2024年9月27日(金)、北木島からの帰り、中国自動車道江の川PAで車の中に寝て、朝から北広島町新庄の小倉山城(標高460m)に行った。毛利元就の次男・吉川元春が1550年、本城を日山城(ひのやまじょう)に移すまで、吉川氏の居城だったところである。
北側駐車場から、北回り散策コースを左回りした。
岡崎池・東側廓(くるわ)・南側廓
南側廓には、建物跡・門跡などがあった。
御座所跡・二の丸・三の丸(入口)
堀切
本丸
散策コースは、案内板が設置され、よく整備されており、気持ちよく歩くことが出来た。
残念だったのは、周辺の木が邪魔して、本丸跡からの見晴らしが良くなかった。
そして、二日間の汗を流しに寄った、おおあさ鳴滝温泉が閉館になっていた。
2024年8月17日(土)、朝早く、北広島町の吉川元春館跡を訪ねた。昨晩、日が変わる頃、寒曳山PAに着き、車の中に寝たら、寒さで目が覚めた。毛利元就の次男吉川元春が、1583年頃、隠居所として建てた館跡を訪ねた。東側の正面と復元模型。
元就の次男元春は、山陰一帯に勢力を振るっていた名族吉川家の養子となり、瀬戸内海水軍を抱える小早川の養子となった三男隆景とともに、「毛利両川」と呼ばれ、毛利氏の中国地方制覇を支えた。
広々とした館跡を四方向から眺めた。
北東から
北西から
南西から
南東から
館の南西奥には、元春と長男元長の墓があった。
元春三男の吉川広家は、関ヶ原の戦いにおいて、徳川方と不戦の密約を交わし、結果的に、西軍の総大将にまつりあげられた、従弟で主君の輝元の助命と防長二国を毛利に残した。
2024年1月19日(金)、佐伯区五日市町の石内公民館敷地内にある竪穴住居を訪ねた。30年前のアジア大会開催(1994年)に向け、マラソンコースとなる石内バイパスが建設された。そのとき発見された「下沖(したおき)5号遺跡」にちなみ復元された竪穴住居。地元有志が、今から約1,800年前の弥生時代後期の住居をイメージし、復元したもの。
近年、「かや」の入手が容易でなく、一部「わら」も使っている。ふき替えや修繕作業する人が高齢化し、技術の継承が課題となっているなど、案内してくれた公民館職員から説明を受けた。
かやぶき屋根は、想像していた以上の厚みがあり、ふき替えごとにかやが大量に必要になるだろうと思った。わらが下地に使われていた。
1,800年前と言えば、若い頃はずいぶん昔のような気がしていた。しかし、最近は、そんなに昔でもないなと思うようになった。アジア大会でカネボウの早田選手を沿道で応援したが、30年があっという間に過ぎたから。
2023年2月22日(水)午後、鞆港の周りを散策した。パンフレットには、伝統的建造物保存地区内に江戸時代から昭和30年代までに建てられた約280棟の建物があると紹介されていた。面白そうだったが、午前中4時間歩き詰めだったので、鞆港の周りだけにした。鞆の浦歴史民俗資料館がある高台から眺めた鞆港。かすかに四国の山が見えた。
常夜燈(じょうやとう):高さ5m、基礎幅3mの石造りの灯台。1859年築造。現存する江戸期最大級の高さ。
雁木(がんぎ):潮の干満差にもかかわらず、積み荷の揚げ下ろしが可能な階段状の船着場。
大波止(おおはと):台風など強風による大波から船舶を守る。1791年築造から、大規模修理と延長が行われ、現在の長さは約144m。
西町の建物:西町は室町時代に形成された、鞆港の中心地。
対潮楼(福禅寺):朝鮮通信使の迎賓館として利用。
灯籠欄干と梅
パンフレットを沢山貰ってきたので、じっくり読んで再訪したいと思った。
2022年12月4日(日)、たけはら町並み保存地区を散歩した。竹原市は、「安芸の小京都」と呼ばれている。江戸時代に製塩や酒造、廻船で栄え、当時の屋敷やお寺の町並みが国の伝統的建造物群保存地区に選定されている。アニメ「たまゆら」の舞台になったところだ。
最初に、かつての塩田に建つ大正時代の邸宅旧森川家住宅で塩のアートを見学した。
町の中心を走る本町通りを散策した。
旧笠井邸:2階から本町通りを眺めた
竹鶴酒造:日本のウイスキーの父竹鶴政孝生誕の地
旧松坂家住宅:塩田の釜屋(塩水を煮詰める施設)の燃料となる薪・石炭問屋を営んだ商家の邸宅
西方寺:竹原の町並みを一望
竹鶴政孝・リタ銅像
正面向こうに見えるのが西方寺
本町通りを胡堂まで歩き、本町通りを振り返った。この胡堂は、映画「時をかける少女」(1983年)で舞台になったそうだ。
竹原は、出張で2~3回行ったことはあるが、町並み保存地区は初めて。アニメや映画の舞台になっただけあって、いろいろ発見がある。惹かれる街であり、また訪れたいと思った。