食べ物はそれぞれ食べ方がある。堅苦しいかもしれないが、それもその食べ物を味わうために大切なことなのだろう。そして、食べ方には美しさもあり、不作法は美しくないばかりか、食べ物も不味そうに見えてくる。
昼にそば屋に入った。視界に入る先客の大半が、器に口を近付ける、いわゆる「犬喰い」をしていた。いつも気にならないわけではないが、蕎麦猪口を持たずにもり蕎麦を食べる人を見て、苛立ちすら感じられた。もちろん、何らかの理由で手が不自由な方は仕方がないだろうが、遊んだ手をカウンターの下でモゾモソとしているのは、汚らしい。それを反面教師として、背筋を伸ばして音を立ててすすったが、他人から見たらこちらはどうだっただろうか。
立ち食い主体の蕎麦屋で延々と席を占めて本を読んでいるおっさんなどもその部類に入るだろうが、とにかく老若男女問わず「粋」が足りない…と、延々書き綴る僕もその内に入るのだろうか。
昼にそば屋に入った。視界に入る先客の大半が、器に口を近付ける、いわゆる「犬喰い」をしていた。いつも気にならないわけではないが、蕎麦猪口を持たずにもり蕎麦を食べる人を見て、苛立ちすら感じられた。もちろん、何らかの理由で手が不自由な方は仕方がないだろうが、遊んだ手をカウンターの下でモゾモソとしているのは、汚らしい。それを反面教師として、背筋を伸ばして音を立ててすすったが、他人から見たらこちらはどうだっただろうか。
立ち食い主体の蕎麦屋で延々と席を占めて本を読んでいるおっさんなどもその部類に入るだろうが、とにかく老若男女問わず「粋」が足りない…と、延々書き綴る僕もその内に入るのだろうか。