ふるさとの山歩き、樹木、カメラ、家庭菜園の日記

山歩き・歴史の散歩・樹木観察・デジタル一眼レフ・家庭菜園などの活動記録です。

稲わら干しと彼岸花❣️

2016年09月22日 | 日記

   平成28年9月22日(木)、山口市から防府市への道。国道・県道などのメイン道路ではない、農道。沿道の田圃は、稲の刈り取りがほぼ終わり、雨上がりの畦道に、あぜ草の緑と、絶妙なコントラストの彼岸花。秋の収穫を終え、稲わらが干してあるが、今後、どのように活用されるのだろうか⁉️稲刈りの鎌で、人差し指に傷は残っているのに、稲わらの用途は良く分からなくなった。農業を手伝っていたのは、半世紀以上も前のことだ。

    

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山口市維新史跡‼️

2016年09月13日 | 歴史の散歩

   平成28年9月13日(火)、山口市内の2つの碑を訪ねた。一つ目は、三代目奇兵隊総督赤禰武人碑。旭通り、椹野川沿いの井手ケ原河川公園近くにある。1866年(慶応2年)、幕府への内通を疑われ、斬首された場所。「世に棲む日日」では、内応のことを次のように書いている。「赤禰は、一種の寝技の政治家で、その高等戦略から佐幕派政権と一時手を握るべく秘密の単独工作をしていた」「長州奇兵隊総督でありながら、藩を単身脱走し、大坂で新選組に接触した」

 

   二つ目は、井上馨候遭難の地。1864年(元治元年)、井上聞多(馨)が、佐幕派の刺客に襲撃され、瀕死の重傷を負った場所。中園町、山口中央公園の南、すぐ近くにある。イギリス公使館焼き討ちに加わる程の急進攘夷派から、ロンドン留学によって、開国論者へ転じた。井上は藩を滅ぼそうとするやつだ、というのがテロリストたちの理由だった。(世に棲む日日)

 

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高杉東行の墓‼️

2016年09月13日 | 歴史の散歩

    平成28年9月11日(日)、功山寺から北東へ10数キロ、下関市吉田へ行く。

「世に棲む日日」には、晋作の最期について、次のように書かれている。

「慶応3年(1867年)4月14日未明、晋作はずっと昏睡状態にあったが、不意に瞼をあげて、筆を要求した。枕頭にいた野村望東尼(もとに)が紙を晋作の顔のそばにもってゆき、筆を持たせた。晋作は、ちょっと考え、やがてみみずが這うような力のない文字で書きはじめた。『おもしろき   こともなき世に   おもしろく』とまで書いたが、力が尽き、筆を落としてしまった。望東尼は、晋作のこの尻切れとんぼの辞世に下の句をつけてやらねばならない思い、『すみなすものは  心なりけり』と書き、晋作の顔の上にかざした。晋作は、『・・・面白いのう』と微笑し、ふたたび昏睡状態に入り、ほどなく脈が絶えた。ただ、その間、一度唇が動き、短かくつぶやいた。『吉田へ』」

  遺言により、晋作(東行)が創設した奇兵隊の本営があった吉田に葬られた。側室だった「おうの」は、尼となり、谷梅処(ばいしょ)と名乗って、東行庵で、菩提を弔った。

     

 

 

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維新回天の挙兵、功山寺‼️

2016年09月11日 | 歴史の散歩

  平成28年9月11日(日)、下関市長府の功山寺を訪ねる。1864年(元治元年)、長州藩は、危機に直面していた。「蛤御門の変(禁門の変)」で薩摩・会津に敗れ、幕府から「長州征討」の大軍。英・仏・米・蘭の4ヶ国連合艦隊による下関攻撃。そのような中、「幕府への恭順もやむなし」とする「俗論派」が藩政を掌握した。このとき、高杉晋作が敢然と、幕府恭順派の藩政府打倒を目指して、決起した場所である。

 『世に棲む日日』(司馬遼太郎)には、次のように書かれている。「高杉は、何処から引出したか緋縅(ひおどし)の小具足を着け、桃なりの兜の緒を首にひっかけて背中に負い、頭はザンギリであった」。「功山寺の石段は、雪におおわれている。登りきると、大きな二層の桜門がある。それをくぐると、さらに石段がある」。三条実美ら5卿を前に、「馬の前脚が上がったとき、ふりかえりざま、『今から長州男子の胆っ玉をお目にかけます』と、いった」。

    

 

 

 

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龍宮の潮吹と東後畑棚田❣️

2016年09月10日 | 旅行

    平成28年9月9日(金)、元乃隅稲荷のある断崖の右端の「龍宮の潮吹」を観察。この断崖は、玄武岩が露出した複雑な地形で、潮吹は、水面下の洞窟と連なった縦穴から、海水を吹き上げるもの。強い波が押し寄せた時に、勢いよく、より高くなる。しばし、飽きずに眺めた。感動の断崖に別れを告げて、日本の棚田100選に選ばれた「東後畑棚田(ひがしうしろばたたなだ)」に行く。イカ釣り漁船の漁火と水田の時期(5~6月)が写真的には良いらしい。ぜひ、その時期に再訪しよう‼️

      

 

 

 

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