念写真サービスがあり、帰りに寄ろうと思っていたのに、別の道を帰ってしまい、こちらも次の楽しみにしよう…って、そんな僕を隣で呆れる人が一緒だったら。。



首里城に入る前、休憩スペースを兼ねた場所でガイドの方がいろいろと親切に教えてもらった。11時からイベントがあるので是非見ていってとのご案内もいただいた。でも、時間が読めず先を急ぎ失礼してしまった。後で「観ておけば良かった…」と後悔した。首里城は朱が映える美しい場所だった。一昨年訪れた北京の紫禁城をコンパクトにしたような印象を受けたが、外れではないだろう。ゆっくりと見たかった。けど、ここでも大勢の修学旅行生と遭遇し、その騒々しさを避けるように早足で回ってしまった。


帰りにまたガイドの方のところに寄り、アンケートを書いたりした。修学旅行生の話をしたら、またいろいろと教えてくれた。これもまた次回に活かそう。







王族の募陵である玉陵(たまうどぅん)に寄り、石畳の坂道を降り、そして、王家の庭園である識名園を見て回った。思っていたよりも小さな印象だけど、回遊式庭園は楽しい。

ここでは花の蜜を求める蝶を見かけた。そのメスを狙うオスとのやり取りを見ながら、僕も好きな人に果敢に向かっていかなきゃと思った…って、単純だな。。

修学旅行の小グループを案内していた方の話を隣で聞いていたら、この蝶はオオゴマダラという、沖縄でいちばん大きな蝶だそうだ。立ち止まって耳を傾けなければ、知らないまま帰ってきてしまっただろう。



壺屋やちむん通りを散策し、アーケードの商店街を抜け、前夜に諦めた牧志公設市場の食堂で食事をとった。もちろん、生ビール付きで! 刺身は切り置きされたものであまりいただけなかったが、いい雰囲気を楽しんだ。次に来るときは別のメニューを頼もう。



国際通りでお土産を買い求め、また大道芸を見たりしていた。沿道には子どもたちがたくさんいて、大道芸のお兄さんの再三の呼び掛けで集まってきて、彼のパフォーマンスを楽しんでいた。

空港に向かう途中、小禄という駅で途中下車した。沖縄のスーパーマーケットを見てみようと思いつつ、結局はここにある全国区のイオンしか見なかった。ミミガーとか沖縄らしい品揃えもを見かけたけど、それくらいしか違いがわからなかった。もっと地元に密着していそうなスーパーは見かけたけど、寄っていく余裕がなかった。

駅でゆいレールを待っていると、おばあさんに連れられた小さな姉妹の妹の方が僕に微笑みかけてきた。楽しくて微笑み返すと、照れくさいのかおばあさんの後ろに隠れたりしていた。那覇空港に着き、おばあさんに尋ねてみると、今日はお母さんが出掛けていて、普段は車しか乗らない孫たちをゆいレールに乗せ、飛行機を見せに来られたとのこと。そんな彼女たちに笑顔で手を振り別れた。



ラウンジで一時間近く、ビールを飲んだりしながら過ごし、機内へと向かった。たぶん最後の搭乗となるだろうジャンボ、あえてプレミアムクラスを選んだ。確かに高いけれど、ゆったりしたシートだけでなく、ラウンジサービスや機内での食事や飲み物など、新幹線のグリーン車よりも遥かに値打ちがある。





さて、慌ただしく駆け足で回った3日間だったけど、初めての沖縄はとても魅力的だった。できれば足しげく通いたいが、ならばLCCの利用も考えよう。
普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古沖の埋め立てを県知事が容認するなどの疑問に思う動きがあるなか、それを沖縄は容認しているのだからと突き放すのではなく、そうせざるを得ない状況に追い込んでいるのは誰かということを考えながら、これからも関心を持っていたい。
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沖縄へ その7

2013-12-31 21:13:29 | 旅する
辺野古の美しい海を頭の中に焼き付け、那覇へと向かった。この文章を書く数日前、沖縄県の仲井真知事は辺野古埋め立ての申請を許可した。それでもまだ僕は、この海がこれからもこの美しさを保ち続けていることを信じている。米軍基地との境界であるフェンスも取り払われ、子どもたちが笑顔でビーチをかけ回る姿も想像してみる。Tシャツを売る掛け声があっても、そこでは笑顔で一枚買い求めよう。

いくら東京より西にあるとはいえ、沖縄も冬なので日が暮れるのは早い。前の車に注意しつつ、左側に映る景色を楽しんでいた。と、道路脇に駐車場を見つけ、車を止めカメラを構えた。

帰り道の途中、うるま市の宮森小学校に立ち寄った。ここには54年前の195年に訓練中の米軍機が墜落し、小学生を含む多くの犠牲者を出したそうだ。それを知ったのはこの秋に沖縄を訪れようと思ったときだったが、僕はいかに沖縄を知らなかったかと反省する。

再び車を走らせ、石川ICから高速に乗り那覇を目指す。が、電気の残量がギリギリだったので、途中の中城SAで急速充電し、自分もデザート風のパンとコーヒーで充電し、改めて走り出した。

