あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

2024年

2024-12-31 17:39:05 | 立ち止まる

2024年の大晦日。今年もまた、何となく過ごしたように感じるけど、それは毎年同じなのだろう。ただ、これまでよりも意味ある一年だったとも思える。それぞれの年に、いや、それぞれの瞬間に意味はあるのだけれど。 3月、以前からずっと訪ねたいと思っていた、岩手県宮古市の浄土ヶ浜を訪ねた。その場所は、もう50年近く前に逝った父が職場旅行で訪ねた場所。写真でしか見たことがなかったけど、いつか行きたいと思いながら、そこへ行くまでのことを考え躊躇していた。そんな中、JR東日本のキュンパス発売に誘われ、ようやく重い腰を上げることができた。

父と訪ねた場所のいくつかを覚えているけど、その数は二桁いくかいかないかくらいしかない。ともに過ごした期間が短いのに加え、父は土曜の午前で働き、日曜の午後にはまた仕事に出ていたので、そうなるのは必然だった。

浄土ヶ浜を訪ねたとき、父に会いに行った訳ではないものの、振り返ると、冷たい風を受けながら立つその隣に父がいたのかもしれないと思える。それは、11月の末に訪ねた宮城県南三陸町の311メモリアルで触れたある言葉がきっかけだった。

「人生には悲しみを通じてしか開かない扉がある。悲しむ者は、新しい生の幕開けに立ち会っているのかもしれない。単に、悲しみを忌むものとしてしか見ない者は、それを背負って歩く者に勇者の魂が宿っていることにも気がつくまい。」展示に添えられたその言葉に心を掴まれ、持っていたメモ帳に書き留めた。若松英輔さんの『悲しみの秘儀』という本に記された一文だった。

6月に視たドキュメンタリー番組で知った仙台の和菓子屋さんを訪ねてみたいと思い、半年近く経った11月に宮城を訪ねた。予定を考えていた時、せっかくだからと以前ボランティアでも訪ねた石巻市と南三陸町にも行ってみることにした。石巻には5年前にも訪れたけど、南三陸にはその後1回訪ねてから、10年近く訪れていなかった。保存された防災対策庁舎に、そして、クリスチャン・ボルタンスキーが携わったという伝承施設に、また南三陸さんさん商店街に行ってみたいと。

その後、ある1通のメールを受け取った。2015年に開催された、2015年のJR福知山線事故についての展示会を訪ねたとき、メールの内容は、アンケートに連絡先を記載していたことを思い出した。列車事故に遭われた乗客の方と、東日本大震災で多くの方が犠牲となられた大川小学校の当時の生徒の方の話を伺うというイベントの案内だった。早速予定を入れたものの、その後急に外せない用事が入り、当日は第1部の講演会のみ聴かせていただき、失礼ながら中座した。会場を出て受付の方に記載したアンケートをお渡ししながら少し話をさせていただいた。運転士の方も犠牲者の一人ではないかといったことや、彼が休日も列車の運転について考えていたと事故報告書などで知ったことなどをお伝えしたら、受付をされていた方はJR西日本に勤めていらしたと話してくれた。第2部の対談を含め、後日発刊されるという書籍を読ませていただこうと思いながら、眼を潤ませその場を去った。

11月の旅行では大川小学校も訪ねた。震災翌年にボランティア活動で訪ねた際も何度か来たことはあったけど、その時はまだ被害の記憶が強く残っていたこともあり、スマートフォンのレンズを向けることも控えるべきだと思った。その当時に訪ねたときの写真はほとんど残っていない。震災から10年を経て、写真や動画を自分の言葉と共に残したいと思った。

人はみな、どこかで人生を終える。その終い方は、家族など愛する人に看取られてという場合もあれば、事故などの突然かつ悲劇的な場合もある。そこに着目すれば、悲劇だけが強調されてしまう。同じような事故を防いだり、事故の責任を問うことは大切だけど、犠牲となり命を落とされた方の人生が、その点のみを強調され語り継がれることに、少し疑問を抱いた。

旅の中で出会った若松英輔さんの言葉に、亡くなった人々と心を通わせることもできるのではないかと思えた。それは、生きている人とのコミュニケーションにおいても同じような側面があるのでは…とも。受け取った言葉などのメッセージは、受け取った自分の心の中で消化され、自分の次の行動に繋がる。生きている人とのコミュニケーションでは双方で行われるものだけれど、亡くなった人々との間では自分自身の心の動きのみにはなるものの、それもまたコミュニケーションなのかな。

そう、8月にはここも15年ほどずっと行きたかった福井県小浜市を訪ねた。朝ドラ『ちりとてちん』の舞台となったこの街を訪ねると、今もドラマのことを思い出させてくれる場所であったり展示であったりに出会えた。箸研ぎ体験をしながら、主人公の祖父・正太郎の台詞を思い出したりしながら。そういえば、あのドラマでも喜代美…若狭は悩んだり落ち込んだりするときに祖父と対話をしていたのかなと思える。

映画『ルックバック』もまた、この先も歩いていく藤野はきっとその先も、京本というバディと心の中で対話しながら新しい作品を創り続けていくのだろうと思った。

秋に田中一村の作品を観た。3年前の2021年に千葉で開催された展覧会でじっくりと彼の作品に触れたけど、生前は評価されることがなかった彼と彼の作品に向き合うこともまた、彼との対話になっていたように思える。作品に込められた想いを感じ取り、それを言葉にすることや感想を文字で綴ることがそれになる…と。

と、そんなふうに思えるようになったのは、今年あちこち訪ねてみようと思ったから。2025年もまたさまざまな出会いがあるだろうけど、物怖じせずに歩き続けよう。一人だけど、独りではない。独り言は声に出さず、含み笑いもほどほどに、ゆったりとした気持ちで歩いていこう。

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