2021年3月22日(月)、大竹市阿多田島の観音山(かんのんやま、116m)と高山(たかやま、204m)に登った。大竹の小方港からフェリーで約35分。着いた島のアスファルトの周回道路約11kmを、時計と反対周りに歩いて1周。途中、島の東側の観音山と中央の高山に登った。
観音山(116m)
阿多田港から見た観音山とレンギョウが咲いた山頂
寛永(1624~43)の頃、漁師が網にかかり持ち帰ったという観音像と観音堂
山頂からみた東南方向の大黒神島と自衛隊呉の艦船
周回道路沿いには、卒業・結婚・出産などの記念樹の桜が咲いていた。
途中、阿多田島灯台資料館に立ち寄り、見学した。
灯台資料館(1996年、国登録文化財)
明治38年建設の安芸白石航路標識事務所および官舎。昭和53年まで海上保安庁職員が常駐していた。
長浦海岸(島の西側にある300m以上の白い砂浜)
砂浜に放置されたカキ筏に座って、打ち寄せる波の音と岩国基地から頻繁に飛び立つジェット機の音を聞きながら、昼食を取った。
周回道路から見た宮島
高山(204m)
2018年3月の山行記録では、シダが茂って、シダを掻き分け進み、眺望もあまりないとなっていた。覚悟して登ったが、登山道は整備され、木々も伐採され、眺望もあった。
阿多田港から見た高山。山頂と山頂から見た東南方向の観音山と大黒神島。
15時50分発の帰りのフェリーまで時間があったので、阿多田神社と港を見下ろす丘に登った。
しま山は、島と山が同時に楽しめてとっても面白い。一挙両得?
2021年3月17日(水)、広島市の東北部にある高尾山(424.5m)と呉娑々宇山(ごさそうざん、682.2m)に登った。2000年(平成12年)2月と2011年(平成23年)4月に登って、今回で3回目。ほぼ10年ごとに登っている。2000年の記憶は、寒いので、昼食を呉娑々宇山の山頂の電波塔の陰で食べたこと、下山してスーパー銭湯「みくまりっこ」に温まりに行ったこと。2011年の記憶は、岩屋観音展望岩で昼食を食べたこと、登山道に赤い落ち椿があったこと。当時のことや一緒に登ったメンバーのことを懐かしく思い出しながらの登山となった。山頂からの見晴らしは、どちらも良くないが、近くの絶好の展望岩から広島市街地と広島湾を飽かず眺めた。
高尾山
山頂、岩屋観音展望岩、展望岩からの眺め
呉娑々宇山
山頂、バクチ岩、バクチ岩からの眺め
今回もヒサカキの花と
落ち椿を見ることが出来た。
時は過ぎ、「みくまりっこ」は、3代目の「安芸の湯」になっていた。
2021年3月10日(水)、安佐北区可部町の高松山(339m)に登った。可部盆地の東にある円すい形の山で、山頂には中世の熊谷氏の居城跡である高松城跡がある。
熊谷氏は、もともと反毛利で、1517年、西国の桶狭間と呼ばれる、20歳の毛利元就の初陣となった有田合戦では武田方(佐東銀山城)だった。1533年、毛利元就に服従し、その後毛利の重鎮となった。高松城は、関ヶ原の戦い後、毛利が萩に移封されるまで熊谷氏の拠点となったところだそうだ。
山頂からは、まだ登っていない山々が見え、週1の山登りでは到底登りきれないと思った。
南原ダムの向こうに尖がった冠山(735.7m)と左に堂床山(859.6m)が見えた。
山は木の花が咲き、春爛漫だった。
ツバキ
シキミ
ヒサカキ
アセビ