2021年10月26日(火)、岩国市柱島の金蔵山(きんぞうざん、283m)に登った。柱島群島の最高峰で「周防小富士」と呼ばれ、「しま山100選」のひとつ。岩国港の南東約26kmに位置し、70人乗り高速艇で7時40分に出発し、黒島・端島を経由し約1時間、8時39分柱島に着いた。
柱島小中学校(休校)近くの登山口から山頂までの登山道はよく整備され、山頂に煉瓦の旧海軍見張所遺構があった。
山頂手前の三角点がある展望台から、周防大島、瀬戸内の島々、おそらく四国の石鎚山と思われる山まで見渡すことができた。
北東に、巨岩が多いので倉橋島の火山(408m)と分かった。火山と火山山頂から見た柱島。
1日3便。帰りの16時15分発までゆっくりと島内を散策した。
赤禰武人(あかねたけと)生誕の地と墓所
第三代奇兵隊総督。高杉晋作らと奇兵隊を結成し、活躍。藩内の俗論派と正義派諸隊の調停を図ったことが二重スパイと疑われ、高杉らと対立。長州藩に捕縛され、処刑された。享年29歳。
浦庄(うらしょう)の浜
南西部にある美しいビーチ。杭は、昭和時代に海水浴客を直接船で運んでいた時の旧桟橋のなごり。昭和は遠くに去ったと改めて感じた。
戦艦陸奥英霊の墓
浦庄の浜のそば。日本海軍所属の戦艦陸奥は、昭和18年に柱島南西沖約2kmの地点で謎の爆発により沈没。乗組員1,122人が犠牲となった。
維新回天の契機となった功山寺挙兵にあたって、晋作がした有名な演説で非難された赤根武人の生まれた柱島をいつか訪ねてみたいと思っていたが、ようやく実現できた。
「諸君(奇兵隊士)は赤根武人に惑わされているのだ。・・・もし、諸君が武人の説(新佐幕論)に惑わされて、晋作の説をきいてくれないと、もはや諸君に望むところはない」(司馬遼太郎著「世に棲む日日」)