先日、東京都現代美術館へ『翻訳できないわたしの言葉』を観に行った。
昨年の『あ、共感とかじゃなくて。』の記憶がまだ残っている中、この企画を知ってすぐに行きたいと思ったものの、結局会期末近くでの鑑賞となった。
「わたしの言葉」は果たして伝えたい相手に伝わっているだろうか。そんな疑問を常々感じ、迷いや諦めの気持ちと共に日々過ごしている中で、何かを得られればという気持ちもあった。結果として何かを得ることができたかはまだ分からないけど、少し気持ちが楽になったような感じはする。というのは…
「伝わらない」は誰もが持っている悩みだということを、今さらながら考えた。気持ちが楽になったのはそのことにだった。けれども、そこで開き直ってしまっていいのだろうか…と。どんなに丁寧に言葉を重ねても、その先にいる伝えたい相手は僕と全く同じスタンスにいる訳ではないし、言葉が独り歩きしてしまうこともある。もしかしたら、僕の選んだ言葉が間違えているのかもしれない。
いま、展示に触れた時に感じた気持ちを思い出しながら、わたしの言葉はその時に発したり綴ったりした言葉だけではなく、日々の中で発する言葉や取っている行動と共にイメージされるのではないかと思う。
そういえば、最近はあまり言葉を発しなくなっている。相手の中に極端な解釈をする人がいるからというのもあり、臆病になっているのかもしれない。沈黙したらお終いだと思っていた僕が、今ではそんな状況だ。もっと端的に言うと、信頼できる人が非常に限られているということ。淋しいけど、今しばらくは傘の下で雨が止むのを待つしかない。淋しいけど。
でも、今回の展示で今の僕の考え方とは全く違うスタンスで、積極的に言葉を発し、聴こうとする人たちがいるということに、勇気というか力をもらえた気もする。そんな感じもまた、前段で書いた「少し気持ちが楽になった」に、違う流れで繋がったのかもしれない。雨が止んだ後も傘を差し続けないために、そして、雨が止んだことに気付けるように、その気持ちは断ち切らないようにしよう。