あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

持ち続ける理想

2010-04-25 18:55:44 | つれづれ
朝からどこかへ行こうと想っていたが、二度寝から目覚めたのは昼前だった。出かけるのを諦めた。こんな時は、録画してある番組を見るくらいしかない。

予告を見て気になった『大仏開眼』というドラマを録画していた。古代史にはほとんど関心を持っていない僕が気になったのは、聖武天皇を國村隼さんが演じることだった。

登場人物たちは、荒廃した国をどのように立て直すかという課題に対し、それぞれの立場から答えを出そうとする。だが、その思いは、時を経て権力を握ることで変貌していく。法は揺るぎなくとも、それを守る人間は揺らぐ。古代史を描いているが、現代の政治や社会にもつながるテーマがそこにあった。

理想を持つのは難しくないが、それを持ち続けるのは難しい。果たして僕は、今回のイベントに臨む際に持っていた理想を持ち続けていられただろうか。そして、いつも理想を持ち続けているだろうか。
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あの日から5年

2010-04-24 23:15:21 | 立ち止まる
107名の尊い命が失われたJR福知山線事故から今日で5年が経つ。
昨日には、既に起訴されている山崎前社長に続き、歴代の社長3人が強制起訴された。夜のニュースでそのことを知ったのだが、コメントを求められた法律家は、有罪に持ち込むのは難しいと言っていた。確かに、検察は2度起訴を断念していて、そこにはそれなりの理由があったろうから、そこを改めて否定するのは難しいということなのだろう。

遺族の方の心情を完全に理解することはできないが、歴代の社長を有罪にすることよりもむしろ、なぜあのような惨劇が起き、家族を奪われなければならなかったのかを知りたいのではないだろうか。彼らから、彼らの言葉でそのことを語ってほしいと僕も思う。

だが、当初から僕はこの事故について、複数の原因が複雑に絡み合っていることをもっと第三者が指摘し、追求していくものだと思っていたが、航空・鉄道事故調査委員会による調査を除いて、現在に至るまでそうした研究が行われたという話を聞いたことがない。

昨年秋に読んだ『JR福知山線事故の本質』という本の中で、制限速度を超過した場合、自動的にブレーキがかかり制限速度まで減速させるような信号装置をこの現場に設置していれば防げたということが書いてある。そこが、事故を防ぐ最後の砦となるべきであったのに、JR西日本はそれを怠っていた。まず、1997年の線路付け替えに際し、どのような検討がされていたのかを明らかにすべきである。
そして、そうしたハード対策を「必要ない」と判断した根拠はどのような内容だったのだろうか。

JR東西線の開通に伴う線路付け替えについて、その頃まだ毎月買っていた鉄道雑誌で読み、「かなり複雑だな」と思ったことを、あの事故の映像をテレビで見た瞬間に思いだした。列車1本の遅れで各方面へ影響が波及することを恐れていたのではないかと、まず思った。一昨年開業した東京メトロ副都心線でも、ある路線でのダイヤの乱れが、副都心線、有楽町線、東武東上線、西武池袋線の4線に影響する。

ダイヤを設定した際の各駅での停車時間が適正だったのか。停車時間に対し乗客が多すぎた場合、慢性的に遅れが発生するだろう。普段は大丈夫かもしれないが、降雨や、例えば接続するバスが遅れるなどの理由でも乗客数のバランスは大きく狂ってしまう。
毎朝、その電車に乗ろうと必死で駆け込む人や、閉じかけたドアをこじ開けて乗り込もうとする人を見かける。そんなことで電車は遅れを大きくされてしまう。乗客の側にも自制が求められる部分であるが、それを整理するための駅員配置は適正に行われていたのだろうか。

さまざまな要素を整理すると、この路線の運転士には「定時運転」を確保するために相当なプレッシャーがかかっていたのではないかと推測する。それに対しJR西日本は、かなりの批判を受けた「日勤教育」をはじめとした締め付けにより定時運行を厳守させようとしたのだろうか。

こうしたことを考えながら、この事故が発生した原因を追求る上で、「運転士に対する業務要求が過大ではなかったか」という労働管理上の問題が指摘されてしかるべきだと思う。

この本を読んでからすぐ、航空・鉄道事故調査委員会による報告書をWEBで閲覧した。ここに記された、事故列車の運転士に関する記述を読みながら、もちろんそれがすべてではないのかもしれないが、休日に運転室後ろに陣取り運転中のポイントを再確認するなど、彼の運転士という仕事に対する真摯さが伝わってきた。一時とはいえ、そんな彼に「加害者」のレッテルを貼り、自らの責任を免れようとしたJR西日本の体質に、「作業環境管理」、「作業管理」、「健康管理」という労働安全衛生上のアプローチがされていないとしたら、それは労働行政の怠慢ではないかとも思える。

過労死や過労自殺といった問題も、労働時間だけでなく、任せられた業務とそれに対する労働者の裁量や能力とのギャップなどについてメスが入れられてしかるべきではないだろうか。

論点があちこちに飛んでしまったが、亡くなられた方々の無念を思うと、せめてこの事故が、様々な示唆とともに各種の安全対策を推進するきっかけとなることを願う。

そして改めて、犠牲となられた方々のご冥福と、被害者の方々や遺族の方々の心身の傷が癒されることをお祈りする。
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うたたね

2010-04-24 14:46:38 | つれづれ
病院をハシゴしたらお昼をまわっていた。

仲間からの誘いを受けていたので、その後、神保町まで行くつもりだったが、天気もいいし、また比較的まっすぐ行きそうなバスは目の前のバス停を出て行くところだったので、このまま歩いて行くことにした。

