2022年1月25日(火)、大竹市内の西国街道を、ゆめタウンから安芸・周防の国境の小瀬川まで片道4km弱を往復した。旧逓信省建屋跡
舗装道路から竹林の山道に入ると直ぐのところにあった。昭和の初めに東京から敷かれた「長距離市外電話」ケーブルの中継基地。〒マークは逓信省の「テ」から出来たそうだ。
長州の役古戦場跡
1kmあまりの峠道「苦の坂」で、1866年幕府軍と長州軍が銃撃戦を行い、長州軍が勝利した。竹林の次は、アベマキの落ち葉が積ったフカフカの道だった。
榺(ちきり)池神社
苦の坂のたもとにある。厳島神社の祭神が、大切にもっていた「ちきり(はた織りの道具)」を池に投げ捨て、身を軽くして坂を越えたという伝説がある神社。「えらや苦しや この苦の坂は 金のちきりも要らぬもの」。当然深く低頭しないと神社に参拝出来なかった。
太閤振舞井戸
太閤秀吉が名護屋城からの帰途、木野村で休息をとった際、この井戸の涌き水で茶を振る舞ったと伝えられている。今も涌き水が出ているようだ。
木野の町並み
格子戸のしっとりした町だった。
木野川の渡し場跡(大竹市重要文化財)
安芸・周防の国境を流れる小瀬川(木野川)の船渡し場。当時は、川幅約22m、水深0.7m。
洪水から村を守るための堤防として、渡し場に「巻き石護岸」
渡し場の約120m上流に「三角和久(わく)」があった。
ともに福島正則が築いたと言われ「福島堤防」と呼ばれている。千年以上昔の律令時代に造られた西国街道を歩いて、古い時代を思いやった1日だった。
2022年1月17日(月)、江戸時代に江戸と長崎を結ぶ主要な道路だった「西国街道」の大竹市内の一部区間を歩いた。大竹市には先月登った行者山や三倉岳など山歩きで訪れることはあるが、言わば通過地。今回、初めてゆめタウンを起点にぐるりと約4.3km、じっくり時間をかけて散策した。亀居城跡は、山陽自動車道からちらっと見るくらいで、関心を持ったことがなかったが、素晴らしい石垣を見て、来てよかったと思った。氅(けごろも)の碑
松尾芭蕉が1694年に没した後、芭蕉の150回忌(1843年)に、小方村の俳人たちが句碑にして建立した。
「氅につつみて ぬくし 鴨の足」(鴨の足はふっくらした毛に包まれて温かそうだなあ~)
和田家の長屋門
人家に見えるが、門。和田家は、江戸時代を通して、庄屋を務め、また佐伯郡11村束ねる割庄屋だった功績などにより「長屋門」が許された。
街道沿いは当時の町屋の面影が今も残っていた。
厳(いつき)神社
650年前から存在し、地域の氏神信仰の中心となっている。安芸の宮島と同じ、大竹市最大の石造り「両部鳥居」らしい。
西念寺の砲弾跡
第二次長州戦争(1866年)において、西念寺は、長州軍の前線基地として本陣が置かれた。そのため、幕府軍の艦砲射撃の標的となり、本堂の梁を支える肘木(ひじき、柱の上にあって上部構造を支える横木)に破損の跡が残っている。境内のクスノキは、樹齢約400年。
亀居城跡
関ケ原の合戦後、芸備2か国与えられた福島正則が築いた6つの支城のひとつ。1603年に築城が開始され、5年後の1608年に完成、その3年後の1611年に一国一城令で廃城となった。
大竹市出身の作詞家石本美由紀の直筆の歌碑「詩の坂道」を見ながら巡った。遠い昔聴いた懐かしい歌詞だが、出足の1フレーズしか歌えなかった。①柿の木坂の家(青木光一)②矢切の渡し(細川たかし)③悲しい酒(美空ひばり)ほか
本丸から、大竹のコンビナートや沖合いに阿多田島(正面)・大黒神島(その左)など瀬戸内の島々を眼下に一望した。
2022年1月4日(火)、しま山百選のひとつ周防大島の「嵩山(だけさん、619m)」に登った。山の紹介では、「山頂まで舗装道路が整備されていて、車で行くことが可能」とされている。山頂に車で行ける山には興味が湧かないが、平群島の大嶽で見た集塊岩が嘉納山にもあるらしく、嵩山から嘉納山(かのうざん、685m)へ往復をすることにした。周防大島町久賀庁舎付近から眺めた嵩山。
やすらぎの丘から登り始め、まず岩屋権現に参拝した。
予報では晴れのはずだったが、雲が多く、おまけにガスって、嵩山頂から平群島が良く見えない。
柱島は全く見えない。嵩山をそこそこにして、嘉納山に向かった。
片道4kmの嘉納山への歩道は、よく整備されていたが、アップダウンの繰り返し。展望なしで、アオキとカゴノキの樹皮を見ながら、ひたすら歩いた。
嘉納山の山頂近く、源明山(げんめいざん、624.7m)への縦走路と交わる手前に集塊岩があった。説明版がないと、戦時中の何か施設のコンクリートの残骸と思ってしまいそうだ。
柱島は嘉納山山頂からもガスって見えなかった。山頂近くからみた嵩山。
今回の山歩きでは、集塊岩と、昨年行った柱島(10月)・平群島(12月)を山頂から眺めてみたいと出かけた。が、集塊岩以外は残念。再チャレンジは、両島が良く見える季節にしようと思った。昨年1月25日に嘉納山から源明山に向かう途中の展望地から観た嵩山(左の塔のある山)