少し早く着けるかなと思っていたけど、やはり渋滞に巻き込まれ、結局約束した返却時間のちょっと前に出発地点のビル駐車場に到着した。ETCカードを差し込んだままだったけど、係員の方がチェックして持ってきてくれた。
初めて走る場所だったのと、交通事故が多いと聞いていたけど、結果としてスムーズに運転することができた。電気自動車だったから無理をしなかった…できなかったというのもあるだろう。ただ、思っていたよりも高くついてしまったので、次回は軽かリッターカーにしよう。



タクシーでホテルまで行き、荷物を置いてすぐに出掛けた。少し距離があったけど、国際通りにやってきた。で、庶民的な店に入ろうと第一牧志公設市場に向かったものの、20時を過ぎ店じまいということで、いつものように夕食を探してあちこち歩き回ることになってしまった。



途中、いいかなと思う店も数軒あったけど、一人だと入りにくいところもあり、結局は無難なお店に入りアグー豚をいただいた。ビーフステーキも捨てがたかったけど、豚肉の脂のほんのりとした甘さがたまらないので…

ビールを2杯飲んだところで、運転の疲れもあったのでホテルに戻った。途中、コンビニでビールとチューハイとおつまみを買い、シャワーを浴びてからそれを楽しんだんだけど、そのあとはすぐに眠ってしまったらしい。

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12月30日(月)のつぶやき

2013-12-31 04:51:27 | つぶやき

今朝は少し早く家を出た。仕事は明日までだけど、職場に行くのは今年は最後となる。まずは、溜まってしまった書類を片付けよう。 pic.twitter.com/odccZQXzhW


今回の首相の参拝は普天間基地の移転問題についてアメリカの「日本の主権をないがしろにする要求」に対して過剰に迎合的な対応をとった直後に実施されました。僕はこの連関に興味があります。東京裁判は日本人に同時にふたつのふるまいを要求しました。戦勝国への従属と、被侵略国への謝罪です。

Kozyさんがリツイート | RT

でも、戦後史を振り返ると、日本人は「従属」と「謝罪」を同時に行ったことがありません。一度にどちらかひとつだけ。内灘闘争からベトナム反戦運動まで日本人が「従属」を嫌い「対米自立」を願っていた時期、「謝罪」に対する心理的抵抗は希薄でした。

Kozyさんがリツイート | RT

70年代ベトナム反戦運動で日本人の反米気運がピークに達していたときが日中友好の蜜月時代であったことはご案内の通りです。でも、90年代、湾岸戦争以後、対米従属がデフォルトになると同時に、日本人はアジアの隣国を「気づかう」ことを止めました。

Kozyさんがリツイート | RT

「従属か謝罪か、どちらかひとつにしてくれないか」というのが日本人の無意識の本音なのではないでしょうか。

Kozyさんがリツイート | RT

石原慎太郎が動けば災いが起きる。とにかく趣味として反中を標榜。バカなメディアが煽るので、有名人好きの都民が飛びつく。これで巨大な富を日本は失っている。国家間の損失も計り知れない。そろそろこういった、面白い政治家を卒業しないといけない。面白がっているうちに戦争につれてゆかれる。

Kozyさんがリツイート | RT

「アメリカに足を踏まれたら、仕返しに中国韓国の足を踏む」そんなゲームを延々とやっているようです。そして、今の東アジア情勢は「中国韓国と日本が険悪になるとアメリカがすごく迷惑する」という図式なわけですから、「アメリカに足を踏まれたら、間接的にアメリカの足を踏み返せる」。

Kozyさんがリツイート | RT

日本の対米従属主義者はその中に多くの「自分が無意識的に反米的だということに気づいていない人」たちを含んでいます。小学校から英語を必修にしろとか言っている人たちは「英語嫌いを組織的に作り出すこと」をたぶん無意識的には切望しているんだと思います。いや、ほんとに。

Kozyさんがリツイート | RT

日本の国家主義者たちや右翼が対米従属派であり、日本のナショナリストが国内に外国が駐留していることを歓迎しているというのは政治学上の謎です。アメリカは当事者だから無理として、ヨーロッパの政治学者でこの謎を真剣に分析してくれる人が出てこないものでしょうか。

Kozyさんがリツイート | RT

低所得者層や生活保護受給者の「自己責任」を厳しく追及する人と、太平洋戦争敗戦の「戦争責任」におおらかな人が被ってみえるのは僕の気のせいでしょう。

Kozyさんがリツイート | RT

安倍首相の靖国参拝 ネット世論の8割が支持 lite.blogos.com/article/76857/ ←これって「Yahoo意識調査」の結果だけど、これを「ネット世論」と呼ぶのがアリなら、新宿二丁目で街頭アンケートをとって、「町の声は8割が同性婚を支持」ぐらいな記事も書けることになるよ。

Kozyさんがリツイート | RT

今年3月、ロンドンで反原発のデモ行進に参加したとき、日本人参加者が「原発事故から2年も経ち反対の世論の声は大きいのに日本政府は全然動かない」と言ったらイギリスのCND の運動家の年配の方がニヤッと笑って「僕たちなんて50年も反対運動してるよ」と答えたシーンを時々思い出している。

Kozyさんがリツイート | RT

靖国神社にはいくつかの重要な機能がある。その最も重要な機能は「国家のためなら自分の命を捧げてもよい」と考える人々を用意すること。国のために自分の命を犠牲にすることは、生物としては本来極めて不自然かつ不可能なことだが、靖国やアーリントンのような装置はその不可能を可能にさせる。

Kozyさんがリツイート | RT

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