衆議院議員選挙が終わった。前日に病院の待合室でめくった雑誌の結果予測とほぼ一緒だった。揺り戻しすら起きなかったということは、政権与党に対する人々の失望の大きさを示しているのだろう。
様々な要因が指摘される中、最も大きいのは「小泉改革の後遺症」だったと僕は思う。
小泉純一郎氏の政治手法は、有権者に強い刺激を与え、その思考を麻痺させてしまうことで、ことを運ぶというものだったのではないか。突然の北朝鮮訪問もそうだったし、その最たるものは「郵政民営化」だろう。後者を理由に選挙まで行われたのは今もって理解できないが、あの政策自体冷静に事後評価されていない。
人々は彼に熱狂し、より強い刺激を求めたが、彼の任期が1年ほど延ばされたものの終わりを迎えると、今まで「改革」のためと目をつむっていたことに対する疑問が噴出した。後任は逃げ出したり失言を重ねたりしたが、それらは決定的な失点ではなかったと思う。
昨秋以降の経済危機は、改革の副作用として人々の、特に立場の弱い人々の生活を直撃した。だが果たして、彼らは前回誰に投票したのだろう。
大江アナが出ていたからという訳ではないが、テレビ東京の選挙特番を見ていたら、小泉政権の経済政策を担当していた竹中平蔵氏が出演していた。彼は時にバカにしたように見える笑みを見せながら民主党のマニフェストを批判していた。塩川正十郎氏の批判は年寄りの僻みにしか聞こえなかったが、竹中氏のそれは見ていてとても不快だった。そういえば、彼は人材派遣会社の会長になるようだが、そんな生き方ができる厚顔さに呆れる。
人々は「小泉改革」がもたらしたから一種の快感から、「百年に一度の経済危機」の中で禁断症状に苦しみながら、「与党以外」という選択をした。ならば我々も「民主党さん、お手並み拝見」とばかりに高みの見物を決め込むのではなく、積極的に政治に参加すべきだ。お仕着せが自分に合わないなら、自分で直していけばいい。
民主党に期待がないわけではないが、「自分たちは間違えてはいない」と過信することなく、常に人々の声に耳を傾けてほしい。「塾」の出身者が多いようなので、特に気になる。
いずれにせよ、僕らは一歩踏み出した。その選択に、僕ら自身の責任も問われる。
様々な要因が指摘される中、最も大きいのは「小泉改革の後遺症」だったと僕は思う。
小泉純一郎氏の政治手法は、有権者に強い刺激を与え、その思考を麻痺させてしまうことで、ことを運ぶというものだったのではないか。突然の北朝鮮訪問もそうだったし、その最たるものは「郵政民営化」だろう。後者を理由に選挙まで行われたのは今もって理解できないが、あの政策自体冷静に事後評価されていない。
人々は彼に熱狂し、より強い刺激を求めたが、彼の任期が1年ほど延ばされたものの終わりを迎えると、今まで「改革」のためと目をつむっていたことに対する疑問が噴出した。後任は逃げ出したり失言を重ねたりしたが、それらは決定的な失点ではなかったと思う。
昨秋以降の経済危機は、改革の副作用として人々の、特に立場の弱い人々の生活を直撃した。だが果たして、彼らは前回誰に投票したのだろう。
大江アナが出ていたからという訳ではないが、テレビ東京の選挙特番を見ていたら、小泉政権の経済政策を担当していた竹中平蔵氏が出演していた。彼は時にバカにしたように見える笑みを見せながら民主党のマニフェストを批判していた。塩川正十郎氏の批判は年寄りの僻みにしか聞こえなかったが、竹中氏のそれは見ていてとても不快だった。そういえば、彼は人材派遣会社の会長になるようだが、そんな生き方ができる厚顔さに呆れる。
人々は「小泉改革」がもたらしたから一種の快感から、「百年に一度の経済危機」の中で禁断症状に苦しみながら、「与党以外」という選択をした。ならば我々も「民主党さん、お手並み拝見」とばかりに高みの見物を決め込むのではなく、積極的に政治に参加すべきだ。お仕着せが自分に合わないなら、自分で直していけばいい。
民主党に期待がないわけではないが、「自分たちは間違えてはいない」と過信することなく、常に人々の声に耳を傾けてほしい。「塾」の出身者が多いようなので、特に気になる。
いずれにせよ、僕らは一歩踏み出した。その選択に、僕ら自身の責任も問われる。