途中いくつか寄り道をしたものの、1時間ほどでたどり着いた。1冊の本を買い求め、さらに先へと向かう。

少し疲れたのでカフェに入った。今ここでこの記事を打ちながら、何度うとうとしただろう。まあ、これが贅沢なんだと思い、その世界に思いっきり浸ろうと思っていたら、近くのおっさんのくしゃみで我に返った。

さあ、そろそろまた歩き始めるかな。
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ぼんやり

2010-04-23 20:38:10 | つれづれ
先週末のイベントの準備のため、ここ数ヶ月の間は慌ただしく過ごしてきたが、一昨日の打ち上げを終えると、火が消えたように静まり返った。寂しくもあるが、ホッとしたというのが正直なところだろうか。

前後して読んでいた『ぼんやりの時間』という本を、昼過ぎに読み終えた。せかせかしている日常と平行して読んでいたので、正直、頭の中でちょっぴり混乱が渦を巻いていた。それでもその「ぼんやりの時間」の大切さを痛感したのは、この状況で読んだからだろうか。

ゴールデンウィークの前に、今週末は一日くらいのんびりと過ごそうと、改めて思った。
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一人の時間

2010-04-23 07:26:49 | つれづれ
今日も寒い一日になるという。春夏用のスーツにコートを羽織るのは不粋だが、異常気象のせいにすれば気休めにはなる。

慌ただしい日々が続く中、それでも週末は休めるのだからまだましかもしれないと思いつつ、やらなければならないことを指折り数えてみる。
土曜日に限ったことではないが、午前中でしかできないことがいろいろある。それでも、一連の用事が済むのはお昼をかなり過ぎてからだろうと思う。

母の面倒を見るとはいえ、一人佇む時間がある週末は久しぶりだ。午後なら、カフェにでも入って一人でぼんやりするのもいい。

これからのことは、その後で考えよう。今さら慌てる話でもない。
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渡り鳥

2010-04-22 08:02:47 | つれづれ
昨夜、週末のイベントの打ち上げから帰宅してすぐ、録画したドラマ『Mother』を観ていた。

逃避行を続ける奈緒と継美が安らぎを求めて立ち寄った養護施設で、奈緒の生い立ち、特に、心の中の大きな影が見えてきた。

渡り鳥は翼を休めたかったのだろうが、逃避行ではそのささやかな安らぎすら許されない。この場所で3人でひっそりと暮らすことは叶わなかった。

悲しい別れを経て、次週は奈緒の育ての母と生みの母と向き合っていく展開のようだ。初回、2回目と、ますます引き寄せられる。
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願う

2010-04-21 07:54:33 | つれづれ
今日も雨が続くと思っていたが、天気予報では降水確率も低く、それを信じて折り畳み傘も持たずに家を出た。駅の植え込みの葉に残る滴が、キラキラと輝いていた。

昨夜は『八日目の蝉』を録画でなく見た。希和子と薫は小豆島にたどり着き、2人での、ささやかながら落ち着いた暮らしを掴みかけていた。だが、その暮らしが幸せであればあるほど、今度はその幸せがいつまでも続くのかという不安が高まる。来週の予告には、希和子が逮捕されるシーンが含まれていた。あと2回、どのような展開になるのか楽しみだ。

さて、僕はまた一つ歳をとってしまった。「しまった」というくらい無為な一年ではなかったとは思うが、手許に残ったものは多くはない。

今さらどうあがいても人生が大きく変わることはないが、ならば、無理や背伸びなどせず、一つひとつの瞬間を楽しめたらいい。

そんな日々を重ねていくことを、この日に願う。
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善悪ではなく

2010-04-20 07:16:44 | つれづれ
庭のさくらがまだ花をまとっていた。週末の冷え込みで萎れてしまったものもあったが、それらに行く分の栄養も受け取り、残った花はいっそう可憐な姿を保っている。

週末のイベントで、泣きじゃくる子どもの相手をしていたらこちらまで泣きそうになっていた。それは、父性というか、母性というか、そんなものだったのか。何とかしたいという気持ちが先に出てしまっていた。

『八日目の蝉』とともに春のドラマで注目しているのが、松雪泰子さん主演の『Mother』だ。どちらも子どもを連れ去って逃避行するという物語だが、切り口は異なっている。

先週、録画していた初回を一日遅れで観たのだが、ぐっと引き込まれてしまった。
まず、映像がいい。「映画のような」という表現をしていた人もネット上にいたが、しっとりとした映像に、カメラワークやカット割りなどのクオリティが非常に高レベルに感じられた。
そして、感情を抑えた松雪さんの演技と、それと互角に渡り合う子役の女の子の演技が秀逸だった。

どちらも衝撃的な内容だが、善悪を越えたところに主題がある。そこに心がシンクロすれば、観る人にとって心奪われる作品となるだろう。

で、今日は『八日目の蝉』だ。小豆島に渡った希和子と薫が描かれていく今後が楽しみだ。
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これから

2010-04-19 07:54:02 | つれづれ
4月に入ってしばらく経ってしまったが、ようやく衣替えをした。

家から出ると、先日ほど出はないにせよ、ひんやりとした空気に包まれ、一瞬ぱっと目が覚めた気がしたが、乗り換えて席を確保すると、確実に睡魔の標的になってしまった。

眠りの隙間になにやら考えながら、それを繋ぎ合わせることができない。ただ、これからの自分についてのことだというのはなんとなくわかっている。
だから、これから少しずつ、夢の中でなく意識して考えていこう。
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弱い心

2010-04-18 23:47:02 | つれづれ
イベントも終わり、帰りにスーパーで買い物をした。

かごに入っていく品物のほとんどが、環境にあまりよろしくないものだったのは、反動であり皮肉でもある。

自分の弱さを実感しながら、その現実に戻る。
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