先日、何かのセリフがふと頭をよぎった。それが何のセリフかすぐに思い出せなかったが、昨夜思い出した。
昨夜は久しぶりに新国立劇場に演劇『パーマ屋スミレ』を観に行った。昨年11月に『天守物語』を観て以来だから、4か月ぶりとなる。そして、昨年観た『焼肉ドラゴン』に続く鄭義信さんによる作品だ。
舞台は1965年の九州。有明海を望む「アリラン峠」と呼ばれる場所にある炭鉱労働者の住む長屋街にある一軒の床屋さん。その店を切り盛りする須美(南果歩さん)とその夫で炭鉱労働者の成勲(松重豊さん)を中心に物語は展開される。
祭りの夜、炭鉱で炭塵爆発が発生し、仲間を助けようと坑内に向かった成勲たちはCO(一酸化炭素)中毒に罹ってしまう。耳鳴りや頭痛に悩まされ、不本意に家族に手を上げてしまうことも。働くこともままならず、また十分な補償も得られない中、次第に追い込まれていく彼らに、国のエネルギー政策の変換が追い打ちをかけていく。
彼らの多くがやがてこの地を去って行った。成勲の弟英勲は、社会主義の理想郷を求めて北朝鮮に渡り、須美の姉初美(根岸季衣さん)と息子の大吉、そして内縁の夫茂之は職を求め関西に向かった。だが、須美と成勲はこの地に残った。
実はそこに理想郷などないことを知りつつ北に旅立とうとする弟を、力ずくで止めようとした成勲の表情が哀しかった。結局弟を止めることができなかった彼の哀しみは、きっと死ぬまで消えなかったのだろう。松重豊さんは『ちりとてちん』の不器用なお父ちゃん役が印象的だったが、今回の役も心に深く残る力演、名演だった。
賑やかだった店の中に須美と成勲が2人だけで語らうシーンに涙が溢れた。大吉が語る彼らのその後に追い打ちをかけられた。いつもながら、一人で良かったと思う。だが、本当は内容について誰かと語り合いたい。
タイトルの『パーマ屋スミレ』は舞台上に実在しなかった。冒頭と終盤、「いつかはパーマ屋をやりたい」という須美のセリフの中で、その店名として語られるのみだ。前日の夕刊に掲載されていた劇評に、それが「在日コリアンの実現しなかった希望を象徴する」と書かれていて、ハッとした。
大人になった大吉(酒向芳さん)がストーリーテラーとなり、トタン屋根の上などで語る姿は、『焼肉ドラゴン』の時生に重なる。時生は亡くなってしまったのに対し、大吉はその後の日本を在日コリアンとして生きてきた。その彼の語る言葉には、重みと共にファンタジーを強く感じた。
そういえば、僕がまだ子どもの頃は北海道や九州に炭鉱があった。坑内で大規模な火災が発生し、まだ人がいるのに水を注入しなければならないといったニュースを恐る恐る聞いていた。その後、閉山に伴う争議なども微かに記憶に残っている。
炭鉱の全盛期には、地域に映画館などが建つなど大いに賑わったということを後に聞いたことがある。その栄枯盛衰の底辺には、多くの炭鉱労働者の苦労が、そして犠牲となった命があったということを、この舞台を観て改めて感じた。九州といえば、熊本南部の水俣で発生した水俣病を思い出すが、同じように市井の人々に苦労や犠牲を強いるものだったのだ。
現在進行形の原発事故の災禍のイメージが重なる。沖縄の米軍基地も。この国は、何かの犠牲の上に繁栄の幻想を見ているようだ。世界一豊かだと言われた一瞬、僕らは幸せを感じられただろうか。だから、「復興」はそうした今までの形を変えていくものにしたいと思う。
ふと思い出したセリフは『焼肉ドラゴン』のものだった。感想を書いた記事をもう一度読み返した。その日から20日余り後に、あの地震が起きた。そして、明日はそれから1年後となる。
改めて、あのセリフを文字にしてみようと思う。
えぇ春の宵や… えぇ心持や…
こんな日は 明日が信じられる
たとえ昨日がどんなでも
明日は きっとえぇ日になる
