7月31日(土)、朝早く甲板に出て、下船するまで釜山港を眺めた。
入国が認められ、持参した83ドルをウオンに両替した。1ドル=367Wで、30,000円が30,461Wになった。
初めて足を踏み入れた韓国はまだ薄暗く、港の周りに浮浪者風の男たちがたむろし、怖かった。少し歩いて、目の前に見える小高い丘に登った。おそらく今は釜山タワーが建っている竜頭山(ヨンドンサン)公園だった。竜頭山は、対馬藩の公使館ともいうべき「倭館」の構内だったと、司馬遼太郎が「街道をゆく 韓のくに紀行」に書いているのを、後に読んだ。それには、我々より2か月前の5月に、取材旅行で竜頭山に登ったときのことが書かれていた。丘の上から、釜山の港や町を遠くまで見渡すことが出来た。
朝鮮戦争で戦死した16か国の兵士が眠る国連共同墓地に行った。
現像代が高いので、むやみに撮らなかった。カメラは、親からの借り物。シャッターを押せば、撮れるものと思っていた。わずかに撮った写真はほとんどがピンボケで、おまけにけちって白黒に焼いたのが残念だった。
列車に乗った。前の席の女子学生が我々を日本人だと気付いて、当時ヒットしていたブルーライト・ヨコハマを歌い出した。たどたどしい日本語だったので、思わず一緒になって歌った。
海雲台に着くと、一斉に降りた海水浴客に連れられて下車し、ビーチや海岸通りを歩いた。
夕方になって旅館らしき建物に行くと、出てきた子供が「イルボン!イルボン!」と叫んで、奥からおばさんを連れてきた。おばさんは日本語が話せて、韓国最初の宿は簡単に決まった。