今夜は新国立劇場の舞台『朱雀家の滅亡』を観に行った。三島由紀夫の本を劇場の芸術監督である宮田慶子さんが演出された。観たいと思った理由は、何よりも國村隼さんが出られるということだった。
舞台は戦中から戦後にかけての日本。國村さん演じる天皇家に仕える朱雀経隆とその家族の生き方が描かれている。幕が開いてしばらくして、モーニング姿の國村さんが背筋を伸ばして現れると、場の雰囲気が一層引き締まった。そして、三島の文体がそうなのだろう、美しい言葉によって編まれたセリフがその雰囲気をさらに強めた。
主人公経隆は天皇への忠誠と朱雀家の栄光と繁栄を頑なに守り、その頑なさが物語の大半に貫かれている。頑なな経隆をダンディな國村さんが演じるのだから、その頑なさがことさら強調される。だが、観ているうちにそのストイックな考え方が滑稽に思えてきた。静謐な芝居に対し失礼かと思ったが、そこに三島由紀夫という作家の力が現れているのだろうかと考えてみた。
三島由紀夫といえば、割腹自殺で世を去ったことをはじめ、何となく「右寄りの人」という感じで敬遠していた。だが、この舞台を観て、今更ながら彼の作品に触れてみたいと思った。
ところで、後継ぎがいないという意味では僕は滅んでいくのだな…と、改めて考えていた。プライドをかなぐり捨てて生に執着するか。それともこのまま滅んでいくのか。僕には後者の道しかないのだろうか。
舞台は戦中から戦後にかけての日本。國村さん演じる天皇家に仕える朱雀経隆とその家族の生き方が描かれている。幕が開いてしばらくして、モーニング姿の國村さんが背筋を伸ばして現れると、場の雰囲気が一層引き締まった。そして、三島の文体がそうなのだろう、美しい言葉によって編まれたセリフがその雰囲気をさらに強めた。
主人公経隆は天皇への忠誠と朱雀家の栄光と繁栄を頑なに守り、その頑なさが物語の大半に貫かれている。頑なな経隆をダンディな國村さんが演じるのだから、その頑なさがことさら強調される。だが、観ているうちにそのストイックな考え方が滑稽に思えてきた。静謐な芝居に対し失礼かと思ったが、そこに三島由紀夫という作家の力が現れているのだろうかと考えてみた。
三島由紀夫といえば、割腹自殺で世を去ったことをはじめ、何となく「右寄りの人」という感じで敬遠していた。だが、この舞台を観て、今更ながら彼の作品に触れてみたいと思った。
ところで、後継ぎがいないという意味では僕は滅んでいくのだな…と、改めて考えていた。プライドをかなぐり捨てて生に執着するか。それともこのまま滅んでいくのか。僕には後者の道しかないのだろうか。