2025年1月17日(金)、阿多田島の観音山(116m)・高山(204m)に登った。阿多田島は、宮島の南約3kmのところにある大竹市の島で、釣りの名所。小方(おがた)港から乗ったフェリーは、新船に変わっていた。
まず、観音山に登った。周回道路に登山口がある。山道はよく整備されていた。山頂から見た気になる島は、採石され岩肌が見える目の前の大黒神島。そして、近々行こうと思っている遠くの柱島。
次は、高山。登山口は、観音山の登山口から、周回道路を少し行ったところ。2021年に初めて登って以降、登るたびに山道が整備されている。展望所でも、大黒神島と柱島が気になった。
山頂も周りの木が伐採され、見晴らしが一層よくなっていた。椅子の正面に宮島、横を向いたら観音山とその向こうに大黒神島。下山路の展望所では、猪子島(いのこじま)とその向こうに宮島。
2つの山に、ゆっくり登って下りて3時間弱。帰りのフェリーの時刻まで、約3時間。島を一周する舗装道路を歩いた。沿道には、桜の記念植樹がされているが、咲く時期でもなく、ひたすら歩くだけ。阿多田灯台資料館に寄った。以前寄ったときは、たまたま設備点検中で開いていて、見学できたが、そんな都合がよいことは何度もない。門が開いているだけ良かった。
今回、島で一番気になったのが、白い糞(?)。道路や木の葉など、島のいたる所で目に付いた。カァーカァー鳴くカラスの糞だろうか。衛生面から何らかの対策が必要ではないか、と思った。
港とフェリーから高山(204m)を見上げた。
2025年1月15日(水)、落葉堆肥作りについて、当面の作業を終えた。昨年12月から、畑に行くたびに道の落葉を集め、その落葉とヌカを積み重ねサンドイッチにし、その上から水をかけ、足で踏みつけていた。
今年は特に乾燥しているので、白い土壌発酵菌が畑の周りでは見つからない。まだ雪が残る魚切ダム近くで、白い土壌発酵菌がついた落ち葉を探し、4袋持って帰った。これで落葉の分解が促進される。
これまで足で押さえつけ余裕ができたので、更に近くで集めた落葉とヌカを積み重ね、水をかけ、足でクチャクチャ踏みつけ、覆いをした。集めた落葉は、90Lの袋で約28袋となった。
今後は、高温で微生物が死滅しないよう、ときどき水をかけてかき混ぜれば、秋には落葉堆肥が出来上がっている。この落葉堆肥は何度も作ってきたが、1年前に初めて作り始めた、ダイコンやカブの葉っぱ・畑の草による堆肥が出来上がっていた。さっそく、春ジャガの植付けに使うことにした。
2025年1月7日(火)、似島の外周道路を、似島港から右回りに一周した。似島は、これまで「安芸小富士」・「下高山」を山歩きするため、何度か訪れたことがあるが、登山ルート以外は行ったことがない。
どのような島だろうか、特に島の南側はどうなっているのか、見てみようと出かけた。
島の北側
広島市街地から廿日市にかけてビルと団地が連なっているのが、印象的だった。
島の東側
小学校・中学校があるが、民家が少ないのが意外だった。ほとんどの生徒が島の西側から、峠を越えて 通学しているようだ。浅瀬は杭、沖は筏によるカキ養殖が行われていた。
島の南側
浅瀬と沖でカキの養殖が行われていた。民家が1軒あるだけだった。違う角度からみた宮島は新鮮で、大きかった。
島の西側(長浜自然海浜)
長浜自然海浜から正面に鈴が峰が見えた。一周を終える頃、振り返ると宮島だった。
戦争の遺構等
(1)後藤新平像
日清戦争時に戦地から帰還する兵士等の検疫・消毒を行う似島検疫所創設に尽力した人物
(2)慰霊碑
昭和47年原爆犠牲者の冥福を祈って建立された
(3)軍用連絡トンネル
燃料貯蔵施設と特攻隊訓練用の兵舎群を結ぶトンネル
2025年になって、goo blogにアクセスできない状態が続いていたが、14日(火)ようやくアクセスできる状態になった。
今年も充実した日々を送れるよう、いろいろなことにチャレンジし、そのことをブログにアップしていきたいと思う。