沖縄でぜひ泊まりたい宿があった。その宿を知ったのはいつだっただろうか。でも、ご主人のことは20年以上前に知り、一度お会いしたいと思っていた。その思いを強くしたのは、16年前に観た『海の沸点』という舞台がきっかけだった。津嘉山正種さんが演じたのが、この宿「何我舎(ぬーがや)」のご主人、知花昌一さんだった。
知花さんを一躍時の人としたのは、1987年に沖縄で行われた海邦国体での「日の丸焼き捨て事件」だ。当時、僕はまだ高校生だったが、知花さんの行為に何となくだけど共感した。沖縄のことはあまりよく知らなかったけど、沖縄にとって「日の丸」は特別なものなのだと、その後知った。
知花さんに対し…というより、お上の意向に従わない沖縄の人々に対し、右翼団体が執拗な攻撃を行った。国の威信を汚されたというのが理由だったのだろうが、強い違和感と恐怖を感じた。その後、多くの犠牲者を出したチビチリガマに建てられた「平和の像」が破壊されるという事件が起きた。国に楯突くものには制裁が加えられるという国なんだと、虚しさを感じた。
さて、コンビニで沖縄っぽいおにぎりや、お酒やおつまみを買い宿に戻ると、灯りのついた部屋に案内された。中には先客として女の子が3人、テレビを見ながら談笑していた。
知花さんと2人、その輪の中に入り、ちょうど放送されていたフィギュアスケートの話なんかをした。
しばらくして、知花さんがガラス瓶を取り出し、中味をぐい呑みに注いだ。瓶の中にははっきりとそのお姿が見え、「これがハブ酒か…」なんて思っていたら、当然のように勧められた。正直なところ勘弁してほしいと思いつつ、少し口に含んだ。何とも生臭い味が口の中に広がる。こうして書いていても思い出して気持ち悪くなる。でも、何か一つステージをクリアしたような感覚も持った。
やがて話は、今の沖縄の状況に関するものに変わっていた。僕は持ってきた『海の沸点』のプログラムを取り出した。知花さんは懐かしそうにそれを見ていた。女子大生たちはその頃まだ小学校にも行っていなかっただろう。でも、「観てみたい!」と興味を持っていた。
プログラムにも載っていた「象のオリ」が返還対象となったのは聞いていたが、その後どうなったのかは知らなかった。既に施設は撤去され、現在は区画整理が始まっているという。
「米軍基地のお陰でお金が落ちるだろう」という話があるが、沖縄は経済的に豊かになっているだろうか。基地が足かせになり、むしろ思うように政策を打てないのではないかと思う。そんな話に知花さんから、名護市の取り組みについて伺った。
国は基地を容認すれば予算を与え、反対すればその逆で、さらに、決まっていた予算さえ剥ぎ取るというやり方で「普天間基地の名護への移設」を進めようとしている。そんな中、移設反対の声を集め3年前に就任した稲嶺市長は、国の「兵糧攻め」にも屈せず、むしろ基地に頼らない経済を作っているという。「基地の存在が経済的な豊かさに繋がる」という、沖縄県民のというよりヤマトの勝手な思い込みが幻想でしかないことを、僕も半分信じていたので、反省した。
翌朝、朝食の前に「シムクガマ」を案内いただけることになり、嬉しさと長旅の疲れとを抱えながら、日付が変わる少し前に床についた。
知花さんを一躍時の人としたのは、1987年に沖縄で行われた海邦国体での「日の丸焼き捨て事件」だ。当時、僕はまだ高校生だったが、知花さんの行為に何となくだけど共感した。沖縄のことはあまりよく知らなかったけど、沖縄にとって「日の丸」は特別なものなのだと、その後知った。
知花さんに対し…というより、お上の意向に従わない沖縄の人々に対し、右翼団体が執拗な攻撃を行った。国の威信を汚されたというのが理由だったのだろうが、強い違和感と恐怖を感じた。その後、多くの犠牲者を出したチビチリガマに建てられた「平和の像」が破壊されるという事件が起きた。国に楯突くものには制裁が加えられるという国なんだと、虚しさを感じた。
さて、コンビニで沖縄っぽいおにぎりや、お酒やおつまみを買い宿に戻ると、灯りのついた部屋に案内された。中には先客として女の子が3人、テレビを見ながら談笑していた。
知花さんと2人、その輪の中に入り、ちょうど放送されていたフィギュアスケートの話なんかをした。
しばらくして、知花さんがガラス瓶を取り出し、中味をぐい呑みに注いだ。瓶の中にははっきりとそのお姿が見え、「これがハブ酒か…」なんて思っていたら、当然のように勧められた。正直なところ勘弁してほしいと思いつつ、少し口に含んだ。何とも生臭い味が口の中に広がる。こうして書いていても思い出して気持ち悪くなる。でも、何か一つステージをクリアしたような感覚も持った。
やがて話は、今の沖縄の状況に関するものに変わっていた。僕は持ってきた『海の沸点』のプログラムを取り出した。知花さんは懐かしそうにそれを見ていた。女子大生たちはその頃まだ小学校にも行っていなかっただろう。でも、「観てみたい!」と興味を持っていた。
プログラムにも載っていた「象のオリ」が返還対象となったのは聞いていたが、その後どうなったのかは知らなかった。既に施設は撤去され、現在は区画整理が始まっているという。
「米軍基地のお陰でお金が落ちるだろう」という話があるが、沖縄は経済的に豊かになっているだろうか。基地が足かせになり、むしろ思うように政策を打てないのではないかと思う。そんな話に知花さんから、名護市の取り組みについて伺った。
国は基地を容認すれば予算を与え、反対すればその逆で、さらに、決まっていた予算さえ剥ぎ取るというやり方で「普天間基地の名護への移設」を進めようとしている。そんな中、移設反対の声を集め3年前に就任した稲嶺市長は、国の「兵糧攻め」にも屈せず、むしろ基地に頼らない経済を作っているという。「基地の存在が経済的な豊かさに繋がる」という、沖縄県民のというよりヤマトの勝手な思い込みが幻想でしかないことを、僕も半分信じていたので、反省した。
翌朝、朝食の前に「シムクガマ」を案内いただけることになり、嬉しさと長旅の疲れとを抱えながら、日付が変わる少し前に床についた。