先週末、初めて沖縄に行った。
10月に行く予定を立て、飛行機も宿もレンタカーも手配していたけど、残念なことに台風が2つも一緒にやって来て、当日朝になりキャンセルした。それでも、近いうちに行きたいと、改めて予約を入れた。
さて、今回の旅のきっかけは、ANAのボーイング747-400が来春には退役すると知ったことだった。これについては改めて書くとして、北海道と沖縄のどちらにしようか迷ったけど、どうせ乗るなら遠くに行こうということで、行先を沖縄に決めた。
沖縄には一度は訪れたいと思っていた。できるなら大切な人と。でも、なかなかうまくいかないもので、今回も一人旅。ならば、以前から気になっていた場所に行こうと思った。それは、沖縄戦に関係する場所であり、そして、今も沖縄に重くのしかかる米軍基地に関係する場所だった。
B747については改めて書くとして、沖縄に着き、まず「12月だというのに暑い」と思った。さすがにダウンは羽田で脱いでおいたけど、それでも日差しを浴びると汗ばむくらいだった。
空港からモノレールに乗り、県庁近くからレンタカーを借りて、まずは南に向かった。カーナビは賢く、不安を抱く借り主をよそに車を目的地へと誘う。
草が生い茂る中を進み到着したのが最初の目的地、喜屋武岬。崖の向こうには美しい海が微笑んでいるが、沖縄線の際には住民や日本軍の兵士がアメリカ軍に追い込まれ身を投じた場所だ。今は、その事を伝える碑が建てられているけど、海は今も穏やかに輝いている。
次に、ひめゆりの塔を訪ねた。土産物屋さんの駐車場に車を止めて向かうと、修学旅行の団体が大勢いた。そして、そんな彼らに土産物を売り込む人の呼び込みに違和感を感じながら、入口脇で花を買い求め、亡くなられた方々に捧げた。
隣の、ひめゆり平和祈念資料館に入った。ここにも修学旅行生が大勢いて、大声で話していた。僕もそんな頃があったけど、少し時間を外せたらよかったなと後悔した。
本土決戦を遅らせるためという理由で90日もの間 持久戦を余儀なくされた。それは軍人だけでなく市民の犠牲を増やすこととなった。広島や長崎もだが、決断を遅らせたことによる犠牲の大きさ、哀しさを痛感する。
続いて、平和祈念公園に向かった。ちょうど充電スポットになっていたので、少しでも充電しておくことにした。公園内の大きな塔に入ると、新潟県から来た高校生が沖縄戦を経験された方のお話を伺うというので、後ろに混ざって聴こうと思ったものの、前夜までの疲れが出たのか、うとうとと眠ってしまった。お話しされた方や高校生たちには大変申し訳ない。。
会場をあとにし、平和の礎へと向かった。ここ摩文仁は沖縄戦の終結地であり、ここでも多くの人が犠牲となった。その人たちの名を刻んだ碑には、一人ひとりが生きた証なんだと思いながら海を見つめた。
そろそろ宿に着く時間が心配になったが、次の目的地へと向かった。
10月に行く予定を立て、飛行機も宿もレンタカーも手配していたけど、残念なことに台風が2つも一緒にやって来て、当日朝になりキャンセルした。それでも、近いうちに行きたいと、改めて予約を入れた。
さて、今回の旅のきっかけは、ANAのボーイング747-400が来春には退役すると知ったことだった。これについては改めて書くとして、北海道と沖縄のどちらにしようか迷ったけど、どうせ乗るなら遠くに行こうということで、行先を沖縄に決めた。
沖縄には一度は訪れたいと思っていた。できるなら大切な人と。でも、なかなかうまくいかないもので、今回も一人旅。ならば、以前から気になっていた場所に行こうと思った。それは、沖縄戦に関係する場所であり、そして、今も沖縄に重くのしかかる米軍基地に関係する場所だった。
B747については改めて書くとして、沖縄に着き、まず「12月だというのに暑い」と思った。さすがにダウンは羽田で脱いでおいたけど、それでも日差しを浴びると汗ばむくらいだった。
空港からモノレールに乗り、県庁近くからレンタカーを借りて、まずは南に向かった。カーナビは賢く、不安を抱く借り主をよそに車を目的地へと誘う。
草が生い茂る中を進み到着したのが最初の目的地、喜屋武岬。崖の向こうには美しい海が微笑んでいるが、沖縄線の際には住民や日本軍の兵士がアメリカ軍に追い込まれ身を投じた場所だ。今は、その事を伝える碑が建てられているけど、海は今も穏やかに輝いている。
次に、ひめゆりの塔を訪ねた。土産物屋さんの駐車場に車を止めて向かうと、修学旅行の団体が大勢いた。そして、そんな彼らに土産物を売り込む人の呼び込みに違和感を感じながら、入口脇で花を買い求め、亡くなられた方々に捧げた。
隣の、ひめゆり平和祈念資料館に入った。ここにも修学旅行生が大勢いて、大声で話していた。僕もそんな頃があったけど、少し時間を外せたらよかったなと後悔した。
本土決戦を遅らせるためという理由で90日もの間 持久戦を余儀なくされた。それは軍人だけでなく市民の犠牲を増やすこととなった。広島や長崎もだが、決断を遅らせたことによる犠牲の大きさ、哀しさを痛感する。
続いて、平和祈念公園に向かった。ちょうど充電スポットになっていたので、少しでも充電しておくことにした。公園内の大きな塔に入ると、新潟県から来た高校生が沖縄戦を経験された方のお話を伺うというので、後ろに混ざって聴こうと思ったものの、前夜までの疲れが出たのか、うとうとと眠ってしまった。お話しされた方や高校生たちには大変申し訳ない。。
会場をあとにし、平和の礎へと向かった。ここ摩文仁は沖縄戦の終結地であり、ここでも多くの人が犠牲となった。その人たちの名を刻んだ碑には、一人ひとりが生きた証なんだと思いながら海を見つめた。
そろそろ宿に着く時間が心配になったが、次の目的地へと向かった。