あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

国宝

2018-10-06 08:28:12 | 本を読む
吉田修一さんの『国宝』を読み終えた。

長崎の任侠一家で生まれ育った立花喜久雄が縁あって大阪の歌舞伎役者 花井半二郎の部屋子となり、半二郎の一人息子 俊介とともに芸の道を究めていくその生涯を描いた朝日新聞に連載された作品で、上下二巻の大作だ。

物語は長崎の老舗料亭での場面で幕が上がる。ページを捲るとともに頭の中には全盛期の任侠映画のような映像に変換されていく。その、おどろおどろしさの中に儚い美しさを湛えた場面に早速心を掴まれ、次のページへと気が急く。

俊介と共に半二郎の下で修行を重ねていく喜久雄が芸道を究めていく姿を、彼の息遣いまで感じながら読み進めた。だからだろうか、その後喜久雄に降りかかる不遇には苛立ちを感じることもあった。そして、時に家族に見せる素の姿に安堵した。読み終えた今、それは素ではなかったのかもしれないとも思うけれど。

どの場面も頭の中で鮮やかな映像に変換されていく吉田さんの作品の中で、ふと手を止めて考え込んでしまう箇所があった。「真面目なイメージの堅気のほうが、実は要所要所できちんと手を抜くことができるのでございます。一方、堅気ではない人間は、なぜか総じてそれができませんので、結果、何をやっても自滅するのでございます。」というその言葉に、自分も心当たりがあった。そして、吉田さんもご自身のことを思いながらこの一文を書かれていたのではないかと思える。今は「暴力団」という言葉の方がイメージしやすいけれど、「極道」というのは「道を究める(極める)」ということにも繋がるのかも…

最後の場面の幕の引かれ方は、悲しい中にもどこか、大向こうからたくさんの掛け声が聴こえてくるような感覚を、涙を溢れさせながら感じた。



読み終えてから1週間。再び本を開くと描かれた絢爛たる世界がまた浮かび眼が潤んでくる。そして、この吉田修一さんの渾身作を多くの人に読んでもらいたいと思う。



さて、その吉田修一さんがサイン会で人々にさかんに進められていた「歌舞伎」を、この作品を読んだのをきっかけに、今日初めて観に行く。

10月5日(金)のつぶやき

2018-10-06 04:27:27 | つぶやき