映画『マイ・ブロークン・マリコ』を観た。
永野芽郁ちゃんが骨壺を抱えて飛び出していく予告編を映画館で観てからずっと気になっていた。封切りからしばらくたってしまっていたからか上映時間や上映回数は限られてしまっていたけど、かえって朝早い時間の方が時間を有意義に使えると思い、洗濯を済ませてから出掛けた。
映画館に着いてすぐ売店に行くと既にパンフが売り切れているという。見逃してしまうときはもちろんだけど、こういうときに「もっと早く観に来れば…」と後悔する。で、気持ちを切り替え劇場に入った。
始まってすぐ、「マリコの死」という衝撃的な報せからかなりのスピードで物語が進んでいく。それはきっと、芽郁ちゃん演じるシイノの気持ちが動いていくスピードだったんだと、いま改めて思う。マリコの遺骨を奪い抱え疾走し、最初で最後の二人旅に立つ。旅の途中で二人の時間を振り返る。子ども時代から大人になってから、そして、つい最近まで。消灯後の夜行バス、ローカル電車、路線バスと、その時間の流れは微妙に変化し、そして、その中で行ったり来たりするシイノの記憶の中の二人に、観ている僕も痛みを感じていた。
でも、その中からふと感じた。二人の分かちがたい関係を。それはまるで「一心同体」のようだと。マリコのことをウザったいと思いつつも、突然彼女が命を絶ったことはシイナ自身の痛みだった。
最後の二人旅は、二人を明日へと向かわせるものとなった。そこにいた、窪田正孝くん演じるマキオの、自らの経験を経ての穏やかさは、シイノだけでなく、観ている僕の心も温めてくれたようだ。
マリコの存在が彼女のすべてだったというシイノの孤独、そして、自らを追い込むことでしか生きていけないマリコの諦めのような感覚。それらは僕も持っているということを、映画を観終えてから強く感じた。程度の差はあるけど、程度の問題ではないというのと共に。公式サイトで監督のタナダユキさんが書いている「理不尽が押し寄せ、ついに自分を壊すことでしか生きられなくなっていったマリコ」という言葉を読み、改めて実感した。
観逃さなくてよかった。そして、もう一度二人に触れてみたい。その時には、パンフレットが増刷されていてほしい。