新国立劇場の舞台『やけたトタン屋根の上の猫』を観た。
金曜の夜とあって、劇場はなんとなく華やいでいる。そんな中、客席に入っていくと大きな部屋の真ん中にダブルベッドと脇にバスルームという舞台がしつらえてあった。多少の予備知識は入れていたものの、どのような展開になるのか気持ちが高まる。
父親の死期が迫り、遺産相続を巡って家族の間に繰り広げられる建前や嘘。それが徐々に露わになっていく。戯曲を書くというのは人間の業みたいなものを煮詰めて濃厚にしていく行為なのだろうと、何度か見ていくうちにようやく感じられるようになった。
寺島しのぶさんの舞台を久しぶりに見て、やはしこの人は舞台女優なんだなあと思った。彼女と北村有紀哉さんとの掛け合いは、その裏にあるものを少しずつ見せながら激しさを増していく感じが鬼気迫ってきた。それよりも、北村さんと木場勝己さんとの親子二人がぶつかり合うシーンに圧倒された。
だが、何か物足りないものを感じた。前回の『ヘッダ・ガーブレル』と比べていた。大地真央さんの名演技もあったが、ヘッダの内面深くを描いた物語に対し、この作品では北村さん演じるブリックの内面世界がもっと描かれるべきなのではないかと思った。まあ、数少ない観劇歴からこんなことを言うのも偉そうだが。
僕のすぐ前に渡辺えりさんが座っていた。演出の松本祐子さんが席まで挨拶に来られていた。そんな席だからか、寺島さんと北村さんのやり取りのシーンでは二人の立ち位置に迫力が一層高まった。
やけたトタンの上であってもけっしてそこから逃れられない。セリフにあった「欺瞞」という言葉を胸に抱え、人間の業の深さを感じながら劇場を後にした。