どんなに辛いことがあったとしても、同じ時を生きる人たちにとって明日がきっとえぇ日になりますように…
昨夜は久しぶりに新国立劇場に演劇『パーマ屋スミレ』を観に行った。昨年11月に『天守物語』を観て以来だから、4か月ぶりとなる。そして、昨年観た『焼肉ドラゴン』に続く鄭義信さんによる作品だ。
舞台は1965年の九州。有明海を望む「アリラン峠」と呼ばれる場所にある炭鉱労働者の住む長屋街にある一軒の床屋さん。その店を切り盛りする須美(南果歩さん)とその夫で炭鉱労働者の成勲(松重豊さん)を中心に物語は展開される。
祭りの夜、炭鉱で炭塵爆発が発生し、仲間を助けようと坑内に向かった成勲たちはCO(一酸化炭素)中毒に罹ってしまう。耳鳴りや頭痛に悩まされ、不本意に家族に手を上げてしまうことも。働くこともままならず、また十分な補償も得られない中、次第に追い込まれていく彼らに、国のエネルギー政策の変換が追い打ちをかけていく。
彼らの多くがやがてこの地を去って行った。成勲の弟英勲は、社会主義の理想郷を求めて北朝鮮に渡り、須美の姉初美(根岸季衣さん)と息子の大吉、そして内縁の夫茂之は職を求め関西に向かった。だが、須美と成勲はこの地に残った。
実はそこに理想郷などないことを知りつつ北に旅立とうとする弟を、力ずくで止めようとした成勲の表情が哀しかった。結局弟を止めることができなかった彼の哀しみは、きっと死ぬまで消えなかったのだろう。松重豊さんは『ちりとてちん』の不器用なお父ちゃん役が印象的だったが、今回の役も心に深く残る力演、名演だった。
賑やかだった店の中に須美と成勲が2人だけで語らうシーンに涙が溢れた。大吉が語る彼らのその後に追い打ちをかけられた。いつもながら、一人で良かったと思う。だが、本当は内容について誰かと語り合いたい。
タイトルの『パーマ屋スミレ』は舞台上に実在しなかった。冒頭と終盤、「いつかはパーマ屋をやりたい」という須美のセリフの中で、その店名として語られるのみだ。前日の夕刊に掲載されていた劇評に、それが「在日コリアンの実現しなかった希望を象徴する」と書かれていて、ハッとした。
大人になった大吉(酒向芳さん)がストーリーテラーとなり、トタン屋根の上などで語る姿は、『焼肉ドラゴン』の時生に重なる。時生は亡くなってしまったのに対し、大吉はその後の日本を在日コリアンとして生きてきた。その彼の語る言葉には、重みと共にファンタジーを強く感じた。
そういえば、僕がまだ子どもの頃は北海道や九州に炭鉱があった。坑内で大規模な火災が発生し、まだ人がいるのに水を注入しなければならないといったニュースを恐る恐る聞いていた。その後、閉山に伴う争議なども微かに記憶に残っている。
炭鉱の全盛期には、地域に映画館などが建つなど大いに賑わったということを後に聞いたことがある。その栄枯盛衰の底辺には、多くの炭鉱労働者の苦労が、そして犠牲となった命があったということを、この舞台を観て改めて感じた。九州といえば、熊本南部の水俣で発生した水俣病を思い出すが、同じように市井の人々に苦労や犠牲を強いるものだったのだ。
現在進行形の原発事故の災禍のイメージが重なる。沖縄の米軍基地も。この国は、何かの犠牲の上に繁栄の幻想を見ているようだ。世界一豊かだと言われた一瞬、僕らは幸せを感じられただろうか。だから、「復興」はそうした今までの形を変えていくものにしたいと思う。
ふと思い出したセリフは『焼肉ドラゴン』のものだった。感想を書いた記事をもう一度読み返した。その日から20日余り後に、あの地震が起きた。そして、明日はそれから1年後となる。
改めて、あのセリフを文字にしてみようと思う。
えぇ春の宵や… えぇ心持や…
こんな日は 明日が信じられる
たとえ昨日がどんなでも
明日は きっとえぇ日になる
どんなに辛いことがあったとしても、同じ時を生きる人たちにとって明日がきっとえぇ日になりますように…